世界の何処かにいる、その人

──世界の何処かに俺を愛してくれる人が居る。

 その人は、黙っていればかっこよくて、笑うと馬鹿っぽい大型犬みたいで、喋るときいつでも頭に俺の名前をつけてるんじゃないかって思うくらいしょっちゅう「ジム!」と呼んでくる。

「ジム、ほんとにいいの……?」

 でも、いまは弱々しい声で伺うように俺の名前を呼んで、びびってるのかと思うくらいそうっと指先に触れている。替えたばっかりの新しいシーツに寝転がって、まだくっきり残った折り目をすすすと手でたどると、その人も俺に合わせて手を添わせる。さらさらした布の質感が気持ちよくて、その人の皮膚が温かくて、眠ってしまいそうになるけれど起きていたい。

「いいよ、今夜しよう」

 勇気を出したんじゃなく、自然とそうなるからそう言った、という感じ。俺がしたいんじゃなくて、その人がしたいからでもなくて、そうなるから──俺とドワイトは、今夜セックスをする。

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 同棲して最初の週末のことだった。

 深夜にベッドの隣でもぞもぞしてるドワイトの気配を感じて、あ、あれだ、と思いあたった。マスかいてやがるな、と。でも、考えてみれば俺たちは付き合ってもう一年以上経つのに、ずっと遠距離で会う回数も時間もそうじゃない奴らと比べればめちゃくちゃすくなかったから、キス以上のことはしたことがなかった。まだ十八かそこらで、ヤることしか考えてないって言われても仕方がない年頃だってのに。

「ドワイト」

 びくり、横になっていても分かるくらい彼の肩が跳ねた。ふつう、こういうとき声を掛けるのはマナー違反だ。けど、ドワイトは俺の恋人なんだし、なんでこそこそオカズ(俺のこと)(もちろんそうだよな?)を目の前に据え膳食らってるんだろう、と思う。だから名前を呼んだ。

「なんだよ、俺に内緒で何してんだよ」
「じ、ジム……! あの、あのさ……いやちょっと、いまは……」
「したいんだろ、なんで相談しないの」

 純粋な疑問。たぶん、売春してたときの嫌な思い出とかのことを気遣って、ドワイトは求めてこないんだろうなと想像はついた。でも、一言聞いてくれたっていいじゃないか。彼はあのときのクソみたいな連中とは全然違う。なのに、どうして我慢してしまうんだろう。ちょっと傷ついた。俺を、繊細なお嬢ちゃんと勘違いしてやしないか。

 素直にぶつかってみたら、ドワイトこそ繊細なお嬢ちゃんみたいなぴよぴよの顔をして、「うん、ごめん……でも俺いまちんこ出しっぱなしなんだよ……ちょっと、待って……」と泣きついてきた。それは、うん、俺もわるかった。

「ねえジム、仕切り直しさせてほしい」
「うん、俺もなんか、タイミングわるかった」

 ちんこをしまったドワイトとベッドに座って面と向かう。俺たちには手順ってものが必要だった。バージンを捨てるときみたいにかしこまって、まず「君とセックスしたい」なんてクソ真面目に確認してくるドワイト。それに俺が「うん、俺もしたい」と応じて。そうして、そこから先に進むにはもっとスマートな方法があるはずなのに、ふたりして固まってしまい進まないでいる。

「ぷっ、ばっかみたいだな、俺たち」
「へあ? あー、なんかだめだめだね、緊張してるのかな」

 沈黙に耐えきれず吹き出したら、間の抜けた声でドワイトも詰めていた息を吐き出した。くすくす笑い合って、ぼすんとベッドに倒れ込む。あーあ、慣れたもんだと思ってたのにな。でも、ドワイトと関係を持つのは正真正銘はじめてのことだから、慣れてなくて当然かも。ここでガンガン俺がリードしてたら泣きそうだよなこいつ。俺もそこまですれっからしじゃないってことか。

──世界の何処かに俺を愛してくる人が居る。

 そう思っていたことがあった。ノートを漁れば似たようなことを書き綴った日記が出てくるんじゃないかな。あのときの自分は、それが誰か知らなくて、でも祈りにも近い願望でそう記したんだと思う。

──なあ、その人はいま、隣に居るよ。

 黙っていればかっこよくて、笑うと馬鹿っぽい大型犬みたいで、喋るときいつでも頭に俺の名前をつけてるんじゃないかって思うくらいしょっちゅう「ジム!」と呼んでくる、その人。情けなく眉尻を下げてお伺いを立ててくる、ちょっとかわいくて、かなり愛おしい、ドワイト・インガルズという名の男は、どういう巡り合わせか俺のもとにやって来て、こうして同じベッドを分かち合っている。

「いいよ、今夜しよう」

 俺たち、いつかそうなるっていうなら、今夜そうなりたい。と思って、ゆっくりドワイトの顔に唇を寄せる。額に、鼻の頭に、唇に、福音みたいなキスを降らせて。それに彼が応えてぐるりと体勢がひっくり返る。押し倒された格好で、ちゅ、ちゅ、と顔中に降り注ぐ唇の雨にくすぐったさと幸福を感じる。じれったいほどの稚拙な愛撫。首筋に、喉仏に、鎖骨に下りていく唇が官能をしのばせてやって来たら、ようやく俺も身体が熱くなって、は、は、と呼吸が浅くなる。

