君のセックスを笑う

「ふは、」
 組み敷いているタイラーが突然ちいさく吹き出した。
 面白くてしょうがない、とでもいうように顔を片腕で覆い隠し、くっくっく、と続けて腹筋を震わせる。何がそんなにおかしいのだろう。わあわあと反響する男たちの歓声がふたりをけしかけるも、タイラーにはファイトの続きを真面目にする気がないように思えた。
 だったらギブアップしろよ、ともう一発こめかみに拳を振るうが、目測を誤って左耳を殴ってしまう。はじめて喧嘩をした日と同じ。「耳を殴った!」と騒ぐ彼の喚き散らす声を覚えている。でも、今夜の彼はいちいち騒ぎ立てなかったし、ギブアップする声も上げなくて、結局、殴り続ける拳が血まみれになったのを周りが止めるまで、タイラーは密かに笑い続けていた。

「何が面白かったんだよ」
 帰宅して彼の手当をしながら尋ねる。
 ファイトクラブであったことはその場限りのこと、とみんな割り切っているから、たとえ前歯を折られても顎を砕かれてもゲロを吐くまで腹を殴られても、バーの地下から上がればお互い貸しも借りもない対等な関係になる。それはふたりも同じだった。どんなにお互いを殴り合っても、それは恨みつらみとは関係のないこと。タイラーが何を考えて自分を笑ったのか、気になってしょうがなかった。
「あ? 言わなきゃだめか?」
「だめっていうか、気になるだろ」
「そこはだめって言えよ。だからお前はっきりしない臆病者なんだよ」
「そこまで言うか? じゃあ言うよ。だめ、言えよ」
 タイラーに批判されると、それが正しいことでも恥ずかしくて腹が立つ。自分の臆病さなんて自分がよく知っている。誰かに欠点を見透かされると、秘密を知られたからには相手を消さなければならないといきりたつ悪役のような残酷な気持ちになる。

 冷凍庫から凍ったグリーンピースの袋を出して顔にあてるタイラーは、相棒のそんな残酷な気持ちを知っていて煽るかのような挑発的な目で真っ直ぐに射抜いた。表情はにやついて、でも、傷のせいでちょっと歪んでいて。なんとなくモナリザの左右非対称な顔を思い出させた。同じじゃないから美しい、みたいな。
「いや、お前の喧嘩はセックスに似てると思ったんだよ」
 いきなり飛び出した単語にたじろぐ。
 セックスに似てる? なんのことか分からない。

「押し倒して、軽く愛撫して、相手が濡れたらペニスを突っ込んで……みたいな教科書どおりのファックみたいだなと思ったんだよ。喧嘩まで。つーか、いちいち順序立てて動いてるようじゃ喧嘩って言わねえか。お前のファイトは型にはまりすぎてる。お上品なんだよ」
 ここで、「どうして君が僕のセックスの仕方を知ってるんだ」と問い詰めたら負けだ。確かに、そういう教科書どおりの真面目で退屈な方法でしかしたことがない。だって、セックスの作法なんて誰が教えてくれるんだ? 父親か? 僕の父親は電話で毒にも薬にもならないアドバイスをくれるだけの透明な存在だ。彼も知っているはずなのに。

「おれが教えてやるよ」
 ぎょっとするほど近くにタイラーの顔があった。
 冷やして腫れのひいた彼の相貌は、驚くほど整っていて、まじまじと見れば見るほど女にモテそうだな、と思う。実際、セックスの相手には困らないのを知っている。真夜中から明け方まで発情期の猫みたいにきゃあきゃあとうるさい喘ぎ声を。あれが女のものなのか彼のものなのか、そういえばいままで考えたこともなかったな。
「何を教えてくれるんだ。喧嘩か? もう今夜はよそう」
「馬鹿、この流れならセックスの方だろ」
「はあ?」

 僕はジャックの処理落ちした脳みそです。
 タイラーの両手がおとがいに優しく添えられて、あ、キスされる、と思ったら──思い切り鼻に噛みつかれた。痛くて涙目になったところを「ははは、間抜けな顔してやがる」と笑われて怒りが立ち上る。カッとなっていきおい、彼の形のいい鼻に向かって頭突きをかました。がつん。鈍い音がして、タイラーが盛大に鼻血を出す。きょとん、と目を丸くする彼の鼻に噛みつき返して、血の味がするキスもおみまいした。

