//かわいいオオカミ男さん
「先輩、素敵ですよ」
「嘘つけ、顔が笑ってる」
「本当ですって! 似合ってる、可愛らしいです」
こんな図体のでかい男を捕まえて「可愛らしい」と称するオーガストは、フルーツパンチの入った紙コップを持ってくすくすと笑いをこらえきれずにいる。冗談なのだ。きっと。僕たちは、遠い親戚みたいに顔もよく知らない同僚の家で開催されたハロウィンパーティに来たものの、どこか馴染めなくてずっと隅でパンチを飲んでいた。アルコールの量が少なくて、だいぶ甘すぎるそれは、舌にいつまでも残って何杯も飲めたものじゃなかった。
「そう、オオカミ男って感じで、ふふ。に、似合ってます」
とうとう吹き出した後輩の視線の先には、犬の耳。スーパーマーケットのレジ横に並んでいるような、イベント用の被り物をつけた僕がいた。安い布製の茶色いふさふさした犬耳は、このパーティを主催した同僚の子どもに、入り口で渡されたものだ。「おじさん、仮装は?」と聞かれて「してこなかった」と答えたらくれたのだ。たぶん、丸腰で来た人物には渡すように言われているのだろう。他にも犬や猫の耳をつけた仲間をちらほら見かけた。
「お前はなんで貰わなかったんだ」
「俺はほら、吸血鬼だって言って見せたら信じられてしまって」
にやりと見せつけられたオーガストの八重歯はやけに尖っていて、たしかに吸血鬼といえばそう見えるかもしれないが、そんなのは屁理屈だ。理不尽さを感じながらもう一口パンチを飲む。果物の澱がたまったような味。やっぱり甘すぎて、続けて飲む気が失せてしまった。切り分けられたケーキ、デリバリーの、味の濃いチキンや飾りだけのサラダ。アルコールのつまみ。冷めてしまったピザ。こういう家庭的なパーティは慣れなくて、何が楽しいのか、談笑する人々を眺めながら帰る機会を伺っている。
「そんなに帰りたいんですか? 顔が死んでますよ」
「お前はまだ居たいのか? 僕はもう限界だよ。このパンチも甘すぎるし」
「まあ、居心地はよくないですけど、平和な感じでいいじゃないですか」
それを聞いて、ふとオーガストの横顔を見つめると、彼は周りの様子を見ながら表情をやわらかくしていた。めずらしい。いつも仕事で緊張感をはらんだ、ぴんと張り詰めたような空気が消えていて、彼本来のものなのだろう、朗らかな様子が見て取れた。思えば、この後輩はいつだって、人の薄暗いところを見つめる仕事をしていて、こんなに明るい場所は久しぶりなのだろう。すこし眩しそうに、目を細めて人々を見つめる眼差し。どこか安心したような顔つきなのは、つかの間の平和を味わっているからなのだろうか。僕たちはもうしばらくここに留まることにした。彼に平穏な時間を過ごしてもらいたかったのかもしれない。
「オーガスト」
名前を呼び止めて、振り向いた彼の、落ちた前髪を梳かすように撫でた。甘やかしたつもりだったのだ。それを、オーガストは驚いたような目で見つめてきた。手の中の紙コップがくしゃりと変形している。こぼれてしまうぞ、と言おうとしたところで、「帰りましょう」と腕を掴まれた。
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二人で帰宅するやいなや、オーガストは甘ったるくキスをねだってきた。あんなにアルコールの薄いパンチで酔ったのかと思ったが、違った。彼はほとんどシラフだった。重たいコートを脱がされ、上着を雑に剥ぎ取られ、すこしずつすこしずつ逃げ場を塞いでいくように壁に追い込まれる。何がそんなに彼を煽るのかわからなかった。
「待て、オーガスト、待て、だ」
「待てませんよ。そんな、犬に言うみたいに」
「変わらないだろう、さっきの耳をつけたらどうだ」
