タバコの味は

 煙草の味は、とうの昔に知っていた。

 顔も忘れかけた父親が六年ぶりに帰宅した日、キッチンの隅に置かれた灰皿に、まだ煙の立ち上る煙草を見つけた。この家で喫煙するのは父だけだ。十代の僕は好奇心から(あるいは、絆のようなものをもとめて)その煙草を拾い、どきどきしながらフィルターに口をつけた。そうっと吸い込んだ空気は不味くて、臭くて、ひどく熱かった。思わず口を離し、どうして父はこんな毒を吸っているのかと思った。それ以来、僕は生涯禁煙を誓った。はずだった。

 どうしてタイラーが父と同じ毒を吸っているのか知らないが、彼の喫煙する姿は様になっていて格好いいから見ていて飽きない。たいして面白くもなさそうに、いつでもやめられるけどいまじゃない、って感じで突き放した距離感で煙草と付き合っている。と思う。聞いたことがないから分からないけど。慣れた手つきで火をつけたり、煙を吐いたり、投げ捨てたりする様子に、いつしか僕は憧れを抱いていた。あんなふうに煙草を吸ってみたい。だから、僕は生涯禁煙の誓いを破って喫煙者になった。タイラーは喜んで、僕のはじめて吸う新品の煙草に火をつけてくれた。

「これで平均寿命が十年は縮んだな」

 そう言って笑う彼は、僕の命が尽きる日を祝うみたいに背中を叩く。慣れない煙が肺の奥深くまで入ってしまったようで、げほ、とえづいた。「覚えたてのガキかよ」となおもくつくつ笑うタイラーにむかついて、じゃあ玄人はどう吸うんだよ、と半分八つ当たりの口調で聞いたら。彼はにたりと笑みを顔に貼りつけたまま、「こうするんだよ」と言って手持ちの紫煙を大きく吸い込み、僕に口づけてきた。

 火事だ! と思うほど熱いキス。はあ、と流し込まれる毒は苦くて辛くて息苦しい。火災で煙を吸い込んだら死んでしまう確率が上がるんだぞ。でも、これは火災じゃなくて色恋の真似事だったから、僕らは一酸化炭素中毒で死ぬことはなかったし、火傷を負うこともなかった。ただ、ニコチンとタールと二酸化炭素を交換し合い、ぬるぬると舌を絡めて不味いフィルター越しの煙を味わっただけだった。タイラーが満足して唇を離すと、唾液の筋がつうっと顎にひっついて、そこだけなんだか冷たかった。

「どうよ。これが玄人の吸い方」

 得意げににやつく顔がやっぱりむかついて、僕は自分の煙草を一口吸うと、今度はお返しとばかりに彼に噛みついてやった。お前も火事かと思うほどの熱さと苦しさを味わえ! と思ったのに、タイラーは涼し気な表情でされるがままになっている。気に入らない。唇を離し、まだ味わいたかったのに、と口先だけの惜しみを表すその舌に、燃える煙草の先端を押しつけてやりたかった。僕の摂氏七〇〇度の怒り。

 その感情に気づいたのか、タイラーは笑うのをやめる。けれど、彼は慌てるでもなく焦るでもなく、ゆっくりと自らの舌をべろり、伸ばした。できるものならやってみろ、とでも言わんばかりに。赤く淫らに濡れた舌先が、すこし揺れて誘っていた。だから僕は、震える指先でつまんだ煙草を持ち上げる。彼の舌めがけてスローな動きで押しつけたそれは、悲鳴でなく嬌声となって部屋に響いた。じゅん、と。