「……で、いきなり結婚しようとか言ってくんの。はあ〜〜ありえない。何で? パスケース届けようとしただけだよ? まあ、おれ可愛いから一目惚れしたとか言うのは分かるけどさあ、何でいきなり結婚? ていうかまず、あんた誰だよって感じ。名前も年も知らねえし、こっちだって名乗ってないし。なあなあ、お前モテんじゃん? これやばいと思う?」
「アッハッハ〜〜事故物件決定。笑えねえ〜〜」
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クリフ・ブースとジョーダン・ベルフォートは中学二年生のときに出会った。 都内のそれなりに有名な中学校。中途半端な時期に転校してきたクリフは、明らかに訳ありの雰囲気を漂わせていた。まず、容姿が十四・五の男子に見えなかったし、ポケットから煙草のパッケージがはみ出していたし、態度もすごく悪かった。自己紹介を促されたとき、へらりと笑って「おれ、誰ともよろしくしたくねえから」と言った目が笑っていなかったので、誰も彼に触れなかった。
──ヤクザかマフィアかカルテルの息子。
──人のこころがない化け物。
──実は人間じゃないかも。
三文小説みたいな噂ばっかり広がっていくのも無理はなかった。
校内では大人しくしているけれど、外では平気で人を殴るし、女とラブホに入るし、もちろん煙草と酒もやっていた。薬もやってるんじゃないか、という噂もあったが、それを目撃した人間はいなかった。つまり、ほかは目撃者がいたということだ。そんな男だから、女子は惹かれるより引いていたし、男子も近寄らなかった。いいとこの学校だったから、漫画みたいに殴り込みとかお礼参りとかも来なかったし、クリフは下校前に私服に着替えてしまうので、たぶん喧嘩相手は彼の通う学校を知らなかっただろう。そもそも、繁華街をうろつく彼は成人に見えた。
ジョーダンはクリフの隣の席だった。
実家がそんなに裕福ではなかったので、ジョーダンは奨学生だった。将来どうしても医者になりたくて、行きたい大学に有利な学校を選んだらここだったので、親に無理を言って入学させてもらった。適格認定があるので、生活態度や成績には気を使っていたけれど、あまり窮屈に思わず、それなりに楽しく学校生活を送っていた。この教室の誰もがそうであるように「触らぬ神に祟りなし」という感じで、隣に座るクリフはいないものと思って過ごしていた。
ある土曜日、上野の美術館へ行こうと電車の座席に座っていたら、ジョーダンは痴漢に遭った。あからさまに、隣の男に太腿を触られている。またか。中性的な顔のせいなのか何なのか、ときどきこういう変態に狙われる。怒りよりも諦めの気持ちで、いつものように席を移ろうとしたとき。突然、男が席から引き上げられた。びっくりして見上げると、クリフ・ブースが変態男の襟元を掴んでメンチを切っていた。
「なあ、おれの太腿にも同じこと出来るか?」
堅気に見えないクリフを前にした変態男は、ガタガタと震えながら「出来ません」と怯えた声を絞り出し、駅で停車した瞬間に慌てて外に出ていった。呆気にとられていると、クリフは空席になったジョーダンの隣に座り「余計なことだったか」と聞いてきた。驚いたが、助かったので素直に「いや、ありがとう」と応えると、彼は年相応の表情で笑った。なんだ、こいつ人間じゃん。すとん、とクリフに対する印象が変わったジョーダンは、つい自分から彼に話しかけてしまった。
「何処行くの」
「秋葉原」
「もしかして、オタク?」
「あー、アメコミ買いに行くから、まあオタク」
クリフは、学校にいるときの人を寄せ付けない雰囲気と違って、楽しそうに会話に応えた。だから、ジョーダンは予定を変更して「もっと話したい」と言って秋葉原に付いて行った。いまハマっているコミックの話を聞きながらアメコミショップの狭い店内で新刊を買い、高架下のフリーマーケットを冷やかし、カウンター席しかないラーメン屋に並んで食事をした。広く浅い交友関係しか持ったことのないジョーダンにとって、誰かとこんな休日を過ごすのは新鮮ではじめてのことだらけだった。
「何で助けてくれたの」
こじんまりとした喫茶店でホットケーキを待つ間、ジョーダンは疑問に思っていたことをぶつけた。土曜日なのに閑散としたこの店は、クリフが、いつも買ったアメコミを広げて時間を潰す場所だと言って連れてきてくれた。彼はテーブルに置かれた灰皿を隅に避けながら、困ったような顔で「あんた、好みの顔だから」と応えた。
「じゃあ、おれナンパされたわけ」
「いま気づいたの。お前、チョロ過ぎ」
お待たせしました、と頼んだホットケーキとコーヒーが来るまで、ジョーダンは固まってしまった。けれど、くつくつと笑うクリフにメープルシロップを渡されながら「で、付き合う?」と聞かれたときは、はっきりと意識して「やだ」と言っていた。
「ぜったいヤリ捨てじゃん。おれは顔とかより、気持ちの方が大事だから。でも、友だちならいいよ。ていうか、友だちになりたい。すげー面白そうだから」