コートのポケットに入ったままになっている犬耳を思った。オーガストは、「それはいい考えだ」と言わんばかりに目をにやりと弧にしてそれを取ってきた。すこしひしゃげていたが、まだちゃんと耳は立っていた。「どうです? 似合いますか?」と伺う彼はちょっと滑稽だった。作り物の耳はどう見ても浮いていたし、頭にちょこんと乗ったものだけがやけに可愛らしくてちぐはぐな感じがした。けれど、嬉しそうに自分のもとへ近寄ってくるのを見れば、それらしくて「似合う」としか言いようがない。
ほんとうの犬みたいに健気に上目遣いをしてくる後輩は、自分の立場を十二分に利用している。年下で、先輩によくなついている後輩という。内心に飼っている獰猛な部分をうまく隠して、まるで従順な動物みたいにお行儀よくしている。そんなガラじゃないくせに。とは言わなかった。いちおう、大人しく「待て」をしている彼の頭を撫でて、その従順さを愉しむ。なんとなく、猛獣を飼いならしている気分になった。
「おすわり、と言ったら怒るかい?」
「待ても限界なのに?」
はやく獲物にかぶりつきたくてしょうがないみたいに、オーガストの目がきらりと光る。そこには彼の獣性が秘められていて、飼いならそうとしても飼いならしきれない意思が宿っていた。「もういいでしょう?」と訴える目。餌を前にした肉食獣の目。僕はそれを待っていたような気がして、「よし」と言った。
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犬はいつから獣性を捨ててしまったのだろう。いや、人に飼いならされていない犬は獣性を捨てていなくて、野生の獰猛さでもって獲物にかぶりつくのだ。そんなことを考えながら、オーガストに抱かれていた。彼のセックスは、まさに捕食という感じで、僕はいつも野獣に喰われる人間の役をしているみたいだと思う。もしくは、ライオンに喰われるシマウマとか。
乱暴、という意味ではなくて、激しい、というのが正確な気がする。挿入するときは、痛みを感じないようにとよく慣らしてくれるし、ほんとうに力を込めて噛んだり引っ掻いたりすることはない。彼はよく僕の肌を噛んでくるが、それだって、軽く跡が残る程度の可愛いのもだった。ただ、貪るように肌を舐められ、内臓を検分するように探られるのに慣れないだけだ。
「お前のほうがオオカミ男みたいだな」
とっくに取れてしまった犬耳。パーティで言われた嫌味をいまさらになって蒸し返すと、オーガストは愛撫に夢中になっていた顔を上げて「そうでしょう」と舌なめずりをした。
「今夜は満月だったかな」
「どうだったか……でも、あなたの前ではいつだって獣ですよ」
「ふ、ああっ、オーガスト!」
ぐり、と奥を突かれて声が上がってしまう。さっきまでの貪るような愛撫は激しい律動に変わり、だんだんと獣性を表してくる彼の動き。なかのいいところにこすり付けられる性器が気持ちよくて、思わず甲高い声で喘いでしまった。こんな、みっともない声は聞かせたくないのに。オーガストは僕の声を聞きたがる。獲物の断末魔でも愉しむみたいに。
彼の薄暗い趣味というものを受け止めている感じがした。まさか、仕事で悲鳴を聞きながら勃起するような男じゃないとは分かっているけれど、サディストの素質は充分ありそうだな、と思う。そういう彼に付き合う自分はマゾヒストか? と聞かれれば、すこしためらうが頷いてしまいそうだった。彼には自分でも知らなかった被虐の趣味を引き出されているようで、すこしこわい。こわいが、好奇心が頭をもたげてしまうのも同時にあって、正直彼を責められない。
オオカミ男は、思う存分、欲望の丈をぶつけてきた。がつがつと音がするんじゃないかと思うくらい激しく揺さぶられると、抱えられた脚がぶらぶらと揺れるのが見える。ぐるぐると下腹に渦巻く快感を逃せなくて、ぎゅううとオーガストの腰を脚で挟む。彼は動きを妨げるそれにもかかわらず、ぐちゃぐちゃと強かに後孔を犯し続けていた。
