10. ここでキスして

──落ち着かねー……

 と、JDはそわそわ膝を揺すっていた。白を基調とした高級感あふれる内装のレストランは、何処もかしこも清潔で清楚で、スープの一滴でもこぼして汚したらすぐさま追い出されるんじゃないだろうかとヒヤヒヤする。

「なに緊張してんだよ。肉好きだろ、食えよ」

 でかい皿にちょんと盛られた赤身のかたまりの周りに、色とりどりのソース(でなけりゃ絵の具)が添えられていて、芸術的なのは分かるのだけれど、食欲が湧くかというとそうはならない絵面をしている。

 ウェストリーが連れてきてくれたのは、普段着じゃ入れない創作フレンチなる料理の店で、JDは今日のために生まれてはじめてスーツに袖を通した。もちろん、自分じゃ持ってないから彼のものを借りて。最初、「仕立ててやろうか?」と聞かれたのだけれど、まさか一回しか行かない店のためにそこまでしてもらうわけにはいかないと、なかば強引に細身のカジュアルスーツを引っ掴んで貸してもらった。

「借りてきた猫……いや、犬だな」

 何が面白いのか、にやにやしながら牛だか豚だか鶏だかの肉を切り分けるウェストリーは、こういう場所に慣れたふうで感じがわるい。恥をかかせて面白がってるようにしか見えない。

 テーブルマナーなんか知らないし、店に入るときコートを預かる人間がいることにも驚いてしまったのがまだ恥ずかしいし、メシの量は少ないし、とか。JDはここが嫌いになりつつあった。ウェストリーのことも嫌いになりつつありそうで嫌だった。

 それでも、せっかく彼が連れてきてくれたのだからと我慢していたのに、ラストで出てきたチョコレートの飾り付け満載のデザートが食べづらくて、JDはもう限界だった。

……帰る」
「は?」

 マナーだとか支払いだとかのこともお構いなしに、衝動的に席を立って走り出した。後ろでウェストリーの焦る声がしたけれど、JDは預けたコートも受け取らず店を飛び出してしまった。走って、走って、イルミネーションの眩い街路樹の影で、やっと息がつけた。そうしてすこし落ち着いてから、自分がとんでもない失態を犯してしまったのではないかと不安になってきた。

 きっといまごろ、ウェストリーは失望しているだろう。迷惑も掛けてしまった。そう思うと、また落ち着かなくて泣きたくなって──「おい、馬鹿……なに泣いてんだ」息を切らせて追いかけてきたウェストリーが、目の前にいた。「いや、馬鹿は俺の方か」と額に手をあてて困った顔をしている。

「お前、ああいう店入ったことないって言ってただろ? だから……

──男ってのは、どうしても「はじめて」を欲しがるモンなんだよ。お前の「はじめて」の体験に浮かれてたけど、どうやら間違えたな。わるい。

 弱気の口調がめずらしくて、謝る彼もめずらしくて、息を切らしてまで追いかけてきてくれたのが嬉しくて。JDは、涙を拭ってくれるウェストリーのちょっと冷たい手を掴んで言った。

「デザート食べそこねたからさ、キスしてよ。そしたら許す」

 もちろん、チョコレートよりも濃厚でとろけるようなそれに、JDはウェストリーを許したし、嫌いなあの店のことも、ちょっとはよかったかも、量は少ないけど。と思ったのだった。