//Untitled
スクリーンにクラッパーボードが映る。 カラー、サウンド有り。最初はピントが上手く合っていなくて、ボードの文字が読めなかった。すぐに調節され、ぼやけていた文字が像を結ぶ。本来ならシーン・カット・テイクの上に書かれるはずのタイトルは空白のまま。カチンと音が鳴る。すかさず去ったボードの裏に映っていたのは、リック・ダルトンの姿だった──。
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//side C.
一九六九年、十月二十一日。
その日、クリフはいつも通りシエロドライブにあるダルトン邸の駐車場に自分の車を停めた。午前七時二十三分。昨日の夕方さんざん「朝七時半、キャデラックに乗って待つこと」と約束したのに、隣に並んだ車の中は空だった。まあ、いつものことだ。リック・ダルトンはプロ意識の高い役者だが、八月に起こったとある事件からこっち、酒を飲む機会が増えたので朝は緩みがちになっている。
あの事件がきっかけで、あちこちのパーティに呼ばれるようになったボスは、しばらく大忙しだった。テレビで報道されたおかげで、誰もが「あの夜の真相」なる話を聞きたがったせいだ。もちろん、世間の期待に応えるべく、ボスはスタントダブルと自分の武勇伝を聞かせて回った。生々しい描写はボカシつつ。だが、こういう話はシラフじゃ出来ない。役者らしくボディランゲージを交えて、マルゲリータ片手に語るボスの姿は、ちょっとした名物になった。プレイボーイマンションにまで招待されたときは「クリフお前も来い!」と言って連れて行かれた。バニーガールと並んだボスを拝めたのはいい思い出だ。
こうした夜毎の外出三昧は、いくつかの実を結んでくれた。
ひとつは、顔と名前を売りまくったおかげで、ボスの仕事が決まったことだ。ドラマや映画の出演が何本か決まり、悪役だけじゃない、頼れるタフガイとしての役がまた回ってくるようになった。いま撮影中のクライムアクション映画も、主人公に助言を与える先輩という役どころで、登場回数も多い。もうひとつは、クリフにも仕事が回ってきたことだ。あの夜お別れとなるはずだったボスとのロデオは、まだ続くらしい。事件の翌朝、プレーンとシナモン&レーズンのベーグルを持って病院に駆けつけたボスは、契約の解消を撤回した。「お前を雇い続けるためなら、どんな端役だって受ける。何としてでも稼ぐ。だから、もう一度おれのスタントマンになってくれ」こんなに熱烈に口説かれて、頷かないわけにはいかない。クリフはまたリックの隣に立つことになった。さいわい、負傷した脚はピンピンとしているので、この撮影からリハビリがてらカースタントに勤しんでいる。
しかし、実を結ばなかったこともある。
フランチェスカとの結婚生活だ。ハリウッドに降り立ったその夜、凄惨な事件に巻き込まれたうえ、夫は妻を気遣うことも忘れてスタントダブルとの面会にご執心。言葉が通じないのにフォローしてくれない、夜は自分を置いて出掛けてしまう、家を売る話を隠していた、などと理由はいくつも挙げられたが、何よりいちばん不味かったのは、クリフをふたたび雇ったことだった。
「あいつは連中にわたしを差し出したのよ!」
怒髪天を衝く勢いで、クリフの解雇を要求したフランチェスカと話し合おうとしたリックは、しかし、しくじった。二人ともに気の長い性格ではなかったので「何であんなやつ側に置いとくのよ!」と怒鳴る妻相手に、売り言葉に買い言葉で「おれにはクリフがいちばんハマるんだ!」などと怒鳴り返してしまったらしい。のちに「あの女は火炎放射器より熱かった」と称されるように、フランチェスカは火を吹いた。「くそくらえ! あの野郎と心中してくたばれ!」とイタリア語で数々の罵り言葉を吐きまくって去った。
後日、離婚届と慰謝料の請求、それから「クリフ」と刻印された中古の首輪が届いた。ボスは「ブランディと間違えたのか?」と首を傾げていたが、クリフはフランチェスカの気持ちをくみとり、革製のそれを丁重に引きちぎって捨てた。いまはどうやら、凄腕のガンマン役をもぎ取りイタリアで男を撃ちまくっているらしい。出稼ぎから返ってきたスタントマン仲間が、そう噂しているのを聞いた。
そんなわけで、連日のパーティと離婚のストレスで酒量が増えたボスは、出掛ける時間ギリギリまでベッドのシーツを離さなくなった。クリフの新しい仕事は、そんな彼の手からシーツを引っ剥がして頬を撫で「あと五分で支度しろ」と急かすことだ。ボスが超特急で身支度を整え、鞄を引っ掴むまでの間に一服する。それがクリフの朝のルーチンになった。約束の時間五分前にはボスの家に着いていること。隣の車内を確認すること。姿の見えないボスを起こすべく合鍵で家に入ること。クリフは車を降りると、鮮やかなグリーンドアの鍵穴に合鍵を差し込んだ。いつもの朝だった。次の瞬間までは。
室内はしんと静まり返っていた。しかし、壁から落ちたポスターやひっくり返った調度品、床に残る複数の靴跡などが、明らかに何かよくないことが起きたという事実を物語っていた。すかさず壁を背にして周りを見渡す。人の気配はなかった。物陰をチェック。寝室をチェック。ゲストルーム、バスルーム、ありとあらゆる空間をチェックする。無人、無人、無人。顔を片手で覆い、短く息を吐く。逸る気持ちを抑えて冷静に状況を判断した結果、この家の何処にもリックがいないことを確認した。
クリフの脳がフル回転する。
おれは昨日の夕方、確かにボスを家に送り届けた。玄関先で明日の予定を確認した。ボスは家に入った。扉を締めた。いつも注意しているから鍵はきちんと掛けたはずだ。しかし、さっき入るとき鍵穴の周りはきれいだった。こじ開けた形跡はない。玄関の床を見ると、靴跡が一、二。二種類。サイズは十二インチ前後。ガタイがいいな、二人組か? どうやって入った? 足元に、ひしゃげたピザの箱が転がっている。ボスがいつも頼む店の物だ。中身はペパロニだが、手もつけられないままぐちゃぐちゃになっていた。脅されたのか仲間なのか、配達員に扉を開けさせたな。呼び鈴が鳴って呼ばれたボスは、まんまと引っ掛かったわけだ。クソッ。だが、すぐに気づいて抵抗したはずだ。玄関周りの荒れた様子から分かる。待て、この紐はボスが部屋着の上に羽織るガウンの物か? ファック! あの格好で攫われたってのか!?
時間にしてものの数秒でクリフは事態を把握した。
いまのところ目的は分からないが、リックは拉致された。無防備な姿で。昨日の夕食時に攫われたのなら、今頃何処にいてもおかしくなかった。すくなくとも十二時間以上は経っている。ハイウェイに乗っていたら捜索すべき範囲はさらに広がる。追いつけないかもしれない。ファック! 十二時間だぞ。間抜けにもほどがある。鈍ったな、クリフ・ブース。お前は役立たずの番犬か? ノー。だったらいますぐ、そのクソみたいに地面に引っついた足を上げて走り出すんだ! 吠えろ! 鎖を引きちぎってご主人さまを探しに行け! うるせえ、言われなくたってそうするさ。
午前七時二十九分。
クリフは、撮影所に「ボスの体調が悪いから病院に連れていく。何とか予定をずらして欲しい」と伝え、三日の猶予をもぎ取った。ゆっくりと電話を切る。表面では冷静さを保っていたが、はらわたは煮えくり返っていた。リックを助け出す。犯人は必ず殺す。そう決意して、番犬としての務めを果たすためにひとり、カルマンギアに飛び乗った。
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//side R.