「おッがすと、待て、まって、つよい……!」
「ッ強くしてるんです。好きでしょう、激しいの」
オーガストが息を切らせながら応える。がる、とむき出しになった犬歯が見えた。僕たちはきゅうきゅうとお互いを抱きしめ合いながら強くつよく繋がろうとする。肉体の境目が溶け合ってしまうのを願うように。けれど、実際は皮膚に阻まれてそれは叶わない。なるほど、食い破りたくなる気持ちも分からないではないな、と思った。もちろん、冷静にそんなふうに考えられたわけじゃない。オーガストの激しい律動は、脳まで揺さぶってもう何も考えられなかったから、こんなのは後から考えたことだった。そのときは、溶け合ってしまえると思った。そうして、溶け合ってしまったとさえ思えた。オーガストが射精した瞬間、熱で頭が蕩けたように。
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「あなたが煽るから」
「煽ってない」
「パーティ会場で誘ってきたでしょう」
髪をこう、撫でて。と言われ、それが誘惑の合図になってしまったのかと反省する。甘やかすつもりが、とんだお誘いになってしまったとは。
オーガストは取れてしまった犬耳をまた被って、がじがじと僕の首筋を噛みはじめた。皮膚をちょっと引っ張るくらいの甘噛。きれいに整った歯列が肌の上を滑ってゆく。跡も残らないほどやさしい噛み方だった。「可愛らしいオオカミ男さん、そんなのじゃあ僕は食べられないよ」と言うと、「いまは味見をしているところですよ」と返ってきた。彼の唇が胸に降りてゆく。鋭い犬歯に乳首を引っ掻かれて、「あっ」と声が出てしまった。にやり、オーガストの笑う気配。「いただきます」と言って、胸をがぶりと噛まれた。
「ん、あっだめ、オーガスト!」
仔犬が母犬の乳をもとめるような、おっぱい飲みの格好で、ちゅうちゅと乳首を吸われる。セックスの後で感じやすくなっているせいもあって、ただ吸われているだけなのに快感を拾ってしまう。ぴりぴりと乳首の先から何かが上がってきて、そこから電気信号を送られているみたいに下腹部にまで気持ちよさが伝わってくる。かぷかぷと甘噛され、乳房を揉まれ、出るはずのない乳が出そうな感覚に、ひくりと喉が鳴った。
「お、がすとッ、やめっ、ああ、」
オーガストの髪を掴んで止めさせようとするが、彼は僕の弱々しい抵抗など物ともせずに愛撫を続けた。左の乳房を吸う傍ら、右の乳房を指でふにゅふにゅと揉みしだき、乳首をくりくりとこね回す。それがまたぴりっとした快感を生んで、もう腰が砕けてしまいそうだった。髪を掴んでいた手は「もっと」ともとめるように彼の頭を撫ぜていた。無意識だった。最後に、彼の鋭い犬歯が乳首をきゅうと噛んだ瞬間、僕は感極まってしまい、オーガストの腰を太腿でぎゅうぎゅうと挟みながらいった。
いった後も、オーガストはやわらかく乳房を吸い、甘えるように僕の胸に顔を寄せてくる。ちょうど犬耳がふわふわと視界に入って、大型犬がじゃれついてくる様子に似ていたので、ほんのすこし。ほんのすこしだけ犬にでも舐められているような気がした。
「あ、は、オオカミ男じゃなくて母親の恋しい仔犬みたいだな」
息を整えながら喋ると、オーガストが顔を上げて「ワン」と鳴いた。それが何だか意味もなく庇護欲をそそってしまい、僕は彼の顔を犬でもかまうようにわしわしと撫でた。オーガストはそれを気持ちよさそうに受け入れて、くんくんと僕の手にすっと筋の通った鼻筋を押し付ける。そういうプレイみたいだな。と思いながら、僕はいつまでも手のなかの大型犬を離すことができなかった。