「誕生日? まあ……気心知れた仲間と夜にお祝いするくらいかな」
冬でも温暖なロスで過ごすのに慣れたせいか、雪をさくさく踏む感覚を忘れてしまった気がする。故郷の冬は短いが、雪も積もれば寒さも厳しかった。白くて冷たい空気の感覚を思い出しながら朝日の差す部屋の中を歩き、ふかふかのカーペットじゃ全然あの感じと違うな、と思う。
「まさか、君みたいに派手なのはやらないよ。もう六〇だよ? 信じられる?」
電話の相手が「ブラッド・ピットが六〇? 僕もおじさんになるわけだ!」とおどけて言うのに苦笑して、けれど、歳を重ねるのはちっとも怖くなんてないし、むしろどんどん自由になっていくような気がして楽しみだという話をする。
──君らしいね。
そうなのかな。僕らしさっていうのは自分じゃよく分からないけれど、レオが言うならそうなのかも。職業柄、加齢に対して過敏になる人間も見てきた。でも、僕は時間という抗いがたい存在に勝負を挑むことから降りて、すっかり気分が晴れやかだ。やりたいことがありすぎて、かまけてる暇がないのも大きいかもしれない。
──それはねえ、君だから言えるんだよ。
僕もその境地に到れるかなあ、と呟くレオは、言うわりにそんなこと全然心配いらない様子で。だって、彼は自分のスタイルも世界もぜんぶ確率しているから。逆に僕のほうが羨ましいと思うときだってあった。それを話すと、「嬉しいね、君に羨ましがられるなんて、光栄だよ」と得意げな返事が返ってきた。
「……ねえ、君は来られないの?」
つい、子どもがねだるような口調で言ってしまった。誕生日なんて、もう大々的なパーティを開くような感じじゃなくて、内輪のささやかなお祝いという程度なのだけれど、誰かに招待状を送るとしたら第一通目はレオだ。むしろ、彼にだけ来てほしい。わがままを言いたい自分の気持ちに蓋をして、このまま楽しくお喋りするだけでもよかったのだけれど、思わず本音が出てしまった。きっと歳のせいだ。と、おじさんはずるい逃げ道を用意する。
「冗談、忙しいでしょ。当日に言うなよって怒らないでね」
見えているわけでもないのに手をひらひら振って相手をなだめるジェスチャーをする。レオだったら、僕がほんとうに望んだらちょっぴりは考えてくれるだろう。来てくれるかどうかは分からないけれど。これが僕だったら、レオに「来られないの?」なんて言われようものなら何を差し置いてでも駆けつけてしまうのに。若い頃の自分のように。なにせ、レオを前にしたら表面は取り繕っていたとしても、僕の心は少年のようにときめいて、彼の一挙一動に対していちいち反応してしまうし、笑顔なんか見たらもうしあわせの極地に到れるのだから。
「もしもし? レオ? だから、冗談だって……」
さっきから電話の向こうが静かだ。
もしかして、呆れられた? と思ったら、急に焦燥感にかられて。動物園の檻の中でうろうろするクマみたいにカーペットの上をぐるぐる回ってスマホの画面を見たり電波を確認したりしてしまう。でも、異常はなし、反応もなし。サーッと嫌な気持ちが足元から上ってきたところで──「あ、ごめん。ちょっと番号忘れちゃって」というのんきなレオの声。え、番号?
──そう、君の家まで来たんだけど、玄関の暗証番号忘れちゃって。開けてくれる?
朝イチならゆっくりお祝い出来るかなって思ったんだけど、予定あるなら帰るよ。という彼の台詞に大慌てでセキュリティを解除するため走ったら、電話口で「そんなに慌てなくても」と笑われたけれど、僕は嬉しくて少年みたいに駆けてしまった。