頬を叩かれて目を覚ましたリックは、ここが何処なのか分からなくてきょろきょろと辺りを見回した。あちこちに雑多な物が積まれた部屋だった。頭がぼんやりとしていたので、時間を掛けて確認する。窓が一つもない。床も壁もコンクリート打ちっぱなし。奥の方に上へと続く階段があるので、ここはどうやら地下室らしい。狭いが、撮影機材がいくつも並んでいるところからして、どうやらスタジオなのだと気づいた。リックは、床敷きのマットレスに寝かされていた。あまり清潔でなさそうなシーツが波を打っている。何故か目を覚ます前のことが思い出せなかった。と、顔の横で指を鳴らす音がした。
「おい、あっちを見ろ」
言われて起き上がると、カメラがこちらに向いていた。知らないカメラマン。監督かもしれない。スタッフは監督と、指を鳴らした青年しか見当たらない。今日は撮影だったっけ? こんなところで? リックが困惑していると、青年がクラッパーボードを持ち出した。作品のタイトルが空白だ。もう撮り始めるのか? 衣装合わせもしてないのに……あれ、おれが着てるの部屋着じゃねえか。そういえば、どうやってここまで来たんだっけ。あれ、昨日は──。
気づいたときには遅かった。後ろに潜んでいた別の男がリックの腕を掴み、袖を捲くり上げて何かを注射した。腕の血管につめたい感触が走る。男はリックを羽交い締めするような格好で押さえつけた。抵抗しようとしても、四肢に力が入らなくて拘束から逃れられない。五分、十分。何とか身体を動かそうともがいてみたが、しだいにだるくなってきた。そうして、注射を打たれてから十五分後。完全に抵抗しなくなったリックを確認して、男は腕を放した。カメラが近寄る。青年がクラッパーボードを掲げた。タイトルは無題。主演はリック・ダルトン。ジャンルはポルノ。台本のない芝居が始まろうとしていた。
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//Untitled
リックは、粗末なマットレスの上に座り込んでいた。夢中になって身体を上下に揺すり続けている。反発するのが興味深いのか、神妙な顔をして、ときおり猫がパンチでもするようにマットレスを叩いた。
「名前は?」
突然、男の声が入る。
リックは顔を上げて「りっく。りっく・だるとん!」と元気よく答えたが、何か違和感がある。そうだ、口調だ。例えるなら、舌っ足らずの子どもが喋っているような口調になっていたのだ。「服を脱いで」「なんで?」「暑いだろう?」「うん、あつい!」男との短い言葉のやり取り。リックは、躊躇いなく部屋着のボタンを外していった。次いでショートパンツと下着をまとめて脱ぎ捨てる。ガウンに手を掛けたところで「上はそのままでいいよ」と言われ、大人しく手を下ろした。
「彼はブライアン。挨拶して」
「ハイ、ブライアン」
画面右から上半身裸の男が映り込む。白人。よく鍛えられているのが見て取れる筋肉質な肉体に、腰穿きのジーンズ。彼はマットレスに乗って膝立ちになると、リックの顎をすくい取って親指で下唇をなぞった。「ハイ、リック」「ハイ。すごいきたえてるね。クリフみたいだ」「クリフ?」「おれのスタントマン! サイコーにクールなやつ!」「へえ、いいね。リックはクリフのこと好きかい?」ブライアンの手がリックの首筋をなぞる。くすぐったいのか、リックは声を立てて笑った。「ハハ、なにすんだよ!」「気持ちいいことさ」ブライアンが、けらけらと笑っている身体を押し倒し口づけを落とす。リックは抵抗なく受け入れていた。何をされているのか分かっていないようだった。
戯れのような軽い口づけが、しだいに深く激しいものになっていく。ちゅ、ちゅく、じゅっ。派手に水音を立てて唇を貪り合う二人。その間も、ブライアンの手はリックの身体を弄り続けていた。丸出しの脚がブライアンの腰の横でもじもじとし始める。「ちょっと起き上がろうか」また男の声が入る。
カメラに身体の正面を向けた状態で、リックはブライアンに背をあずけた。下半身を露出させていることに羞恥を覚えたのか、脚を閉じて体育座りの格好になっていた。「リック、脚を開いて」と言われても、首を振っていやいやと拒む。仕方なく、ブライアンが後ろからリックの足首を掴んでこじ開けた。日に焼けていない白い太腿の内側が、ほんのりと赤く染まっている。その間にある性器は、ゆるく反応していた。「かわいいね」ブライアンが性器を撫でながら、耳元で囁く。鼓膜をくすぐるような甘ったるい声だった。ふるふると身を震わせて、リックは吐息を漏らした。
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//side C.
あてもないのに車を走らせるのは馬鹿だ。
しかし、クリフには目的地があった。玄関に落ちていた箱のピザ屋だ。車のスピードを落とし、店の数ブロック手前で停めた。午前七時四十五分。アロハシャツを脱ぎ、ジーンズと、ロゴの入った白いTシャツ一枚になる。グローブボックスから必要な道具を取り出すと、裏通りから目当ての店まで足早に歩いた。裏口の鍵をピッキングで開錠して、するりと中に入る。誰もいない。開店まで二時間以上あるからだ。従業員用ロッカールームを抜け、店のカウンター裏で注文伝票の控えを探した。リック・ダルトンの名前を見つけると、配達員の名前をチェックして、事務室に向かった。無防備にも事務机の引き出しに入っていた従業員名簿を開き、伝票に書かれていた配達員の現住所をチェックする。オーケー、ここでの仕事は終わりだ。クリフは、裏口の鍵を施錠して、さっさとカルマンギアに戻った。
//
「ぎゃあああッ!」
クリフの足元で男が悲鳴を上げている。
午前八時二十五分。とあるアパートの二階。目的のドアをノックしたが、反応がないので煙草に火を点けてしばし待つ。と、男が扉を開けた。挨拶抜きで「リック・ダルトンを知っているか?」と尋ねると、男は急に部屋を飛び出した。脇をすり抜けて、転げ落ちるように階段を下りていく。すばしっこいやつだ。カンカンとした音を聞きながら、フーッと煙草の煙を吐き出す。おもむろに目の前の手すりを掴んだ。目標まで三、二、一。よし。地面を蹴って手すりを乗り越える。軽やかに二階から飛び降りたクリフの足が、逃げる男の肩を砕いた。そして、冒頭の悲鳴だ。
「よお、こっち向けよ。こっち。名前、あー、まあいい。お前、リックを知ってるな。逃げるってことはやましいことでもしたか。したろ。昨日の夜、シエロドライブ、ピザの配達……おう、左上を見たな。思い出してるってわけだ。誰と行った。あーお前の靴のサイズは……十インチってとこか。室内には入らなかったな。おい、もっとガタイのいい仲間が二人いるだろ。そいつらの名前と居場所を教えてくれよ。ちゃんと教えてくれたら、まあ、お前のことは逃してやるよ。なあ、おい、聞いてるか」
男の肩に踵を押しつける。また悲鳴。アパートの住人が何事かと顔を出してきたが、明らかに堅気とは思えないクリフの様子を見ると、すぐに引っ込んだ。男は痛みで上手く喋れないようだったので、クリフは仕方なく足をどけた。代わりに股間へ踵を乗せて「三秒以内におれの知りたいことを言わないと潰す」と脅した。男は堰を切ったように喋り出した。「ブライアンとミッチェル」「サンフェルナンドのスタジオ、場所は──」男が嗚咽しながら話す内容を、クリフは必要なところだけ拾って頭に叩き入れた。泣き言と命乞いは流した。こいつから聞き出すべき情報はじゅうぶんだろう。股間から踵を離そうとしたところで、男がまた口を開いた。「ポルノ映画だ!」クリフは動きを止めた。
「ぽ、ポルノさ、へへ、落ち目のやつを攫って、え、映画撮るんだ、ヤク打って、終わったらポイってな、はは、ボロい商売だ、あいつ今頃、ブライアンのチンポしゃぶってオンナになってるぜ、へへ、ざまあみろ、この、クソ野郎」
肩を押さえて「言ってやった!」とばかりに強がってみせた男は、しかし、意図したのと違う反応を目の当たりにして困惑する。このクソ野郎が焦ればいい、顔面蒼白になって絶望すればいい。そう思って口にした台詞だったのに。クリフの顔色は変わらなかった。それどころか、サングラスを外した顔は眩しそうに目を細めて嘲笑っていた。
──ちくしょう、何で余裕ブッこいてんだこいつ。
──あ、おれいつの間に横向いたんだっけ。何にも見えねえ。
──あのクソ野郎、何しやがった。クソ、見えねえ。何処行ったんだ。
クリフは、首の骨が折れた男をコンテナの中に放り投げて去った。死体は後日、ゴミを収集する作業員が見つけて騒ぎになったが、ロサンゼルスで犯罪に巻き込まれて死ぬ人間は多い。男の死は、新聞にも載らなかった。
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//side R.
