THE GREAT DECEIVER - 6/6

//その後の香水譚

 

 彼に秘密を持っているとしたら、仕事上のいくつかをのぞけば、これがそうだろうか。と、トニーは思いながら、ぴんとしわの伸ばされたホテルの枕元へ鼻を寄せた。シャネルのアンテウス。彼にもらった香水の匂い。レザーとウッドの重たげな香りの奥に、甘い花のような香りが混じっている。彼──ソロがいっとき纏っていた借り物の匂いだというのに、もうすっかり自分にはこれが彼のもののように馴染んでしまった。

 するすると手を下腹に持って行く。
 これも、すっかり馴染んでしまった行動。彼の香水を嗅ぎながら、彼を思ってする自慰は、とても穏やかで気持ちがよくて、深く眠りにつけるのだ。トニーは、自分のペニスをゆるゆると扱きながら深く息を吐いた。先走るしずくをすくい取り、ぬるりと竿に絡める。そこだけひどく熱くなった自身は、今夜も空想の指をもとめて涙を流す。あれから、何度もソロに抱かれてぐずぐずになった身体は、これだけでは足りない。もっと、決定的な刺激を欲しがっていた。ペニスの奥で息づく秘部がきゅうと欲しがるように収縮している。

 そこへ手を伸ばすのは、まだ躊躇われた。だって、まるで淫蕩で恥ずかしいではないか。ただでさえ、彼を思ってひとり寂しく自身を慰める日々が増えているというのに、いままで知らなかった快感を追って、さらに淫らになってしまいそうだと、トニーは顔を赤らめて思う。自分はそこまで奔放になれない。ちゅくちゅくと先端を弄りながら、熱を解放しようとやっきになる。これだけでじゅうぶんだった。考え事をしながらしていたせいか、「あ、」と思ったときにはびゅく、と吐精してしまい、そのあっけなさに呆然としてしまう。下着を濡らしてしまった。トニーは、まだけぶる熱をごまかすように起き上がると、バスルームへと向かった。

//

 久しぶりに任務で出張したトニーは、旅慣れて軽い旅行鞄を携えて何日かぶりに自宅へ帰った。すると、キッチンから何者かが顔を出す。「やあ」と顔を覗かせたのはソロだった。彼は「邪魔をしてるよ」とも「おかえり」ともつかないことを二言三言つけくわえて、またすぐに戻ってしまう。部屋には何かを煮ているようないい香りがしていた。おそらく、料理をしているのだろう。ソロは、男のわりに料理をするのが得意らしく、よくトニーの偏った食生活を見かねて食事を用意してくれていた。勝手に家に入られるのも、勝手にキッチンを使われるのも慣れた頃には、彼の食事を楽しみにする余裕ができてしまったくらいには頻繁に来ている。玄人はだしの凝ったものを作るのが好きな彼は、今夜は何を食べさせてくれるのだろう。

「さて、あとはもう煮込むだけでいい」
「いい匂いですね」
「牛肉の赤ワイン煮込みだよ」
「それはいい」

 料理に使った残りのワインを飲みながら現れたソロは、エプロンを外して腕まくりしたシャツ姿だった。この人のラフな格好は、こういうときでしか見られない。「君も飲むかい?」と聞かれたけれど、荷解きがあるからと寝室へ向かったら、彼もついてきた。ベッドに乗り上げ、シーツの上に乗せた旅行鞄から、ぽいぽいと着替えを取り出して床へ捨てていく様は、ちょっと母親のようにおせっかいだなあと思った。しかし、「このタキシード一式はクリーニングかな」といいながら、さりげなくシャツの匂いを嗅いでいるあたりは違った。上目遣いにふふ、と微笑をたずさえてこちらを見上げる様子は、猫科の肉食獣を想像させる。「めずらしいね、正装とは」「ええ、大使館の親善パーティで対象と接触する必要があったので」などという業務報告めいた会話が浮いている。

