ストロベリヰ vol.1

 ベンの勤めるドイツ銀行には「顧客を知れ」というプログラムがある。
 日本の企業における接待ほど親密にしろ、というわけではないが、すくなくとも顧客に一度は直に会っておけ、という程度の決まりだ。しかし、欧州の支店ならともかく、ここ東京支店では、日本人の性質に合わせたプログラムになりつつある。勤務時間外に行きたくもない料亭やら風俗店やらで顧客と顔を合わせ、仕事の話などほとんどせず、無意味な会合をする。精算の際に領収書を受け取るたび、接待交際費の無駄遣いだ、とベンは思った。

 今日も、アフターファイブなのにベンは新規顧客の趣味に合わせて、行きたくもない接待に向かっていた。待ち合わせ場所は、秋葉原駅JR電気街口。ほんとうなら、あまり直接人と関わらないトレードの仕事に集中したいのだが、まだ入社二年目のベンは金融商品のセールスマンでもあったので、仕方なく日本人の先輩社員と駅で顧客を待つ。帰宅時間帯なので、辺りは人でまばらに混み合っていた。相手を待たせてはいけないと、待ち合わせ時間の十五分前から、ただ突っ立って人を待つ行為に辟易する。株取引なら時間は命だが、無意味な会合にまで時間厳守を求める姿勢は理解出来なかった。そもそも勤務時間外に働くことが理解不能だ。残業時間には緩いくせに。

 ベンが内心うんざりしていると、目の前に一台のタクシーが止まった。本日の接待相手だ。車から降りてきたのは二人の日本人男性で、こちらと同じような壮年と青年の組み合わせ。お決まりの挨拶と名刺交換をしてから、車では入り込めない店へと向かう。徒歩で五分ほどの場所だが、その間ずっと「やっぱり外国人は背が高い」やら「イケメン」やら容姿のことに触れられて、さらに辟易する。前時代的な会話にも付き合わなければならないのが疲れる。態度が顔に出ないよう努力はしているが、楽しくもないのに笑顔で応対することが出来ないので、まだ言葉に慣れていないふりで乗り切った。

「お帰りなさいませ、ご主人さま♡」

 通りに面した場所にあるメイドカフェ&バー。角の丸っこい書体で「すとらっとん♡おーくもんと」と書かれた扉を開けると、少女趣味満載の格好をした店員たちに、きゃらきゃらと高い声で迎え入れられた。未成年の少女たちに見えるが、アルコールも扱う店なので全員成人しているはずだ。さらに言うと、全員男性のはずだった。今回の顧客の趣味はいわゆる「男の娘」と言うものらしく、娘のような女性の容姿と格好をした男性が集まるこの店を指定された。ちなみに、下調べでサイトを閲覧したベンは、店員を紹介するページに並ぶ幼い顔立ちの面々に、ほんとうに合法な店なのかと問い合わせてしまった。そのとき電話に出た店員は、一瞬ぽかんとしたように言葉を忘れていたが、遅れて「ちゃんと面接で身分証を確認しておりますので、ご安心ください、ご主人さま♡」と返答してくれたので、大丈夫なはずだ。

「ご主人さま、こちらが今夜のメニューになります♡ ただいま期間限定でスペシャルカクテルもご用意しておりますので、ぜひお申しつけください♡」

 予約席につくと、専属のメイドがメニューとおしぼりを持って来た。赤いチェック柄を基調とした英国風のワンピースに白いエプロン。胸元と腰には大きな赤いリボン。頭には白いカチューシャ。何処もかしこも大小様々なフリルがついていて、スカートの下にはたっぷりとしたパニエまで履いている。膝上まである白いソックスに包まれた脚は、少女のように細長い。倒錯的な格好の店員におしぼりを渡されたベンは、新宿の風俗店に入ったときより、ずっと居心地悪い気がした。

「……あの、ご主人さま、具合悪いのですか」

 顧客がメニュー選びに夢中になっていると、ふいに、注文を待つメイドがベンの耳元にそっと囁いた。驚いて横を見上げると、綺麗な青い瞳と目が合う。ダークブロンドの短い髪型をした彼は、ほかのメイドに比べるとずいぶんボーイッシュで、少女というより美少年といった雰囲気を漂わせていた。「何でもない。こういう場所に慣れないだけだ」とちいさな声で応えると、彼は同じく小声で「大丈夫ですよ、おうちだと思って寛いでください」とまた囁いた。その言葉に何故か肩の力が抜けたところで、隣に座る先輩からメニューを回される。ろくに目も通さず適当なものを選んだが、メイドの彼は「ご主人さま、お目が高いですね♡」と言って笑顔で注文を書き留めた。