撮影を終えたリックは、ひどく疲れて横たわっていた。息も絶え絶えで、全身が鉛になったように動かない。いまさっき、死ぬほど気持ちいいセックスをしたせいだ。誇張じゃなく、本当に気持ちよかった。快楽の波に飲まれて溺死するかと思った。まだ、腹の奥がきゅうと切なくて、甘い感覚が収まらない。こんなところに男のものを入れたなんて信じられない。普段の自分なら想像しただけでも鳥肌が立つだろうに。あのおかしな注射を打たれたせいで、頭がこんがらがってしまったらしい。
あの注射。あれを打たれて、気づいたら、リックの気分は馬鹿みたいに高揚していた。「いまならスタントなしで崖から飛び降りても着地出来る!」と思いながら、夢中になってマットレスのコイルと戦っていた。だから、監督に名前を尋ねられるまで、カメラが回っていることに気づかなかった。思えば、変な撮影だった。衣装なし、台本なし、アドリブだらけの本番一発勝負。実験的な映画なのかな、男とセックスするシーンしかないし。誰がこんな仕事引き受けたんだ。おれか。そうだ。そうだっけ。覚えてない。リックは頭の中で自分と会話してみる。思考がふわふわと浮き沈みして落ち着かない。声を出してみようとしたら、かすれた音しか出なかった。唇は自由に動いたので、ぱくぱくと開いたり閉じたりしてみる。
男と口づけをしたとき、リックはクリフのことを思い出していた。「クリフのこと好きかい?」なんて聞かれたせいだ。好きに決まってる。あいつは、世界でいちばんの相棒だ。おれがクソみたいに落ち込んで泣いているときも、馬鹿みたいにはしゃいで笑っているときも、肩を叩いてサングラスで涙を隠してくれたり、本当にお前はいい役者だよと褒めてくれたりして、いつだってそばにいてくれる。最高のスタントマンで親友。どんな無茶な要求にも涼しい顔して応えてみせる、おれの理想の男。
最近は、おれの送迎とか、プールの掃除みたいな雑用まで世話してくれたっけ。あと、モーニングコール。迎えを頼んだ朝はいつも「あと五分で支度しろ」ってシーツを剥いで起こしてくれて、おれの頬を撫でるのがくすぐったくて。あれが好きだから、いつもギリギリまで寝てるって言ったら、クリフはどんな顔をするだろう。ふにゃふにゃと変な形になったクリフを想像して、リックはくすくす笑った。
「まだ効いてるのか?」
「ハハ、途中からおれのこと分かんなくなってたぜ」
「ああ、違う名前ンなってたな。まあでも、いい画が撮れたからリテイクはなしだ。現像終わってみなきゃ分かんねえけど、すげえエロかったから、きっとこいつは金ンなる」
監督がおれを見た。ブライアンもおれを見た。スタッフの青年が、濡れタオルで身体を拭いてくれたけれど、それよりシャワーを浴びたかった。撮影は終わったんだろう? はやくスタジオを出ないと。クリフが外で待ってる。あいつはスタントあったのかな。いま何処にいるんだろう──いや、クリフはさっきまでおれと一緒にいたじゃないか。二人でたくさん気持ちいいことをして、そう、ジーンズを引っ掛けた格好で、じっとおれのことを見てる。
クリフの手が、いつもみたいに頬を撫でてきた。でも、それはくすぐったくなくて、まるで獲物を捌くために内臓の位置を探るみたいな触り方だった。おれは怖くなって、ぞわぞわとする感触から逃げるように、ぎゅっと目を閉じた。
//
//Untitled
リックが男の腕の中でよがっている。
柔らかな胸筋を後ろから撫で回され、指が乳輪の辺りをかすめるたびに、肩をびくりと反応させて胸を反らす。決定的な刺激が欲しいのに、じりじりと焦らされているようだった。「さ、さわって、ちくび、お、おねがい」「乳首がいいのか?」「うぅ、こ、こんなの、はじめてで、おれ、おれ、わかんないけど、ちくび、さ、わって、おねがい」顔を真っ赤にして頼む。男はそれを鼻で笑い飛ばし、わざと乳首を外して胸への愛撫を続けた。リックはたまらず、男の指を追うように身を捩らせる。しかし、意地悪な指は避けてばかりだ。
お願いを聞いてもらえないと悟ったリックはぐずり出し、とうとう自分で乳首を弄くり始めてしまった。「ああ、」と感じ入るように吐息を漏らし、とろりと表情を蕩けさせる。ここがこんなに感じるなんて知らなかった、という顔だ。最初は遠慮がちにくるくると弄くり回す程度だったが、徐々に動きが大胆になっていく。しまいには、親指と中指できゅうと先端を摘むと、見ていて痛そうなくらい強く引っ張ったり、捻るようにぐりぐり捏ね回したりし始めた。「くうんくん」と鼻を鳴らすような声が漏れて、後ろで男がほくそ笑む。
「痛くねえの」
「ううん、き、きもちいい」
面白がった男は、胸を撫で回していた手をするすると下ろしていき、うっすらと脂肪のついた腰を掴んだ。さっと画面の外から渡されるボトル。男はそれを受け取り蓋を開けると、リックの股ぐらにたっぷりと中身を垂らした。粘度の高い液体。ローションだった。男は「つめたッ」と上がるリックの声を無視して、ゆるく勃起した性器をぐちゃぐちゃに扱き始める。「やァ、い、いたい」あんまり強く扱かれたのだろう。リックは、乳首を弄っていた手を性器に伸ばし、男の手を止めようとした。すると、男は「好きなふうに扱いてみな」と言って呆気なく手を放す。
突然放り出されて、リックはしばらく迷っていたようだった。羞恥心と快感を天秤に掛けている。しばらくして傾いた皿に乗っていたのは、快感だった。おずおずと自分の性器に触れると、両手を使って自慰を始めた。はじめは左手で竿を扱きながら、右手で亀頭のくびれや先端をくちくち弄くり回す。身に馴染んだ性感帯のはずが、いつもよりとんでもなく気持ちよかったらしい。驚きと恍惚の混じった表情のまま、口から舌をはみ出させている。無意識なのか、腰が前後に揺れていた。しだいに手の動きが激しくなっていく。とろとろと溢れ出る先走りが、指の股を伝い落ちていった。あともうすこしでイく、という射精寸前のタイミングでいきなり、背後の男に腕を掴まれてしまう。性器に絡んでいた手を無理やり離された。
「やァ、な、なんで、い、イきたい!」
リックは、だだを捏ねる子どものように跳ねて抗議した。ふるふると性器が上下に揺れる。何とか男の腕を外そうともがくも、力の差は歴然としていて敵わなかった。青い瞳にじわりと涙の膜が張る。男は、また耳元で囁いた。「もっと気持ちよくなりたいか?」低くて鼓膜を甘く震わせる、誘惑の声。「な、なりたい……」リックが、こくりと喉を鳴らす。未知の領域に足を踏み入れようとしているときの、戸惑いと好奇心を隠せない表情。男はまたほくそ笑み、リックの後ろに手を差し込んだ。
//
とろとろに蕩けた表情で、リックは自分の肛門に指を入れ、くちゅくちゅと音を立てながら遊んでいた。ここを弄ると気持ちよくなれると教えてもらったからだ。最初は頑なに閉じていたのに、男がローションを塗り込めるようにして触っていたら、つぷ、と中指が入ってしまった。それから、ぐいぐいと隘路をこじ開けられ、腹の裏側を押される。前立腺のある場所。未知の快感だったのだろう。まるで、電流でも走ったかのように、びくんと腰が跳ねる。「な、なにこれ」戸惑うリックの手を、男が股ぐらに誘導した。「好きなだけ弄ってみな」ぶっきらぼうな口調なのに、どこか甘やかすような声。
男に導かれるまま、リックは自分の肛門にそうっと中指を挿入した。さっきの快感を再現しようと、慣れない手つきで中を探る。気持ちいいところに触ったらしい。びく、と太腿を震わせると、あとはもう止まらなかった。直腸の壁を指の腹で擦り、敏感なところを刺激し続ける。とりおり、中からぐっと腹の裏側を圧迫し、あの痺れを味わう。指が二本、三本と増え、くちゅくちゅと激しくうごめく。「ああ、いい、うん、やだこんな、きもちいの、と、とまんな……」リックは熱に浮かされたように喘いでいた。常にきりりと引き締められているはずの表情は、見る影もなくだらしなく緩み、蕩けた瞳の青が揺れている。
これが、本当にリック・ダルトンか?
