Drown

 「彼」を見初めたのがワラック邸のパーティーであったのは、ジャックにとって史上最悪の顔合わせだった。なにせ、彼──ひと目で心奪われた名前も分からぬブロンドの君は、寝室で数多の男たちにまとわりつかれ、暴かれ、誰のものとも知れない体液に塗れながら艶やかに微笑んでいたのだから。

 乱痴気騒ぎに慣れたジャックでも一瞬ぎょっとするような、暴力的なまでに淫猥なショー。ベッドに膝立ちの格好で両手に男のいちもつを握り、前に陣取った男と濃厚な口づけで唾液を繋げながら、後ろから伸びる手に胸をへそを股ぐらを弄られ、おそらく秘部をも犯されているであろうことが艶めかしい動きから分かった。
 ごくり、生唾を飲み込む。おそろしいほど淫らな生き物。だというのに、どうしてかその表情は柔和で、彼に欲望をぶつける男たちに許しを施しているようにさえ見えた。
──宗教画、というのはこういうものだろうか。
 それにしては不道徳すぎる。

 たまたま通りがかっただけなのに、ジャックはもう何分も彼から目を離せなかった。となれば、向こうもさすがに気づく。ふと、潤んだ瞳と視線がかち合って、ジャックはびくりと肩を震わせた。ぱちり、ぱちり。猫のようにゆっくりとしたまばたきを二回と、声には出さないメッセージ。
──あ、な、た、も、し、た、い、?
 途端に、腹の底がカッと熱くなって、ジャックは逃げた。
 まるで青くて情けない男のようだった。持っていたはずのシャンパングラスまで落として何処かへやってしまう始末。気づけば、レストルームの個室でスラックスに手を突っ込んで自慰をしていた。望めば相手はいくらでもいるというのに、いまこの瞬間、彼以外の選択肢は考えられなかった。けれど、あの輪の中に入るのはとても耐えられなかった。潔癖症なわけじゃない。若い頃は乱交に混じって誰のものとも分からない体液を口にしたこともある。そうではなく、自分以外の者が彼に触れていることに、耐えられるとは思えなかったのである。
 息を切らせ、手のひらに吐き出した精液をペーパーで拭う。
 これを、彼の中に注ぎたい。こんな紙ではなく、あの唇に性器の先をなすりつけて拭いたい。穏やかに微笑むその顔に、思いあまって放尿してしまいたい。そうして、それでもすべてを許され、もっと残酷で乱暴な思いの丈を彼の身にぶつけてしまいたい──。

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「ジェイ・ギャツビーからの招待状?」
「そう、これはすごいことだよ! あのギャツビーのパーティーに招かれたんだから!」
 周りがやたらとざわめくなか、ジャックはいまいちその興奮に乗り切れなかった。あの日からずっと、ブロンドの君が頭から離れなくて悶々としていた。そんなおり、映画祭のために訪れたニューヨークで謎の資産家なる人物からパーティーに招待されたのだ。ジョージが「ぜひとも行くべきだ」とすすめるから、冷やかし程度に顔を出してこようと思ったのだが。

「やあ、友よ」
 夜空に舞い上がる色とりどりの花火を背景に、その人が振り返る。
 きらめくブロンド、ちりちりと降る明かりに照らされる海のような青い瞳、上気して見える血色のいい肌、純白のスーツ。ゆっくりとしたまばたきを二回されて、あの日の記憶が蘇る。ぱちり、男に絡むしなやかな腕。ぱちり、顎をつたう艷やかな唾液。あの日あの部屋で熱に浮かされていた肢体がいま、目の前でしっかりと地に足をつけ美しい立ち姿でこちらに微笑んでいる。
「ジェイ・ギャツビーだ。よろしく」
 夢見るような表情で差し出された手に、一瞬遅れてジャックも握手の手を差し伸べる。
「ジャック・コンラッドだ」
「存じています。スター俳優の……映画祭で作品を観ましたよ。あなたのロマンスものはとてもいい。とくに口づけながら愛の言葉を囁くシーンがとても、よかった」
 続く台詞はありきたりだというのに、熱く交わる視線が別の会話にいざなう。

──あの夜の続きを、あなたも、したい?
──願わくば。
──それなら僕を口説いてみて、色男さん。

「ねえ、ジャック」
 いつの間にか思ったよりも近くに来ていた彼に気づく。遅かった。蜘蛛の巣に掛かった蝶のごとく、ジャックはもう身動きが取れなくなっていた。細く柔らかなブロンドの髪が頬に触れる。花のような匂い、彼の香水だろうか。いつだったか、白い花は見た目の派手さでなく、得も言われぬ香りで生き物を惑わすのだと聞いたことがある。
「あなたの口づけは、どんな味がするのだろう、ね」
 うっそりと細められた目がいたずらっぽくきらめいて。互いの呼気を感じるほど迫った唇に、ジャックの胸は少年のように高鳴っていた。触れたい。味わいたい。跪いて懇願してもいい。それほど切羽詰まった気持ちは、しかし、つい、とジェイが離れることで強制的にとめられる。

──続きは、僕の寝室で。
 気づけば喧騒にまぎれて立ち去る彼を、ジャックは馬鹿みたいにただ突っ立って眺めていた。ポン、と後ろで新しいシャンパンが開けられる音を聞くまで。けれど、その音で我に返ったあとはもう、誰に呼び止められようが一秒たりとも立ちどまらなかった。