クリフはちょっと驚いたような顔をしてから「いい考えだ」と、あの年相応の表情で笑った。二人はラインを交換して、学校ではまったく関わり合いのないふりで過ごし、アメコミの新刊が発売する日になると、一緒にアメコミショップへ出かけた。クリフはジョーダンに酒も煙草も勧めなかったし、夕方には自宅の最寄り駅まで送ってくれたので、いたって健全に友情を育んだ。まさかクリフ・ブースが秋葉原にいるとは誰も思わず、二人の関係はずっとバレなかった。
大学受験の前に色々あって進路を変更したジョーダンは、いま都内の大学に通って経済を学んでいる。将来は金融の仕事に就く予定だ。大学進学と同時に、金銭的な理由で始めたバイトは秋葉原のメイドカフェ&バー。クリフと秋葉原に通ううち、自然と安全圏内になった場所だった。講義のスケジュールによるが、おもに時給のいい夕方から深夜の時間帯に多くシフトを入れている。
クリフは込み入った事情から高校卒業とともに働き始め、肉体労働やら風俗店の裏方やらバーテンダーやらを経て、いまは秋葉原のアメコミショップでバイトをしながら、何故かインディーズバンドでベースを弾いている。バイト場所が近いので、新刊の発売日になると、二人で待ち合わせて居酒屋に行き、近況やら何やら報告し合っている。ずっと続いている習慣だった。一応、健全な友情を育んでいるのは変わらない。
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「でもさあ、あの人、顔はすっごい好みなんだよ」
「ハア〜〜、顔とかより気持ちが大事だつって振った男によく言えるな、あ?」
「いや、おれもう現実を見ることにした。気持ちなんて外から分かんないから。クズでも顔がよければ、まあ、色々楽しめるし」
「ハハ、ビッチ! また別れたのかよ」
「そう、また不倫! くやし〜〜! 指輪してないから大丈夫だと思ったら、してる最中に奥さんから電話掛かってきやがんの。しかも出るし。分かってると思ったよ、とか言って、分かるかクソ! チンコもげろクソ!」
個室にしてよかった。
ジョーダンは感情が昂ぶると声が大きくなりがちなので、クリフはビールジョッキを煽りながら胸のなかで苦笑した。この友人は、相変わらず恋愛運が悪い。初恋相手は高校の担任で既婚者。その次は塾の非常勤講師、また既婚者。顔が綺麗なので、黙っていれば男も女も寄ってくるのだが、性格がすこしブッ飛んでいるので長続きしない。当時誰も近寄らなかったクリフに無邪気にも話しかけて来たうえ、のこのこと付いて来た男だ。変わっている。それに、選ぶ相手が尽くジョーダンを浮気相手にしようとする連中ばかりなので、すぐ破局する。
「話聞いてると、店で親切にし過ぎたんだと思うけどな。若い独身の男だろ? しかも、モッサイ髭面のサラリーマン? メイドカフェに来るような? お前、男を勘違いさせることに関しては才能ありまくりだからなあ、やめとけば?」
「ううう、でもでも、スーツはアルマーニだったし、金融関係ぽかったし、あんま経験なさそうで優しい感じでさあ、迷うの〜〜」
まだまだ長くなりそうな話に付き合うため、クリフは端末で追加のビールとジョーダンの分のカシスオレンジを注文した。
あの電車で鉢合わせしたとき、ジョーダンは少女のような顔を白くして痴漢に耐えていた。こんなことは慣れっこだと、自分の方から席を移動しようとしていた。奨学生で、騒ぎを起こしたくないということもあったのだろう。クリフは正義感の強いガラではなかったし、ほかの奴なら無視しただろう。けれど、何故かジョーダンのことを放って置けなかった。彼には、こんなことに慣れて欲しくないと思った。それで、つい助けてしまった。
顔が好みなのは事実だったが、ほんとうに口説くつもりはなかった。「友だちになりたい」という言葉に応えたのは、面白い奴だと思ったからだった。まさか、こんなに長く続く関係になるとは予想も出来なかったが、まあ、人生何が起こるか分からない。恋愛トラブルに巻き込まれがちなジョーダンをちょいちょい裏で助けたり、こんなふうに相談に乗ったり。ちょっと深く関わり過ぎた気もするが、いまさら離れる理由もない。
「もしまた店に来たらどうしよう」 「ま、危ない男なら何とかしてやるよ。しばらく送るか、むかしみたいに」
すっかり馴染んだ「気のあるふり」の冗談に、ジョーダンはプッと吹き出しながらクリフの腕を叩いた。「お前のファンに刺されちまう」と笑う。クリフはバンド内でいちばんモテるし、ちょっと愛の重たい女のファンが多い。本人は「めんどくせえから」と言ってファンとは付き合わないが、ネットの掲示板では「自称・クリフの女」がキャットファイトを繰り広げている。たしかに、顔はいいからなあ。とジョーダンはグラスを舐めるようにしてレモンサワーを飲んだ。
「でも来ないかもしれないし、変だけど優男っぽいし、大丈夫」
酔いですこし赤くなった顔を傾げて断るジョーダンは、十四のときからほとんど変わらず、いまだ綺麗な顔をしている。そういう仕草が勘違いを生むと思うんだけどなあとクリフは思ったが、言うとめそめそされるので、ジョーダンのちいさな口に唐揚げを突っ込んで「今度は大事にしてくれる奴と付き合えよ」とだけ忠告しておいた。