賞金稼ぎの掟をイメージしている人間が見たら、あまりの変貌ぶりに腰を抜かすかもしれない。男のなかの男たるバウンティ・キラーこと、あのリック・ダルトンが、性器でなく肛門をいたぶることで快感を得ている。目を背けたくなるような光景だ。しかし、自慰に耽る姿には、そそられるものがある。卑猥なのに美しい。「あそこにちょっと自分の指を入れてみたらどうだろう?」と考えてしまっても仕方がない。あまつさえ「勃起したものを入れてみたらどうなるだろう?」という好奇心を掻き立てられる──そうして、見る者の期待を満たすべく、映像は続いた。
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//side C.
サンフェルナンド・バレーは、映画産業のスタジオが多数存在する、ロサンゼルスで最も広い地域だ。ユニバーサルやワーナーもここにスタジオを持っている。ここは、多くのハリウッド映画を生み出す場所であるとともに、実はポルノ産業のメッカでもあった。クリフは煙草の吸い口を噛んで、男の吐いた住所を反芻する。そこは、ポルノ映画専門スタジオが乱立するエリアの端だった。契約書も修正も避妊もなし。非合法に撮影されたフィルムは、地下の性風俗店や個人に流れ、人目を忍んで上映される。
戦争から帰還してぶらぶらしていた頃、クリフはポルノ映画の竿役にスカウトされたことがある。報酬がよさそうだったのでスタジオまで着いて行ったが、いざ脱いでみたら傷だらけで使えない、と監督に追い出された。あれもサンフェルナンドにあるスタジオだったな。
目の前でちんたら走っている車どもを追い越しながら、クリフは焦る気持ちを抑えようと努力していた。午前九時十一分。リックが攫われてから十五時間は経っている。夜のうちに撮影をすませたとしたら、もう現像も終わって編集している頃だろうか。徹夜で作業していれば、今頃仕上がっていてもおかしくない。フィルムが完成したら、リックはどうなる? 終わったらポイってな。男の台詞が過る。ファック! 努力は失敗に終わった。アクセルをベタ踏みする。クソッ、頼むからどうか、生きていてくれ。クリフは煙草を吐き捨て、また一台車を追い越した。
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とある倉庫のようなスタジオの前。
唸り声を轟かせるカルマンギアが、ものすごい勢いでそこに突っ込んだ。あわや壁に激突するか、という寸前で、ドライバーが豪快にハンドルを切る。建物の壁ギリギリのところで横付けされた車体から、白いTシャツを着た男が飛び降りた。午前九時二十三分。クリフが入り口を蹴破ろうと片脚を上げた瞬間、中で銃声が響いた。連続で三発。まさか、まさかまさかまさか! 目の前が真っ赤に染まったクリフは、瞬時に猛烈な蹴りをかまし、その勢いのまま室内に転がり込んだ。
「リック!」
部屋の中は暗かった。
硝煙の臭い。男たちの悲鳴。フィルムの回るカラカラとした音。途切れとぎれの嬌声がスピーカーから聞こえる。壁際のスクリーンにリックが映っていた。脚を担がれ男にファックされているシーン。その白い太腿の辺りに、不自然な赤色が点々と散っていた。スクリーンの下に束になって倒れている男たち。一、二、三人。そうか、あれは血だ。あの男らの血がスクリーンに飛び散ったんだ。「クリフ!」スピーカーからおれを呼ぶ声がする。「クリフ!」いや、違う。別の方向から聞こえた。リック。リックの声だ。それを認識した瞬間、クリフの視界に勢いよく生のリックが飛び込んできた。
「クリフ見たか!? 連射なんて久しぶりにしたけど、身体が覚えてるもんだな! あれみたいだ、あれ、賞金稼ぎの掟、シーズン・スリー・第八話! おれが三連射キメたら悪党がこう、銃も抜かないまま倒れるシーン! あれ最高だったよな! お前に教わったから出来たんだぜ! お前、見せかけの連射はクソだとか言って、おれがほんとに出来るまでやらせたよな、ファック! いま思い出しても指が攣っちまう、ていうか、これ、指切ったかも、血が出てる! お前、バンドエイド持ってねえか? クリフ? お前、何で寝転がってんだよ、またLSDか?」
──生きてる。
転がり込んだ姿勢のまま、クリフは詰めていた息をフーッと吐いた。肩の力が抜ける。クリフの顔の前でひらひらと手を振るリックは、明らかに薬物の影響でハイになっていたが、間違いなく生きている。前を開けっ広げた部屋着に、ガウンを羽織った格好。スクリーンではリックのポルノが流れっぱなしになっていたので、何をされたのかは一目瞭然だ。しかし、リックは何も気にしていない様子だった。気にしないどころか、下着も履かないまましゃがみ込んで、こちらの反応を伺っている。いろいろな物が丸見えになっていて、クリフは思わず天を仰いだ。目を閉じ、開け、とりあえず状況を把握することにした。
リックは右手にリボルバーを持っていた。ドラマ「賞金稼ぎの掟」で使っていたのと同じ、コルト45。だが、これは撮影用のプロップガンじゃない。本物だ。おそらく、脅すか殺すかするために連中が用意したのだろう。それをどうしてかリックが手にしてしまった。ハイになったリックは、銃を小道具だと思って記憶にあるシーンを再現した。サービスのつもりだったかもしれない。ジェイク・ケイヒルの決闘シーン。早撃ちの名手に掛かれば、相手は銃を抜く間もない。リックは見事に三連射を決め、間抜けな連中は銃弾に倒れた。そうして、クリフが転がり込んできたというわけだ。ハハ、笑える。
「あんた、ホントに最強の賞金稼ぎだよ」
「おう、なんたって、ジェイク・ケイヒルだからな!」
ご機嫌にポーズを構えてみせたリックの手から、それとなく銃を取り上げる。これ以上バンバン撃たれたら困る。それに、まだ息の根がある連中を絞り上げるためには、ちょっとした小道具が必要だった。クリフは立ち上がると、ジーンズの後ろに銃をねじ込む。レッド・アップルを取り出そうとしたが、アロハシャツの胸ポケットにあることを思い出し、手のやり場を失った。と、リックがその手を捕まえて自分の頬に擦りつける。
──ああ、いつもの朝の感触だ。
クリフは目を細めて、その感触を噛みしめるように味わった。
ご主人さまを見つけた番犬は、走り続けていた足をようやく休めることが出来た。しかし、まだ鼻は鳴らさない。餌を貰えるのはよく働いた犬だけだ。おれはよく働いたか? ノー。スクリーンを見てみろ。ご主人さまを守りきれなかったじゃないか。ファック! このクソったれの役立たずめ! いますぐリックから離れろ! ご褒美はなしだ! さっさとやるべき仕事に取り掛かれ! うるせえ、分かってる。リックの手をやんわりと引き剥がした。これからすることは、名誉挽回なんかじゃない。おれのケジメだ。
午前九時三十三分。
それじゃあ、牙を剥く時間といこう。
//
//side R.