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「息を切らせるほど急いできたの、可愛い人」
 ちょうどジェイがウイスキーを仰ぎ終わったタイミングで部屋に飛び込んだジャックは、居ても立ってもいられず彼の唇に噛みついた。琥珀の液体で湿ったそれは、蒸留酒独特の芳香とアルコールのせいでジャックの頭をくらくらとさせる。やっとの思いで触れた肌は、熱く甘く、まるで彼に酔ってしまったように錯覚する。いや、もうずっと酔わされている。あの夜から。

 ジャックが逸る気持ちで手元をおぼつかなくさせるなか、ジェイは落ち着き払って一枚ずつ衣類を床に落としていく。ジャケット、ネクタイ、ベルトを緩め、スラックス。純白のスーツを革靴で踏みしめてしまうも、彼は「気にしない、それよりもこっちに構って」とジャックのおとがいを両手で包みちいさく舌を出す。軽く食めばくくっと喉の奥からくすぐったそうな音が漏れた。
 靴を片方ずつ落とし、部屋の中央に置かれた重厚なベッドに彼を押し倒す。素足を堪能したくて、ソックスガーターをぱちりぱちりと外し、シルクのそれを引き抜く。日に焼けていない白い足首から続く爪先。たまらず、おとぎ話の姫君にするよう跪いての口づけを送った。

──ああ、慣れている。
 足の甲に唇を寄せても、ジェイはさもありなんといった態度で微笑ましい眼差しを向けているだけだ。同じことを何人の男どもにされたのだろう。僕がはじめてではないのか。身を焼かれるような悔しい気持ちに腹の底がふつふつと湧き上がる。優しくしたい、と同時に、とんでもなく酷いことをしたい。
 ジャックはジェイの肌に唯一残ったシャツのボタンに片手を添える。そして次の瞬間、それを一気に引き裂いた。びりびりになった布切れを捨て置き、肌着もすべて奪えば、生まれたままの姿を明かりのもとに晒す、なんとも心もとない格好のジェイ・ギャツビーが出来上がった。彼はちいさく震えていた。恐怖に? いや、興奮に、だ。
 心臓がばくばくと音を立てているのが分かる。獲物に食らいつく間際の肉食動物のように、ジャックは口内に唾液が溢れるのを感じた。自分がこんなに暴力的な一面を隠しているなんて知らなかった。知りたくなかった。しかし、引き出したのは目の前の彼だ。その身をもって鎮めてもらいたかった。

 責任転嫁していることは分かっていたが、ジャックはとまれなかった。
 喉に噛みつき、胸を引っ掻き、ろくに慣らしもしない秘部に分け入り、愛撫も忘れてジェイの身体を屠るように抱く間、彼がどんな顔をしていたのか。おそろしくて見ることはできなかった。

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 陵辱されたシーツの波に打ち上げられたジェイは死体のように大人しい。
 気を失っているのかと息を確かめると、彼は眠たげな表情でジャックの手に顔を擦り寄せてきた。よりどころを見つけてなつく仔猫のようだ。一瞬、ジャックは自分が彼に何をしたのか忘れて可愛がる仕草をした。けれど、すこし目をやればその身体に無体を働いた跡が嫌でも目に入る。
 噛み跡、引っかき傷、腰や腕には強く掴んだせいで指の跡が色濃く残っていたし、頬や尻たぶには引っ叩いたあかしの赤い跡がついていた。そしてなにより、あんまり虐めすぎて充血した性器と、乱暴に扱ったせいで腫れている秘部、生でそこらじゅうに出した精液があちこちにかかり、強姦されたあとのようであったのが胸を痛めた。
「っ、すまない……謝罪の言葉ではとうてい許されないことを、僕は、」
 ジャックがおのれの残虐さにおののいて泣きそうな顔をしているのを、ジェイは「可愛い人」とからかった。可愛い人。正直で、真面目で、美しい精神の持ち主。そういう人間の残酷さを引き出して遊ぶのがたのしいんだ、と。
「趣味がわるいでしょう」
 にこ、と笑ったつもりだろうに、その顔はどこか泣きそうでもあった。あとから思えば、きっと、彼は人を試さずにはいられないのだろうと分かった。誰も彼もがジェイ・ギャツビーの恩恵にあずかろうと近寄ってくる。身体を籠絡すれば思い通りになると考える連中もいる。そんなよからぬ思いを敏感に察知した彼の、精一杯の防御。

「でもね、あなたのことは、どうしても欲しかった」
 あの、はじめて出会った夜。
 誘いを掛けても乗ってこなかった様子を見て、ジェイはジャック・コンラッドという男が気になり、どうしても手に入れたいと願った。だから、やっと捕まえた獲物を逃すまいと、自分の武器をすべて使って口説き落とそうとしたらしい。それは成功したし、成功しすぎた、ともいう。ジャックは自制心を失くして襲いかかってしまったが、ジェイはそれをとてもよろこんだ。求められることは、たとえ仮初めであっても嬉しいのだと。
「いや、仮初めになどしないよ」
「おや、ではこんな淫乱男に本気だとでも?」
「もちろん」
 くすくすと笑って本気にしないジェイに、ジャックは真剣な眼差しで秋波を送った。彼がとても気に入ったらしいロマンス映画のように、恋人へ渾身の想いを打ち明けんと、左腕を取り、薬指から唇までひとつずつ口づけを落として台詞を口にした。愛してる、愛してる、愛してる。

 ジェイはきょとんとした表情でそれを見つめていたが、ジャックの恥ずかしくなるような仕草にみるみると顔を赤らめ、「役者っていうのは、おそろしい」と顔をうつむけてしまった。
 それが、淫蕩に慣れたさっきまでの彼とまったく違って、おそらくこちらがほんとうのジェイ・ギャツビーなのだろうな、と思ったので。キスで魔法が解けるというのは真実なのだな、と、ジャックも馬鹿みたいなことを考えてしまったのだった。