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 馬鹿みたいに単価の高い飲み物を口にしながら、ほとんど仕事に関係のない世間話をして過ごす。たまに思い出したように金融商品の話になるが、契約に結びつくような身のある内容まで発展せず、口約束ばかりが交わされる。しかし、こういった会話の積み重ねが本契約に繋がるので、ないがしろには出来ず、ベンは例の言葉に慣れないふりでくだらない言葉を躱しつつ、何とか商品説明を挟んで接待を終えた。

 精算をするために席を立つと、あの青い瞳の彼が通り掛かったので、ベンは「さっきは助かった」と、つい声を掛けた。すると彼は「ご主人さまのためですから♡」と業務用のきゃらきゃらした喋り方で返事をして、エプロンの裾を摘むと片膝を曲げ「またのご帰宅、お待ちしていますね♡」とお辞儀をしてみせてから、ほかの席へと向かった。ベンはどうしてか、さっきのやり取りで聞いた彼の声の方が好ましいのに、と思いながらその背中をすこしだけ眺めていた。

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 駅で無事タクシーに乗った顧客を見送り、先輩とも別れる。
 電車で帰宅しようと改札の前まで来たところで、パスケースがないことに気づいた。コートのポケットに入れていたはずなのに、左右どちらにも手応えがない。端に寄り、スーツのポケットや鞄のなかも確認したが、見当たらなかった。何処かで落としたらしい。記憶をたどると、店でコートを脱いだときしか心当たりがなかったので、仕方なくもと来た道を戻る。夜でも煌々と明るい通りのなか、ハートの部分が赤く光る「すとらっとん♡おーくもんと」に辿り着き扉を開けようとすると、突然内側から人が飛び出してきた。

「あッごめんなさい!」

 ぼす、と胸にぶつかったのは、白いカチューシャをつけた頭。続いてベンを見上げる顔は、あの青い瞳の彼だった。「君はさっきの」と口にする前に、彼は手に持っていた何かをちいさく掲げる。「これ、あんたのだろ」見ると、それはベンのパスケースだった。「席の下に落ちてた。すぐ気づいたから間に合うかなって出てきたんだけど、すれ違いにならなくてよかった」はにかむ笑顔にネオンの赤色が重なって、肌がストロベリーのように艶々ときらめく。

「あ、言葉遣い。店の外だとすぐ地が出るんだよなあ」
「いや、その方が好ましい」
「そう? じゃあ、いいか。ていうか、パスケースにSuicaの定期とか面倒くさくない? おれはモバイル使ってるから、失くさなくて便利だよ?」
「それだと、万が一電源が入らなくなったときに使えない。リスクは分散すべきだ」

 きょとんとした表情をされる。
 しまった。こういう話をすると、たいていの相手に引かれる。ベンは、何事も不測の事態に備えて準備しなければ気がすまない質なのだが、そういうのは融通がきかない人間だと思われてマイナスな印象を与えるらしい。せっかく気遣って掛けてくれた言葉を否定するような真似をしてしまい、ベンは胸の内で舌打ちをした。しかし、彼は「ふ、」と表情を崩して笑った。

「あんた、うちが合法かどうか問い合わせてきた人だろ」

 今度はベンの方がきょとんとする番だった。

「あの電話受けたの、おれなんだ。変わった客だなあと思ったけど、ほんとに変わった人なんだな。でも分かる。無線のイヤホンとかあるけど、あれ、鞄のなかで探しづらいし充電するの面倒だから、まだコードのやつ使ってるんだ」

 これもリスクの分散ってやつになる? と小首を傾げる顔があどけなくて。はじめて自分の言葉をちゃんと受け止めて貰えたことに感動して。ベンは思わず彼の両肩に手を触れて言ってしまった。

「結婚しよう」

 彼の手からパスケースが落ちる。
 青い瞳が見開かれ、驚きの表情が広がった。
 ネオンの赤が映り込んで紫色にも見えるその瞳が、ぱちぱちと瞬くのを「綺麗だな」と眺めていると、彼は突然大声を上げた。

「ご主人さまとメイドは結婚出来ません!」

 すばしっこいウサギのように、ぴゃっと店のなかに引っ込んでしまった彼の耳は、気のせいでなければ赤く染まっていた。それはネオンの光のせいかもしれないが、ベンはゆっくりとしゃがんでパスケースを拾いながら「流行りの婚約指輪のブランドは何処だろう」などと考え、そういえば、彼の名前を聞いていないことを思い出した。店のサイトを見れば分かるかもしれないが、それよりもう一度会って、直接彼の口から聞きたいと思った。

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続編:ストロベリヰ vol.2