「それに、俺の香水を使っただろう?」

 すん、と音を立ててシャツの匂いを嗅ぐソロが、さらに笑みを深めて悪戯っぽく目をきらりとさせた。どきり。トニーの心臓が大きく脈打つ。そう、彼は、例のソロからもらった香水をつけてこのシャツを着た。今回の任務では、すこし格式張ったパーティに出掛ける用事があったのだ。それには、香りというマジックが必要だったし、華やかな誰かさんをイメージさせる香水はとても心強く、心理的にも大変仕事の役に立った。だが、トニーにはそれとは別の、夜の慰みに使ったということの方が頭に浮かんでしまい、何も返せなかった。

「いいねえ、俺の香水をつけて女を口説く君を想像したらそそる」
「……口説いてません。仕事だけです」
「想像するだけなら罪はないだろう?」

 大ありだ。それは自分に向けて言いたかった言葉かもしれないが。想像するだけなら罪はないというなら、この羞恥心はいったいどうしてくれよう。トニーは、疲れたといったため息を吐いて、ソロの魔の手からシャツを救い出した。

「もっと堪能させてくれたっていいじゃないか」
「みっともないので嫌です」

 あまり嗅がれるのも恥ずかしいし、そもそもなんで人のシャツなんか嗅ぐんだ、といまさらながらに困惑してしまった。まあ、ソロの行動にいちいち大げさに反応していたら身が持たないし、相手を喜ばせるだけだと学び始めていたので、無視することに決めた。そうして、トニーはシャツを適当に放って荷解きの続きを始めた。──と、ソロが一枚の布を取り出して不思議そうに首を傾げている。

「この下着、手洗いしたのかい? まだ濡れて……」

 途端に、トニーが勢いよくその布を奪う。バッと音がするほど素早い動き。野生の動物が獲物を奪うときだってこんなに必死にはならないのでは、というほどの勢いだった。トニーは奪った下着を丸めて持ち、ソロを警戒している。ははん、これは隠したいなにがしかの理由があるに違いない、とふんだソロは、にやりと笑ってトニーに近づいた。

「俺には隠し事ができないって知ってるだろう?」
「なんでもありません疲れたので帰ってください」
「その棒読みの台詞が怪しい! ねえ、下着を手洗いなんてまさかおも」
「違います! あの、違いますからね!」

 本当は答えなんてわかっている、という顔で酷い勘違いをされると、思わず反応してしまうのが悔しい。ソロの手がトニーの顎を捕まえて、つつつ、と唇を親指でなぞる。「さあ、言ってしまうんだ」という合図。多分に性的な動作でもあるこれに、トニーは弱かった。ついに白状してしまう。

「あの、あの、あなたを想像して……思わず……」

 想像して何を、とはいわなかったものの、ソロは察した。この可愛らしい後輩は、自分を想像しながら夜の身体を慰めたのだ、と。トニーは顔を真っ赤にして、白状したことを心底後悔する、というような苦い表情をしていた。下を向いたまつげがふるふると震えている。どうか嫌わないでと懇願する少女のように可愛らしくて、ソロはつい意地悪を言った。

「香水をつけたら俺を思い出した?」
「それで、俺に抱かれたくなったんだ?」

 そうして、キスができそうなほど顔を近づけて、「とても、いけない子だね、トニー」と耳元で囁いた。しびれるような低い声。耳殻で振動する空気に、トニーの身体がびくりと反応する。なにか言い返したくても言葉が出てこない様子だった。はくはくと唇がむなしく開いたり閉じたりするだけ。心臓はばくばくと大きく脈打ち、恥ずかしさがこちらにも伝わってくるようだ。そんなトニーを見て、ソロは一言、「火を消してくるよ」とだけ言った。