 僕はジャックの唾液腺です。
 舌を突っ込んで弄ると、意外にも彼はするがままにさせてくれた。舌を噛み切られたら噛み切り返してやる、と息巻いていたので拍子抜けしてしまう。熱くて湿ったベロ同士が擦れてざらざらした感触に背中が泡立った。壊れた唾液腺から口の周りがべちょべちょになるほど分泌されたよだれ。あのタイラーが大人しく男に口内を弄られているのかと思うと、下腹に血が集まるような興奮を覚える。
「ぷは」
 息継ぎすることも忘れていたので、やっと唇を離したときには酸欠間近だった。
 タイラーの分厚い下唇は、血と唾液の混じったものでてらてらと光っていた。てろり。彼が舌先を出してそれを舐め取る。扇情的に細められた眼差し。喧嘩で人を煽るときとは真逆の仕草なのに、「殴れ!」と煽るみたいに「抱け!」と命じられているような気がした。

//

 リビングの床でセックスなんてするもんじゃない。
 いや、リビングとも呼べない、カビてボロボロの絨毯が敷かれた床で、タイラーは相棒にファックされていた。そうだ、ファックだ。セックスなんてお上品なもんじゃなかった。くくっ、と喉の奥で笑えば、腹の中でやんちゃしてる相棒の怒張がさらに暴れる。馬鹿にされたとでも思ったんだろうか。こんなに可愛がってやってるのに。

 教科書どおりに愛撫なんてしようとする手をはたき落として、タイラーは「何がしたいんだ?」と聞いた。まだ鼻血の味が口内に残っていて気分がいい。相棒が勃起しているのには気づいていた。タイラーも勃起していたからだ。殴り合うとき、相手の胸なんか弄るか? しない。ファックしたいならそいつを突っ込め。はやく、はやく、はやく。
 がたがたん! とすごい音を立ててふたりは床に倒れた。相棒が突進してきて、タイラーを押し倒した。そんなに言うならやってやる、という顔だった。彼のこういう、追い詰められて本性を剥き出しにした顔を気に入っていた。
 ジャージのズボンを引き抜かれて、相棒がスラックスのベルトをカチャカチャ外す音がする。濡らすもんなんてないから、唾液を吐き出してケツに塗りつけられた。レイプされるみたいだな、と冷静に観察してしまう。でもこれはレイプごっこだ。さすがにいきなりちんこを挿入するのはためらわれたのか、指をぐりぐり差し込まれる。くすぐったくてくすくす身を捩ったら、パン! と反対の手でビンタされた。

「笑うな……!」
 必死の形相によけい笑いが込み上げてくる。でも、これ以上笑ったら続きはないかもしれないから口元に腕をあてて「悪かったよ」といちおう謝った。相棒はもう挿入に夢中で聞いていなかった。ぐ、と胎内に圧迫感。おめでとう、ちんこ入ったな。口にするのはやめておいたけれど、タイラーは代わりに喉を晒して祝福した。
 がぶり。喉仏に噛みつきながら、相棒が身体を上下に揺する。ちんこが入って、出て、入って、出て、肉筒がそれを追いかけてきゅうと食いついたり緩んだりして。なんで男のケツの中になんて性感帯があるんだろうな。こんなの、アナルセックスのために用意された器官じゃないか。と、前立腺を叩かれながら思う。神が人間を自分に似た姿につくったとしたら、神のケツにも前立腺はついてるのかな、とか。
「なんだよ、余裕だな」
「あは、はあ、な、神にも前立腺って、あると、思うか?」
「知るか」

 そして、冒頭である。
 相棒の怒張をさらに煽ってしまったので、タイラーは背中の肉が削げるんじゃないかと思うほどひどく身体を揺さぶられた。ごつ、ごつ、と頭が床にあたって地味に痛い。けれど、もはや相手のことを気遣わず、オナホか何かのように扱う彼には腹の底がきゅんきゅんしてしょうがない。ドーパミンとオキシトシンがどばどばに分泌されるのを感じる。ああ、もう、いく、いく。
 きゅうう、と突然収縮した胎内に引きずられ、相棒も声を漏らして射精した。
 どくどく、熱い精子が子をなすこともなく無駄に放たれて腐っていく。それが、たまらなくタイラーの気分をよくさせた。ファック生殖。相棒はもっと、欲望に忠実になればいい。もっとおれを求めて、もっとおれとひとつになればいい。

「くそ、」
 射精したことで冷静になりつつある彼は、後悔なんかはしなかったが、これでまたさらに戻れないところに足を踏み入れたことを悟った。ドン底へようこそ、と言ったタイラーの台詞を思い出す。ここがドン底なら、とことん底辺で暴れてやる。
「まだやれるよな」
「おれがいつギブアップしたよ」
 ふたたび股間に血が集まるのを見せつけながら、タイラーの脚を持ち上げる。にやりと不敵に笑う表情は、今夜のファイトで見せた表情と同じものだった。ファックと喧嘩も同じなのかもしれない。でも、いまここにはふたりしか存在しないので、今度は誰にもこの情動を止められなかった。地上になんか出てやるものか。地下でふたり、血が肉が境目が分からなくなるまでファックしてやる、と思った。