「脱がせていい?」
「このタイミングで聞くのは野暮だろ。いいよ」

 寝巻き代わりのタンクトップをするりと奪われ、短パンと下着もまとめて脱がされる。外気に触れた肌がぞわっと寒気を感じ、感覚が鋭敏になったような気さえする。ちょうどいいや、いま、ドワイトから与えられる刺激を何ひとつ逃したくないと思ってたんだ。

「お前も脱げよ」

 ひとりだけ裸なのが寂しくて、彼のシャツとジャージを奪い取る。ドワイトの割れた腹筋があらわになったのを見て、ひゅー、と口笛を吹きたくなった。「鍛えてんじゃん」とからかうように言えば、にやっとして「まあ、恋人にカッコつけたいからね」とキザに返された。こういうところが敵わないなあ、と思う。

 俺たちは互いの全身をじっくり見て回って、触り合って、ほくろの位置から筋肉のかたちまでぜんぶ記憶するかのように用心深く確かめ合った。もし、いまここに粘土があったら、俺はドワイトの彫像を見事に作り上げることが出来ると思う。それくらい、隙間なく指も唇も滑らせた。もちろん、性器のかたちもばっちりだ。

 ドワイトのはびんびんに勃ち上がってて、俺の太腿とか腰のあたりに触れるたび熱い血潮をどくどくと感じた。そこだけ別の生き物みたいに言うことを聞かないみたいで、しょっちゅう俺の何処かに収まる場所はないかと探してるようだった。「しゃぶってやろうか?」と聞いたら、「出ちゃうからだめ」と断られる。

「はじめてはジムの中がいい」とねだる彼がいじらしかったので、俺は両脚を開いて尻のあわいを晒した。そこにドワイトがブツを擦りつけてきて、先走りでじわじわと濡れるそこに指を入れられて、あっという間に開かれていく身体に心が追いつかなくて。

「ねえ……っ、いまならまだやめられるよ?」

 この期に及んでまだ俺のことを気遣う彼の、優しさなんかじゃない、俺に嫌われたくないっていう臆病さとか弱さのかけらが落ちてきて。こいつ泣きそうだなって思ってたのに、俺の方がびしょびしょに泣いてて、びっくりした。

 嫌われたくないのは俺の方だよ、ドワイト。だって、お前はいつだってきらきら輝いてて、木漏れ日から差す太陽の光みたいに柔らかいけど目を焼く存在なんだ。俺は影を探して逃げようとするけど、そっちは凍えてしまうからって、温かい手が追いかけてきて掴んでくる。それがお前。

「だからっ、このタイミングで聞くのは……ばか……っ」

 ぐいっとドワイトの首を引き寄せて、鼻筋に噛みついてやった。彼はぎゃっと声を上げて、でも離れることはしなくて。「挿れろ」となかば脅すように低い声で言ってやったら、俺の覚悟が伝わったようで、「ひゃい」と腑抜けた嬉しそうな表情で動きを続けた。

 挿入までほんとうにじれったかった代わりに、ドワイトのが俺の中に収まってからはもう嵐のようにしっちゃかめっちゃかだった。俺たちはやっとひとつになれた恋人同士で、十代で、溜まってて、性欲のかたまりだったということを思い出した。内臓を突き上げる彼のブツは硬くて熱くて激しくて、喉から飛び出るんじゃないかと心配になった。いや、そのときはそんな余裕はなくて、このかたまりを離したくないと必死に締めつけてびくびく痙攣していた。

「ジム、じむっ、はあ、あっ……好き、すき……」

 馬鹿の一つ覚えかと思うほど名前を呼ばれたし、好きと言われたし、たぶん愛してるとも言われた。どれも記憶にはあるけど、思い出そうとするとそのときのめちゃくちゃな快感まで再生されるからそうっとしまってある。

 嵐の後の静けさ、なんて言葉があるけど、俺たちのセックスは全然静かにならなくて、そんなに安物でもなかったベッドがすごい勢いでぎしぎし軋む音とか、互いの肌がぶつかる音とか、耳を塞ぎたくなるほど卑猥な水音とか、漏れ出た喘ぎ声とか。深夜の騒音で苦情が来るんじゃないかってほどいろんな音を立てて、叫んで、それを抑えようとして、失敗して。

 竜巻の渦巻くような、遠心力でどっかに飛んでいきそうな感覚がずっと続いて、「あ、いく」と思ったときにやっと静止出来て、どくどくと注がれるドワイトの精液が、俺の腹の奥をじんわり温めるのにまた泣けてきて。それを彼がキスで拭ってくれたのにもよけい涙が出て。

「いやだったの?」

 と、そんなこと思ってもないくせに聞いてくるドワイトを睨みつけて、「すきだからないてる」と返した。彼はちょっと目を丸くさせてぱちりぱちりと瞬きしてから、「だと思った」と口角をにぱっと広げて、あの木漏れ日から差す光みたいな笑顔を見せた。

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 世界の何処かに居ると思っていたその人は、黙っていればかっこよくて、笑うと馬鹿っぽい大型犬みたいで、喋るときいつでも頭に俺の名前をつけてるんじゃないかって思うくらいしょっちゅう「ジム!」と呼んできて──セックスのあとはいつも、「ジムのこと、世界でいちばん愛してる」って顔してキスをしてくれるのだった。