//

──ねえ、どうやって慰めたのか、見せてくれないか。

 ソロのリクエストに、こんなの間違ってると思いながらも、トニーは着ている服にゆるゆると手を掛けていた。スーツを脱ぎ、シャツを脱ぎ、下着にまで手を伸ばしたところで、伺うようにソロを見上げる。彼は、ベッドサイドに引きずってきたカウチに座ったまま、「続きをどうぞ」とジェスチャーで示した。途端に羞恥心が湧き上がってくる。自分から服を脱いで、これからすることを思うと、このまま逃げ出したくなるというのに、手は魔法をかけられたように下着まで取り去ってしまった。この人にかかるといつもそうだ。自分の意に反することなのに、どうしてか思い通りにされてしまう。

 惚れた弱み、といえばそうなのかもしれないが、ぜったいに何かいかがわしい力が働いているとしか思えなかった。とはいえ、ここまでしてしまったら自分の意志でもあると言わざるを得ない。なんだかんだいって、トニーはソロの「お願い事」にくらくらときてしまうのだ。あの低音で囁かれたら最後、理性の壁は取っ払わられてしまい、自分でも知らなかった欲望に直面してしまう。現にいま、恋人に「自慰を見せてくれ」なんてリクエストをされて応えてしまう自分がそうだ。こんな自分は知らなかった。知りたくもなかった。

 トニーはうまく息が吐けなくて頭がぼうっとしていた。ソロはラフな格好だが、きちんと服を着込んでいるのに、自分は生まれたての姿だ。それが滑稽でおかしい。自慰をしたいのに、そんな雰囲気ではない気がしてしょうがない。それでも、そうっと自分の性器を覆うように撫でてみて、ソロを伺う。まるで、「これでいい?」といちいちお伺いを立てる子どもみたいだった。すると、突然ソロが立ち上がってどこかへ行ってしまう。ハッとして目で行方を追うと、トニーの旅行鞄から何かを探しているらしい。見捨てられてしまったような気まずい気持ちで待っていたトニーは、しゅ、という音と降りそそぐ香りで我に返った。

「あ……」
「これですこしはやりやすくなったかな」

 例の香水だった。ソロの香り。レザーとウッドの重厚な香りの奥に、ほんのり花のような甘やかな匂いが隠れている。思わず目を閉じて何度も嗅いだはずの香りを堪能してしまう。はじめてこの香水をもらった日に、ソロの胸に抱かれてくるりと踊ったことを。「夢で会えるかもしれない」と寝具に吹きかけるよういわれたことを。その夜、真に受けて枕元へ香水を吹きつけたら、眠れなくて自分を慰めたことを。全部ぜんぶ思い出してしまう。気づいたら、トニーはゆるゆると性器を扱いていた。先端から溢れ出る先走りを潤滑油にして、ちゅくちゅくと音を立てて竿全体を擦り上げる。もったりとした気持ちよさに首を反らして、「ああ」と感嘆の声が漏れた。ベッドに寝そべって、落ちてくる香りを全身に受けると、まるでソロに抱かれているような感覚をおぼえる。

──彼ならばどう触れるか。

 関係を持ったいまならば、反芻するように思い出せる。あたたかくて分厚い手のひらが、するすると皮膚をたどっていく感覚。喉を撫で、鎖骨をさすって、胸の谷間を通って臍をくすぐる指。いたずらに腹筋を舐めていく舌。その先の、肝心な部分にはなかなか触れてくれない。いつもはそれがもどかしくて、でも、体中を撫でられるのが気持ちよくて言い出せず、彼の思うがままのセックスに身を投じてしまうのだが、いまは自分の意のままにできる。目を閉じたまま、左手で竿を扱きながら右手の中指で先端をくるくると撫でる。くぷくぷと溢れる透明な体液を雁首になすりつけるようにして刺激するともうたまらなくいい。即物的な快感。

 トニーは、ソロがそれをしてくれるところを想像しながらさらに続けた。先端がぱくぱくと口を開いて、いまにも達しそうだった。目を開くと、ソロがこちらをじっと見つめていた。すこし目を細めて、舌なめずりする肉食獣のような視線を注いでいる。トニーは、急に我に返って羞恥心を思い出した。奔放に開いていた脚をきゅっと閉じて縮こまるように上体へ寄せる。いきたいのに、恥ずかしさのほうが勝っていた。