現像して編集を終えたフィルムの確認をするため、監督と青年とブライアンは上映会を始めた。外はすっかり朝になっていたので、青年が遮光カーテンを締めて回った。監督は映写機にフィルムをセットしていた。ブライアンがリックに隣へ来るよう命令する。昨日から何度も注射を打たれていたリックは、拘束がなくても逃げようとしなかった。言われるままにふらふらと歩いてソファに腰掛ける。
リックには、監督も青年もブライアンも、みんなクリフに見えていた。おかしいな、クリフは世界にひとりしかいないはずなのに、どうしてここには三人もいるんだろう。むくりと猜疑心が頭をもたげる。もしかして、ここに座ってるクリフはみんな、偽物なんじゃないか? そう思えば、意地悪い物の言い方も、痛いことをするのも、あの怖い触り方も納得できる。クリフはリックを傷つけるような真似は絶対にしない。隣にいる偽物のクリフが、リックの顎を掴んで持ち上げた。「おい、ロストバージンの瞬間だぜ!」スクリーンに映るリックは、知らない男に犯されていた──。
気づくと、リックはふらふらと席を立っていた。後ろから野次を飛ばされる。下品な言葉と下卑た笑い声も飛んできたが、耳に入らなかった。酒のある場所に行きたい。足は無意識にキッチンへ向かっていた。映像を目の当たりにしたショックで、リックの正気は、ほんのすこしだけ戻りかけていた。ここを出なきゃ。どうやって。走るんだ。走るって、どうするんだっけ。頭が上手く働かない。どうしよう。クリフ。クリフたすけて。ぼろぼろと涙が出てきた。馬鹿、しっかりしろ! いまクリフはいないんだ! 自分の力で何とかしろ! リックの頭の中で、泣き言を訴える自分と叱咤激励する自分が会話していた。ただのリックは取り残されて、冷蔵庫に寄り掛かってぼうっとしている。
──よう相棒、おれの出番か?
ふと、聞き覚えのある声に振り向くと、カウンターの向こうにジェイク・ケイヒルが立っていた。西部劇に出てくる救世主のように颯爽とした姿で、リックを見ている。こいつを使え。と言って、カウンター越しに何か投げてよこした。ジェイクの愛銃、コルト45だった。使い方は分かるだろ? だってお前は──。
「リック・ファッキン・ダルトン」
自分の声とジェイクの声が重なる。役が下りてくるときみたいに、ジェイクはここに立っていた。フィルムを鑑賞していた男たちが、リックの声に気づいてこちらを見る。手に持った銃を目にして、ガタガタ音を立てながら慌ててソファから立ち上がる。どうせラリって自分が何をしているのか分かっちゃいない。そう判断した男たちは、リックの手から銃を奪おうと、三人いっぺんに襲い掛かってきた。
そのとき、リックは懐かしい場面を思い出していた。賞金稼ぎの掟、シーズン・スリー・第八話。ストーリーの終盤に襲い掛かってくる悪党ども。確かあれも三人だった。だが、ジェイクの敵じゃない。ガンホルダーから素早くリボルバーを取り出し、相手に銃を抜かせる間も与えず撃つ。バンバンバン。悪党どもは、どどどうっと倒れていった。びょう、と風の吹く音が流れる。しばし余韻を持たせてから、ジェイクの顔がアップになった。ここで、バウンティ・ローのロゴ。物語はいつだって悪党の死で終わる。
「リック!」
突然、クリフの声が聞こえた。
リックはカウンターから飛び出して声のする方に走った。「クリフ!」大声で叫ぶ。いましがた、自分の決めた最高のシーンを褒めてもらいたくて、子どものように興奮しながらもう一度「クリフ!」と叫ぶ。リックが駆け寄ると、何故かクリフは驚いていて。ちょっと間抜けな顔に見えた。あ、本物だ。そう思ったら、口からぽんぽんと言葉が溢れ出て止まらなかった。
//
クリフが、てきぱきと動いて周りを片付け始めた。地下室のドアを開けて、何でもかんでも放り込んでいる。ものすごい音と悲鳴がしたが、リックは眠たくてよく聞いていなかった。さっきまで馬鹿みたいに高揚していた気分は、クリフに触れてから落ち着いていた。夢を見ているみたいにぼんやりとしながら、シーツに包まってソファに寝転がる。壊れた玄関のドアから差し込む光以外、ここに明かりはなかった。カラカラと回っていたフィルムもいつの間にか止まっている。何を回していたのか、もう忘れてしまった。
ぼうっとしていたら、クリフがやってきてソファの前にしゃがんだ。「もうかたづけはすんだのか?」と聞くと「まだだ」と返ってきた。クリフの手が、ぱさりと額に落ちていたリックの前髪を梳く。「もうちょっと、ここで待っててくれ。いいか、ここで大人しく待つ。何処へも行かない。約束出来るか?」「ここでおとなしくまつ。どこへもいかない。やくそくする」いつものように向かい合って確認すると、額に唇を押しつけられた。何だか、約束のしるしみたいだ。
クリフが地下室へ向かう。途中で振り返って、人差し指と中指で自分の目を指してから、今度はリックの目を指して「ちゃんと見てるからな」のジェスチャーをした。それに「イエッサー」と応えて、二本の指をぴっと振る。クリフはちょっと笑いをこらえるような顔をしてから、背を向けた。後ろ姿が、地下室のドアの向こうに消えていく──。
//
//Untitled
男が膝立ちになって、ジーンズの前をくつろげる。下着をつけていないので、直に収まっていた性器が飛び出した。勃起したそれは、よく使い込まれているようで全体的に赤黒い。太く長い竿の先にあるズル剥けの亀頭は、男が扱くとよだれを垂らして餌をねだった。すぐそこに、獲物が転がっている。リックだ。自慰に夢中になっていたリックは、背をあずけていた男が急に移動したので、ころんと倒れて転がっていた。男がリックを掴み起こして、グロテスクな性器を顔に押しつける。「欲しいか?」ダークブロンドの髪を柔らかく撫で、男が尋ねた。半開きになっていた口に、亀頭を擦りつける。リックの赤い下唇が、てらてらと濡れて光った。
指だけでも気持ちよかったのに、こんなに大きな物を入れたらどうなるんだろう。と、リックは逡巡している様子だった。こくり、また喉が動く。好奇心を抑えきれない表情。おっかなびっくりしながらも、触ってみることにしたらしい。どくどくと脈打つ竿に、まるっこい指が添えられる。そのまま、リックはおずおずと舌を伸ばして性器の先端を突いた。ぷく、と先走りが溢れる。ぴゃっと顔が離れた。味がお気に召さなかったらしい。ちょっと顔をしかめている。男たちの笑い声。どうして笑われているのか分かっていないリックは、カメラに向かってべっと舌を出して見せた。抗議のつもりらしい。その顔が、見る者をよけい煽るというのに。
男がリックを仰向けに押し倒して言う。「悪い子だな」そして、縮こまった脚を大きく開き、股ぐらに陣取った。「躾けてやる」いきり立った性器の先端をリックの肛門に押し込む。「いたい!」と喚く声に構わず、男は腰を進めた。強引に挿入したせいで、滑りが足りないらしい。チッという舌打ち。いったん抜いて、ローションをどぷどぷ垂らしてからもう一度挿入する。今度は何とか竿まで入った。見せつけるように結合部が晒される。凶悪なものを咥え込まされた局部が、痛々しく広がっているのがよく分かった。
最初のうち、男はとつとつと細かく動いていたが、性器が全部入りきったのを確認すると、ぐるりと大きく腰を回し出した。「ひゃあッ!」リックが悲鳴を上げる。苦痛より、快感に驚いたような声だ。それに気をよくした男が、また腰を大きく動かす。上下に抉るよう中を擦り、内臓を押しつぶす。片脚を担いで、さらに奥まで侵入する。リックが身体を痙攣させ、びくびくと腰を浮かせて射精した。それでも、男は止まらない。「クソッ! いい締めつけだ!」と叫ぶと、ぐっと尻を掴んで、奥に種付けするように恥骨をぶつけた。どくどくっと精液を注ぐ。リックが「あう」と気の抜けた声を出した。やっと終わった、これで開放される、そう思っていたのに。
男はふたたび動き出す。ゆるゆると腰を前後させ、中に入ったままの性器をもう一度硬くしようと肉筒で扱いた。段々と動きが激しくなる。「あ、あ、やだ」また、あの快感が襲ってくる──。
//
//side C.
