──とある恒星の発する光が地上に届くには、距離の分だけ時間がかかります。
──たとえば、夏の大三角形のなかでいちばん地球に近いアルタイル。あの星は地球から十七光年の距離があるので、アルタイルの光が地上に届くには十七年の時間がかかるということになります。マイルで換算すると、九十八兆マイル以上。想像がつかないでしょう、天文学的数字というやつですよ。次に遠いのはベガ。地球から二十五光年離れています。だから、僕たちはいま、二十五年前に放たれた光を見ているんです。
「へえ、そう言われてみるとすごいもんだな」
ハリウッドの乾いた夜空の空気に、甘やかな低い声が響く。星空を眺めるクリフさんの横顔。日差しで傷んだブロンドが、にぶく金糸の輝きを放っていた。僕たちはトレーラーハウスの屋上に並んで寝そべり、夏の天体観測にいそしんでいる。
相手と会える日のかぎられている人間というのは、どうしても数すくないそのひとときを特別なものにするため画策してしまうらしい。「明日の夜、会えないか」という電話を受けて咄嗟に、「明日の夜なら晴れているし、独立記念日の花火より地味かもしれませんが、一緒に星を見ませんか。ちょうど夏の大三角形がきれいに見えますよ」と、口にしていた。
「へえ。いま、隣のドライブ・イン・シアターが改修工事で休みなんだ。暗いから、トレーラーハウスに上ったらよく見えるだろうな」
「いいですね。仕事がすんだら寄ってもいいですか」
つとめて平静を装ったけれど、ほんのすこし声に期待が乗ってしまった。「もちろん」と応えたクリフさんは、笑いをこらえているみたいに「楽しみだよ」と言った。僕もです、と声に出す前に、電話口の向こうでいきなり人々の声がざわめき、「おっと、時間だ。悪い。明日待ってる」と通話を切られてしまった。送迎の待ち時間。あの人を待つ間、どんな感情が僕に連絡させようとしたのだろう。さみしさ、せつなさ、むなしさ。それとも、ポジティブな感情でもって会いたいと電話をくれたのだろうか。その答え合わせは一生できないと知っているので、僕はただ、明日の夜になったら彼に会えるという事実だけを胸にとどめる。
トレーラーハウスの屋上は、大人の男がふたり並んで寝そべっても余裕のある幅だった。それでも、まるみを帯びたへりから落ちないよう、距離をつめて寄り添う。古びた毛布を背中に敷いて、雲ひとつない満天の星空を望んだ。あれがアルタイル、あれがベガ、とプラネタリウムの解説者みたいに説明する僕の言葉を、クリフさんはひとつずつ相槌を打ちながら聞いてくれた。
「さすが本職だけあって何でも知ってるな。おれに分かるのは北極星くらいなもんだ」
あれは一年中ほとんど動かないからな。方角を確かめるために覚えた。ほら、あそこにあるのが北斗七星だろ。そんで、ひしゃくの先をたどっていくと……あれだ。北極星。こいつがいる方角は北ってわけだ。とまあ、おれのヘタな講釈はここまで。
「大三角形とくれば、もうひとつ星があるんだろう。なんて名前だ?」
「デネブ。地球からいちばん遠い星。距離は、約一四〇〇光年です」
位置を示そうと伸ばした指に、そっとクリフさんの手が添えられた。
「この指先と星の間に、一四〇〇年分の距離があるってわけか。遠いな」
僕は、そうですねと応える言葉を飲み込んだ。彼の眼差しは、星よりずっと近いけれど、永遠とも思える彼方を見つめていた。
自分の気持ちが相手に届く時間というのは、距離に換算するとどれくらいかかるのだろう。一年、二年、それ以上。九年という時間の距離は、星と地上の間よりずっと遠いのですか。だから、あなたの放った気持ちは九年かかっても、まだあの人にかすりもしないのですか。だったら、僕の気持ちなんて、永遠にあなたに届くわけがない。
光は宇宙における最大速度でもって万物に届く。
僕とあなたの物理的な距離はいま、一光年の一万分の一よりも近い。けれど、こころというものは宇宙空間よりずっと広いのだろう。でなければ、どうしてこんなにもきらめく愛情の光が、あの人に届かないのだろう。
僕たちは夜毎、死にゆく星の最期のかがやきを目にしている。万物はたえず死んでは生まれ、生まれては死んでいく。何十、何百光年と離れた恒星が爆発した瞬間の光は、何十年何百年と経ってようやく地上に届き、まるでまだその星が生きているかのように錯覚させる。そんなふうに、あなたの気持ちも死んでから途方もない時間をかけてあの人に伝わるのだろうか。もし、そうなら──。
僕は、胸の内でしずかに願う。もし、そうなら。永遠とも思える彼方の距離をひた走るかがやき。それを、僕に見守ることを許してほしい。あなたの光が、あの人のこころに届くまで。