「どうしたの? 最後までしていいんだよ?」

 ソロは楽しそうだ。いままで夢中になって自慰をしていた恋人を、とっくりと堪能していたのだから。トニーはとても官能的だった。香水を吹きかけた途端に、目をとろりと蕩けさせて行為に夢中になっていったのが、まるで誘うようでいけない。きっと、彼はむかし「寝具にでも吹きかけたらいい」と言ったことを律儀に守って、そうして、自分を思い出しては夜の慰みにしていたのだろう。ソロは続きを促すように、トニーの頬を撫ぜた。

「目を閉じて。俺の言う通りにしてごらん」

 言われたとおりに、トニーは瞼を閉じた。ソロのあたたかい手のひらがすぐ横にあって、つい顔を寄せてしまう。手首から香る、また違う香水の匂い。すこしエッジの効いた刺激的な香りだった。「気持ちいいところを言って」「そう、そこを好きなだけ刺激してごらん」「ほうら、だんだんよくなってきたね」刺激的な香りと、刺激的な言葉の数々。トニーは半ば催眠状態のようになって自分の性器を弄くり回した。気持ちいい。好きなだけしてもいいなんて。自慰とは本来そういうものだったが、いまのトニーはソロに許されてしている感覚でおかしくなっていた。

「あ、ああっ、いく……」

 とうとう精管からせり上がる感覚が来た。ソロはトニーの頬を人差し指で撫ぜ続け、ふふ、と微笑うと「いっていいよ」と囁いた。震える空気、震える身体、震える指先が先端を強く引っ掻いて、次の瞬間、トニーは射精していた。

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 激しい運動をしたときのように息が切れていた。トニーが、はあ、と深く息を吐くと、ソロの手のひらからあつい空気が跳ね返ってきていい香りがする。「よくできました」と、まるで子どもを扱うようによしよしと頭を撫でられて顔が赤くなる。人前で自慰をするなんて、信じられない気持ちでいっぱいだった。

「素晴らしかったよ、トニー」
「言わないでください……僕はもう、消えたい……」

 泣きそうな声が出てしまった。手のひらにべとべとしたものがついていて、シーツにもこぼれている。後片付けをするところを想像すると情けなく思ってしまった。けれど、ソロは嬉しそうにトニーへキスを落として言う。「いい子にはご褒美をね」と。腕を引っ張られて、ソロのスラックスの前に当てられる。そこは形を変えて、ぴんと布が張っていた。

「後ろ、足りないだろう?」

 そう言われると、もうだめだった。正直に白状すると、こんなのはもう児戯のようなものなのだ。前だけでなく、後ろで感じることを覚えさせられた身体は、ずっと何かが足りないと叫んでいた。自慰をしている最中も、ほんのわずか勇気があれば、性器の裏、するりと奥へと指をたどってしまいそうだった。見破られている、と思った。それならば、もう恥ずかしいなどとは言っていられない。シーツに落ちた香りが次の段階へと移り変わるように、次の刺激を楽しみたい。トニーはソロの前立てをつつ、と指でなぞり、「足りません」と小さな声で催促した。

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 スラックスから取り出されたペニスは、立派にそそり立っていた。ソロが何度か扱いて先走りで指を湿らすと、トニーがそれを舐めて味わう。舌にしびれる苦い味。男の匂い。そのまま性器の先端をぱくりと咥えて、さらにその味を堪能する。れる、と口のなかで舌を動かせば、頭の上で感嘆の声が上がった。それがさっきの仕返しになるような気がして、トニーはもっと舌を動かして竿まで飲み込む。苦しいが、ソロの「ああ」という低い喘ぎは聞いていてぞくぞくとするので楽しい。じゅぶじゅぶとはしたない音を立てて唇で扱く。先走りがどんどん溢れ出てきて、口の端からこぼれてしまいそうだった。と、ソロに強く肩を掴まれて動きを止められる。もうすこし堪能していたかったが、これ以上はだめらしい。