コンクリートの床に転がった男が三人。
一人は額を撃ち抜かれて死んでいた。ラッキーな奴だ。
一人は左肩を撃たれていた。十二インチの靴その一。
一人は右肩やや鎖骨寄りを撃たれていた。十二インチの靴その二。
二人はまだ生きているが、階段の上から雑に落としたせいで気を失っていた。ダクトテープを使って手足を拘束する。死んだ男を壁際に寄せて、残りは部屋の中心にあるマットレスに転がした。強めに頬を叩いて起こす。目を覚ました連中は、自分の置かれた状況にパニックを起こし、ツバを撒き散らしながら大声で騒ぎ始めた。クリフは、ジーンズの後ろにねじ込んでいた銃を取り出して、ゆっくりとマットレスの前にしゃがみ込む。連中と目が合った。「Shh, Shh, Shhh」人差し指の代わりに銃身を唇にあてて「静かにしろ」のジェスチャーをとる。途端に部屋が沈黙で満たされた。
「上でボスが休んでるんだ。騒音はなしだぜ」
一瞬にしてこの場の力関係を見せつける。やっぱり小道具はあって困らない。黙り込んだ二人のうち、左肩を撃たれた男に尋ねる。「ブライアンってのはどっちだ」男が「お、おれだ」と怯えたような声で答える。こいつが竿役か。ざっと上から下まで眺めてみる。ガタイもいいし、顔も悪くない。ブロンドにブルーアイズ。素材はいいが、いまいち華がない。ロマコメの当て馬役ってとこだ。「お前がミッチェルだな」右肩を撃たれた男に視線をやる。こっちもガタイはいいが、顔は最悪だ。ブルネットにブラウンアイズの、潰れたアライグマって感じ。クリフはミッチェルを立たせる。カメラの後ろにあるディレクターズチェアに落とし、ダクトテープを手に取った ──。
//
ブライアンが悲鳴を上げている。
ジーンズをナイフで切り裂き、四つん這いの格好にさせた後、ケツに鉄パイプを突っ込んだせいだ。声はダクトテープに遮られてくぐもっていたが、悲痛な表情は隠せない。クリフには何の気も起きないが、こういう映像が一部の人間に受けるのは知っていた。まったく理解は出来ないが、存在しない観客にサービスするつもりで、鉄パイプを蹴り飛ばす。またくぐもった悲鳴。縮こまったブツから小便が漏れていた。靴に引っ掛けたくなかったので、すこし離れる。ふと振り向くと、ミッチェルも椅子に座ったまま失禁していた。コンクリートの床がまるく濡れている。「ちゃんと目に焼きつけとけ」というクリフの言いつけを守り、悲惨な光景にも関わらず目を閉じないでいたらしい。もしくは、まぶたをテープで留められていたからか。
窓のない地下室に、すえた臭いがこもって最悪だった。時計を見ると十分も経っていない。やろうと思えば、何時間でも何通りでも生かしたまま苦しめる方法はあるが、クリフはやらなかった。クソみたいな臭いが染みついた服をボスは嫌がるだろうし、待たせるのは「ちょっと」だと約束した。それに、何よりクリフはリックと離れている、この状況をすでに馬鹿らしく思うようになった。ケジメはつけたかったが、大事なボスを放って置いてまですることか? ノー。牙を剥いた番犬のやるべき仕事は、唸ったり吠えたり噛みついたりすることじゃない。ご主人さまを安全なところへ逃がすことだ。クソ、自分勝手な犬め! ボスを差し置いて自分の感情を優先しやがった! いますぐ軌道を修正しろ! オーケー。手っ取り早く行こう。おれだって、リックを連れて早く帰りたい。
クリフは、ガラクタの山から役に立ちそうな物を探した。ガソリンの携行缶が二つ出てきた。中身はたっぷりとある。すぐに階段を上がり、ソファで大人しく眠っていたリックをカルマンギアの助手席に乗せる。一瞬ためらってから、映写機にセットされていたフィルムも引っ掴んで後部へ放り込んだ。またすぐ地下室に戻る。コンクリートの床にガソリンを振り撒き、階段を通って上の部屋にも中身をぶち撒けた。空になった缶を放り投げる。アロハシャツの胸ポケットから取り出しておいたレッド・アップルに火を点ける、一口だけ吸って煙を吐き出した。午前十時十三分。ピッと煙草を投げ捨てて、クリフはカルマンギアに飛び乗ると、秒でエンジンを掛け走り去った。
//
サンフェルナンドにある、とある映画スタジオで火災が発生した。
通報が遅れたのと火の回りが早かったので、消防隊が駆けつけたときには建物が全焼していた。鎮火後、焼け跡から三人分の遺体が見つかった。検死に回され「一人は火災前に死んでいたが、二人は火災時にまだ息があった」ことが判明する。「何をされたのか、想像もしたくないね」検視官は眉をひそめて語る。「骨に所々ヒビが入っているし、射創もある。手足と口の周辺にへばりついているのは溶けたダクトテープだろう。彼らは拘束され暴行を受けてもなお、生きていた。しかし、火災が発生し逃げられない状況ではどうしようもない。出血と酸素不足のせいで朦朧とした意識のまま、ただ焼かれて死ぬのを待つしかなかったんだ」そう言って、やるせない気持ちを払うように首を振った。
当時、この火災は事件性があると判断されたが、証拠は燃やし尽くされてゼロに等しかった。一つだけ、水色の車を見たという証言を得たが、車種も運転手も特定出来なかった。そのうち捜査は難航し、事件ファイルは未解決に分類され、人々の記憶からも去った。
//
//Side R.