 「あんまりにも刺激的でいきそうだったよ」という彼は、トニーを押し倒して口の中を探る。唾液と先走りのどろどろとしたものをすくうと、トニーの後孔になすりつけて潤滑油代わりにした。くるくるとしわを伸ばすようにされると、指の一本は簡単に飲み込んでしまうようになったのはいつからだろう。もう、はじめての夜から何度も彼を受け入れてきた。それでも、トニーはいつだって慣れない気持ちでいっぱいいっぱいだった。ソロにしてみれば、「いつまでもうぶで、そこが可愛い」というらしい。彼の中指がいいところをかすめて、トニーは思わず喘いだ。二本、三本と指を重ねられ、ぐちゅぐちゅとかき混ぜられるとたまらなくいい。「可愛いよ、トニー」「いい子だね、トニー」そんな言葉を掛けられながら、いつものように慣らされてしまうと、はやくソロが欲しくてたまらない。もう、後ろは性器のようなものだった。もっと気持ちのいいものを入れて欲しい。まるで、パブロフの犬のように、条件反射で身体が反応してしまう。

「……ソロ、はやく、もういいから……」

 めずらしい催促の声に、ソロは一瞬驚いた顔をして、次に眉を下げた笑顔をつくりながら「ごめんね」と額にキスをした。それが焦らしていることについてなのか、これからする無体についてなのか、熱に浮かされたトニーの頭では分からなかったが。

//

「そろ、もうだめ……あ、はァ、そろ……」
「ごめんね、トニー。やめてあげられない。ごめんね」

 謝罪されながら後ろから犯される格好のトニーは、もう息も絶え絶えの様子だった。何度いったかわからない。ペニスを挿入された後孔は、抜き差しされるたびに襞をめくりあげられ、中に注がれた精液をこぼしている。いくども摩擦を続けられた前立腺は、ふっくりと膨らみ、ソロのかたいペニスが行き来するたびによけい快感を拾ってしまうようになっていた。

──こんなに酷くするつもりじゃなかったのに。

 ソロは内心ひとりごちる。最初は、香水をネタに自慰をするトニーを見て楽しめればよかった。それが、まるで香りに彼を取られたような気持ちになって、面白くなくて、すこし意地悪いことをしてしまった。ただそれだけで、あとはいつものようにセックスをする流れになるかと思っていたのに、トニーのめずらしい催促の言葉。あれがいけなかった。あれのおかげで、年甲斐もなく行為に夢中になってしまい、何度してもし足りない気持ちになってしまった。もうトニーも限界そうだが、まだ何かが足りない。

 べそべそと泣いている目元をやさしく親指でなぞると、それにも感じてしまったらしいトニーがふるりと身体を震わせる。彼の身体はその口よりもずっと正直で、いやらしいことに従順で、そうして、うぶで可愛らしかった。時間を掛けてゆっくりと蕩けさせた身体は、香水のラストノートの甘い香りと相まって官能的だ。完熟した果実のように美味しそうな芳香を振りまき、それでいて自らの甘さに無自覚なところがたまらない。

  ソロは、後孔からペニスを抜き、トニーを仰向けにさせた。「終わった?」というように伺う視線に首を振り、謝罪のキスを降らせる。まだもうすこし、この芳しい身体を堪能していたかった。ソロはすっと通った鼻筋をトニーの首筋に寄せて彼の匂いを嗅ぐ。すこし煙草の煙が混じったような匂い。あとは、さっき振りかけた香水が最後の芳香を放って、うす甘く蕩けた体温と肌の匂いがした。これを閉じ込めておける瓶があったらなあ、と思う。しかし、自分以外の誰にも嗅がせたくないのだし、自分の手でここまで育て上げたからこそ極上の香りなのだから、結局、夢想するにとどめておいた。首筋をさすり、二の腕をさすり、乳房を撫で上げる。皮膚の上をすべる指はとめどない。体温が上がって、香りがわずかに主張してくるのを感じる。