さわさわと髪に触れる手がくすぐったい。
ぼんやりとしながらリックが目を開けると、そこはよく見慣れた自宅の寝室だった。寝心地のいいキングサイズのベッド。清潔なシーツ。ふかふかの枕。身を捩ると、前髪が一房ぱらりと落ちてきた。ちょっとべたついてる。でも身体はさっぱりとしていて、部屋着も新しい。枕元にクリフが浅く腰掛けていた。さわさわと触れる手は彼のものだった。気づかなかった。いつからいたんだろう。慈しむような眼差しを注がれている。まるで「この目に映るもの、これだけが、大事で愛おしくてしょうがない」という思いを噛み締めているみたいだった。
「……いまなんじ」
「さあ、もう暗いから夜だろうな」
どれだけ眠っていたのか分からないが、ずいぶんと長い夢を見ていたような気がする。撮影所から自宅まで送ってもらい、クリフと明日の予定を確認し合ったことは覚えていた。それから、ピザの宅配を頼んだこと。チャイムの音も。けれど、その先はもやがかかったように思い出せない。一瞬、知らないキッチンの冷蔵庫に向かう記憶が過ぎったが、夢と混同しているのだと思った。それよりも、いまは何月何日何時なのか。途端に意識をはっきりとさせたリックは、勢いよく起き上がってベッドサイドの時計を見る。針は九時四十五分を指していた。クリフが立ち上がってカーテンをめくる。外の景色は暗く、空には星が瞬いていた。「なんで、お前、引き返して来たのか?」と聞いて「いや、今日は──」と返ってきた日付に飛び上がる。
「嘘だろ!?」
クリフの言葉を信じるのなら、寝過ごしたなんて可愛いモンじゃない。記憶にある日付から一日は経っている。おれ、一日中眠ってたのか。まったく覚えていなくて呆然とする。「何で起こしてくれなかったんだよ!」と怒る前に、撮影の予定があったことを思い出して血の気が引いた。
「さ、撮影! きき、今日撮影だったのに!」
やばいやばいやばい。頭がぐるぐると混乱する。主役じゃないが、それなりに登場回数の多い役どころだ。大事なシーンもいくつかある。今日はそんなシーンを撮影する予定だった。あれだけ、遅刻しないよう玄関先で確認して、酒だって控えめにして台詞を練習したのに。バックレちまった! 撮影に穴を空けた! こんなこと役者として許されない! もうおれはお終いだ! 焦りと不安で涙が出てくる。ちくしょう! と叫びながら自虐思考に陥るリックを余所に、クリフは何処か涼しい顔をしていた。
「ボス、大丈夫だ。誰もあんたに失望しちゃいない。撮影所には病欠だって連絡してある。先に別のシーンを撮ってくれって頼んだら、明日と明後日も休んで回復しろってさ。みんな心配してる。大丈夫、穴なんか気にするな。世界の終わりじゃない。あんたの演技は最高だ。ちゃんと巻き返すさ。とりあえず、これでも飲んで落ち着けよ」
寄越されたのは水の入ったグラスだった。水より酒が飲みたかったが、クリフの有無を言わせない圧のようなものを感じて、リックは諦めた。ぬるい水を口にして、はじめて喉が渇いていることに気づいた。あっという間に飲み干しておかわりを求める前に、クリフが新しいグラスを持ってくる。今度は冷たいそれを、ゆっくりと口にした。
「何か覚えているか?」
クリフが何でもないことのように聞いてくる。口調こそ軽かったが、ほんのわずかに、こちらの出方を伺うような慎重さを感じた。そういえば、どうしてクリフはおれを起こさなかったんだろう。いつもみたいに起こしてくれていれば、撮影所に連絡する必要なんてなかったはずだ。腹の探り合いみたいな真似はしたくなかったので、正直に「覚えてない」と答えると、クリフは次々に質問してきた。「最後に覚えていることは?」とか「身体に違和感はあるか?」とか。リックは「夕飯にピザ頼んでチャイムが鳴ったとこまでは覚えてる」とか「寝過ぎたせいかな、すげえだるい」とか返事をする。
クリフはすこし黙り込んで、それらの答えが本当かどうか判断している様子だった。軍の特殊部隊にいた男に嘘はつけないし、騙す必要もない。そんなことは分かりきっているのに、最後にもう一度「ほんとうに、何も、覚えていないんだな?」と念を押された。肩にやんわりと手を置かれる。身体の反応を確かめようとする手つきだった。そこまでするほど、クリフは真剣だった。リックはちょっと考えて、冷蔵庫の話をした方がいいのかもしれないと思った。それで、相手の目を見て話そうとした瞬間──。
リックは、自分が役者でよかったと心の底から思った。ほんのひとかけらの反応も見せずに、言おうとした台詞を引っ込められたからだ。クリフの目は死を覚悟していた。本当はもっと別の感情だったかもしれないが、リックにはそう見えた。ふつう、死を目前にした人間は、現実を否定したり、怒り狂ったり、神にすがって命乞いをしたりする。そうして、最後に諦めを経て、やっと死を受け入れるものだ。けれど、クリフはそういう段階をすっ飛ばして、最初から死を受け入れていた。まるで望んでいるかのように。
お前、なんて目をしてやがる。そもそも、どうしておれを前にして死を覚悟する必要がある。寝過ごしただけじゃねえか。違うのか。おれの知らない間に最後の審判でもあったのか。次から次へと疑問が湧いてきたが、ひとつだけ確信していることがあった。もし、おれが何かひとつでも「覚えている」と言ったら、クリフは死ぬ。それが肉体の死でも精神の死でも関係ない。おれはクリフを永遠に失う。何でそう思うのか説明はつかないが、勘のようなものが警告していた。
──おれは、冷蔵庫の話で親友を失うのか?
──ただの夢かもしれないのに?
だから、リックは芝居をした。クリフを失いたくなかった。「ほんとうに、何も、覚えてない」と念を押して返す。その瞬間、冷蔵庫のことを忘れた。芝居が真実になった。クリフは疑わなかった。真実なのだから疑いようがない。やっと真剣な眼差しを解いて、いつもの飄々とした表情に戻った。その目に死の覚悟は微塵も残っていなかった。そんなもの、最初から存在していなかったのかもしれない。肩に置かれていた手が、リックの頬を撫でる。
「そうか、ボスが全然起きないから心配だったんだ」
「起こしてくれればよかったのによお」
拗ねて頬を膨らませたら突かれた。機嫌が悪いときの「リック・ダルトン・完全対応マニュアル」を備えた男には敵わない。どうして起こさなかったのか、クリフは丁寧に説明してくれた。
今朝迎えに来たとき、リックは床に倒れていたらしい。こういうとき、素人はパニクって動けなくなるが、軍隊仕込みのクリフは違った。意識の有無を確認して、すぐさま気道確保と心肺蘇生を試みようとした。ところが、意識はないものの、リックは呼吸もしていれば心臓も動いている。救急車を呼ぶ前に室内を確認すると、酒瓶が転がっていた。どうやら、こいつで転んだのか飲み過ぎたのかして気絶したようだった。「そんな馬鹿な話があるもんか!」と言いきれないのがアル中の悲しい性だ。前にもそんなことを経験した気がするから、余計タチが悪い。
「まったく、肝が冷えたぜ。あんた、ぶっ倒れたまんま動かないから、嫌な想像しちまった」
わざとらしく痛ましい顔をしてみせるクリフに「ああ」とか「うう」とか呟いて言い訳しようとしたが、うまく言葉にならなかった。恥ずかしくて顔から火が出そうになる。クリフのおかげで助かったが、まったくプロ意識に欠けている。「もう酒は飲まない」という誓いを立てようと思ったが、何度目の台詞になるのか分からないので、口には出せなかった。「でも、ボスが生きてて安心したよ」とクリフは言うが、リックは自己嫌悪に陥ってしまい、それどころではなかった。
「お、おれはクソッタレのアル中の、だ、だらしない男だ! お、お前に心配ばっか掛けてるし、ひ、ひとりでお、起きられもしない! こ、こんなんならいっそ、おれ、お、おれ……、」