 トニーは、ゆるやかな愛撫でさらに高まっていた。もうこれ以上はいきたくないのに、やさしく肌を撫でられると、体中がふわふわとして意識がぼんやりとしてくる。ペニスは萎え、精はとうに尽きていたが、体の奥で熱がぐるぐると渦巻いていた。はじめての感覚。ソロに後ろでの快感を教えられて、性器を触らずとも射精できることを知ったのだけでも未知のことだったのに、これはなんだろう。

──これは、女の感覚だ。

 と思い当たったのは、ソロに胸を食まれたときだった。つきん、と乳首からしびれが下腹部へと降りてきて、快感の熱をさらに渦巻かせる。ゆっくりとまたペニスを突き立てられたとき、じゅん、と何かが下腹から溢れるような感覚がせり上がってきた。まるで排尿するときのような。

「やだ、ソロ、やめて」

 粗相をしてしまうことを想像したトニーは慌ててソロを止めようとするが、だめだった。彼は動きを速めて、その何かを押し出そうとしてくる。ソロには、その何かが分かっているかのようだった。正体の分からない快感を引き出されて、トニーはパニックに陥った。訳の分からないまま「だめ」と「おねがい」を繰り返し、ソロの名を何度も呼び、腕を突っ張って離そうとするが、彼はやさしく「大丈夫だよ」と言って聞かない。

「だめ、何か、あっ、あっ」

 ひときわ強く腰を打ち付けられたとき、それは来た。まるで爆発のようだった。眼の前がまっ白になって、声も出せないまま身体の奥で何かが爆ぜる感覚。ぐるりと目が裏返る。ぷしゅっと音を立ててペニスから溢れたのは、透明でさらさらとした液体だった。

「トニー、素敵だ」

 ソロがなにか言ったのを、しかし、トニーはもう聞いていなかった。唇をはくはくと震えさせて、半ば白目を向いて気絶していたのだ。ソロはそんなトニーの瞼を閉じさせてやりながら、眉間にキスを落とした。

//

「酷い、もう二度とあなたとはしない!」

 目を覚ましたトニーはすこぶる機嫌が悪かった。シーツは取り替えられていたが、マットレスは濡れてしみになってしまった。買い換えなくてはならない。それだけが理由ではないが、トニーは怒りをあらわにソロにあたった。

「もうだめって言ったのに」
「ごめんね」
「やめてとも言った」
「うん、ごめんね」
「……もうあなたとセックスはしない」
「それは、ごめんね。聞いてあげられない」

 ベッドに寝そべった後ろから抱きしめられて、頭に謝罪のキスが降ってくる。何度も「ごめんね」とやさしく囁かれ、むくれる子どもをいなすように扱われ、まるで格好がつかない。真剣に怒るだけ無駄なのだ。ソロの手にかかれば、いつだってこういう怒りはどこかへ飛んでいってしまう。けれど、格好だけでも不服を伝えておかないと、自分が望んで淫らな生き物になったようで恥ずかしいのだ。

 ほんとうは、ソロの手で自分を変えられてしまうことが怖い。自分でも知らなかった部分を暴き立てられてしまうのが怖かった。それなのに、またひとつ知らなかった快感を教えられてしまった。一人では得られなかったぬくもり。背中に感じる彼の熱。うなじにあつい息を吐かれて、ほうっと安心してしまったので、トニーはため息を吐いてソロを許すことにした。「ベッド、買い替えてくださいね」という台詞をつけて。

 後ろから嬉しそうな気配が伝わってくる。
 ソロは、「わかってる。今度は二人で寝るのによさそうな、広いベッドを選ぼうね」と言って、頬を擦り寄せてきた。シャワーを浴びて香水も落ちただろうに、彼からふわりと立ちのぼる匂いは、落ち着いて心地がよかった。