くたばってた方がマシだ、と言おうとした台詞を人差し指で止められる。見上げると、クリフが唇をすぼめて「Shh,」とやさしく発音していた。「おれの仕事を取り上げないでくれよ」眩しいものでも見てるみたいに目を細めた表情は、さっきのあたたかな眼差しにそっくりだった。「ボスの世話を焼くのも、心配するのも、モーニングコールも、おれが好きでやってることだ。まあ、しばらく心配は御免だが。ボスのことを守るのは、おれのいっとう大切な使命なんだ。あんたが何を言おうとしたのか、おれにはちっとも分かんねえけど、頼む。その先は言ってくれるな」子どもに言い聞かせるみたいな口調で話すと、クリフはリックの溢れかけた涙を親指で拭った。
「お前、何でそんなにいい奴なんだよ」
「努力してるからな」
それより、頭痛はするか? 吐き気は? おれはちゃんとひとりに見えるか? ……ハハ、そう変な顔すんなよ。からかってるんじゃねえ。頭でも打ってたらコトだ。ホントにだるいだけなんだな? でも、明日は病院に連れてく。素人判断は危ねえからな。万が一ってやつだ。撮影所にも病院って言っちまったし、辻褄合わせると思って付き合ってくれ。……ああ、着替え。ちょっと吐いたのがついてたから、新しいの出したんだ。前のは捨てちまったけど、いいよな。そういえば、玄関にピザ置きっぱなしだったな。あれも食えないから捨てちまった。なあ、腹減ってるだろ? マカロニチーズならすぐ作ってやるよ。あ? チキンスープ? そんな大層なもん作れるか。ミリメシ食ってた男に無茶言うな。お前が思うよりずっと、おれの腕なんか大したことねえんだ。わりいな──。
こんなに饒舌なクリフは、はじめてだった。
それほど心配を掛けたのだと申し訳ない気持ちになったリックは、素直に言うことを聞いた。くたくたのマカロニチーズを食べて、一緒にシャワーを浴びて、ドライヤーまで掛けてもらって。至れり尽くせりだった。過保護だとは思ったが、始終クリフが穏やかな顔をしていたので何も言えなかった。さすがに、寝室まで着いて来たときには「もう大丈夫だから帰っていい」と言ってやんわりとたしなめた。気づけば、時計の針は十一時を過ぎている。遅いから泊まると言われたが、これ以上の面倒は掛けたくなかった。恥ずかしいし、情けない。下手な言い訳を並べ、ブランディのことも引き合いに出して帰宅をうながすと、クリフは仕方なくといった様子でようやく玄関に向かった。
「戸締まりは厳重にしとけ。おれが出たらすぐに玄関の鍵を掛けろ。朝まで開けるな。デリバリーもなしだ。酒も飲むな。何かあったら連絡してくれ。些細なことでもいい。今夜は安静にして、ゆっくり休め」
「分かった分かった、このパラノイドめ。お前もゆっくり休めよ」
「明日は朝六時に来る」
「馬鹿、はええよ。病院やってねえし。ちゃんと寝ろ。昼頃でいいから、何か食うもん買って来てくれよ。具合悪くなったら連絡するから」
「いや、朝イチで来る。朝食を届ける」
「……オーケー、負けたよ相棒。オレンジを頼む」
こいつ、たまにすげえ心配性になるよな。軍人だったから神経質なのかもな。と思いながら、リックはクリフを見送った。戸締まりをして寝室へ向かう。外からカルマンギアのエンジン音がしたので、耳を澄ましてみた。タイヤが路面を擦る音、マフラーから上がる唸り声、勢いよく二度吹かしてから急発進する。騒々しい音なのに、何処か胸の奥が穏やかな気持になってしまう。しだいに音が遠ざかり静寂が訪れても、リックの耳にはエンジンの唸り声が残っていた。
一方、私道から公道へ出るヘアピンカーブ。
曲がることを考慮していないほどのスピードでカルマンギアが下ってくる。鮮やかなハンドリング。大げさに車体を振った途端、音を立ててタイヤが軋んだ。ドライバーの胸はもっと軋んでいたが、その音は派手なエンジン音に紛れて、誰の耳にも届かなかった。
//
//Untitled
リックは延々と男に犯され続けていた。
力なく喘ぎ、閉じ忘れた口の端から唾液が伝う。青い瞳に宿っていたひかりが、零れる涙と一緒にとろとろと流れ落ちていく。何処をどうされても気持ちいいことしか考えられなかった。何度も射精させられた性器はくったりと萎れて、もう精液は出ないのに、男は先端を刺激し続ける。
「あッ、やだ!」
突然リックが腰を引いた。何かいけないものが出る、と焦ったのだ。しかし、男の手は止まらない。尿道をくじられた瞬間、ぷしッと勢いよく体液が飛び散った。「や、やだお、おしっこ!」続いてしょろ、と透明なものが溢れる。成人にもなってお漏らしをするなんて! リックは羞恥心で顔を真っ赤にしながら泣きじゃくった。その涙を男が親指ですくう。「違う。潮だよ、潮」「し、お?」何だか分からないが、粗相をしたわけではなかったらしい。よく出来ましたというように男の指が髪を梳く。下腹の奥がそわそわした。「次はメスイキ覚えような」男がリックのへその下を押す。きゅうう、と甘い痺れが走った。
//
男がリックをいたぶっていた。
精液も潮も出なくなった性器は放って置かれ、代わりに身体じゅうをあらゆる手段で責められている。男の太い指が肛門に三本挿入され、腹の裏側の気持ちいいところを何度も強く揉んでいた。ちゅこッちゅこッと抜き差しする水音が室内に響く。逃げようとひくつく腰。そこをしつこく刺激され続ると、自然と喘ぎ声が出っぱなしになり、ぞわぞわとした痺れが上り詰めてくるのだ。男が片手の中指と薬指をリックの口腔に突っ込んだ。舌の表面を体内と同じリズムで扱かれる。じゅぽじゅぽと唾液を絡めながら口腔を犯す指は、男性器を模していた。舌が気持ちよさそうに涎を垂らしている。リックは、無意識のうちに男の指を喉奥まで迎え入れていた。指先が喉に当たってえずきそうになるのに、夢中でしゃぶっていた。
──これ、くるしい、きもちい、あたま、おかしくなる……。
二点を同時に責められ、快感が交錯する。くったりと投げ出された肢体は、甘い倦怠感が支配するせいで動かせない。ただ、ときおり痙攣するだけ。あたたかな液体に浸かってじわじわと沈んでいくような感覚だった。溺れる、と思ったそのとき、男の指がいっそう強く腹の裏側を押す。瞬間、ぶわっと何かが爆ぜた。リックは声にならない叫びを上げる。突然訪れた強烈な快感。下腹の奥がきゅううんと収縮して、あたたかな波がそこからふわあと広がる。下半身がコントロールを失ったようにがくがくと痙攣していた。大きく開いた目から涙が溢れて止まらない。不思議な心地が、肉体を支配して離さないかのようだった。
「いい子にメスイキ出来たな」
男が肛門から指を引き抜く。
ちゅぽんと音を立てて出ていったものには、ローションと体液の糸が引いていた。異物を排除したはずのそこは、媚肉を覗かせてひくひくと震えている。気持ちいいのが去ってくれない。まだ終わらない。もっと欲しい。口腔に突っ込まれたままの指を、リックは意思を持って甘く噛んだ。指の股をれろ、と舌で舐める。明らかな催促の仕草。その顔は恍惚としながら蕩けていた。男がにやりと笑う。「今度はこいつで可愛がってやろうな」口から指を引き抜いて勃起したものを取り出した男は、それをリックの肛門にあてがった──。
//
//Side C.
胃の内容物をすべて吐き出す。
狭くて暗いトレーラーのキッチンに、酸っぱい臭いが広がった。シンクに積まれた鍋や食器が吐瀉物にまみれている。クソ、洗う気もしねえ。クリフは蛇口を捻って勢いよく水を出し、ざっとそれを流した。ついでに口をすすぐ。ブランディを外に出しておいてよかった。ポータブル映写機を引っ張り出してきたとき、彼女は映画でも見られるのかと喜んでいたが、まさかこんなものを見せるわけにはいかない。クリフは、尻尾を振って期待する愛犬を外に繋ぎ、骨を置いてトレーラーに籠もった。あのスタジオから回収したフィルムを確認するためだった。
//
あのとき、回収するのをためらったのは、こんなものさっさと葬ったほうがいいと思ったからだ。スタジオと一緒に燃やしてしまえ。だが、万が一フィルムの一部でも残ってしまったら、他人に見られる可能性がある。それは絶対に避けたかった。地下の撮影兼現像所に落ちていた編集でカットされたフィルムには、ガソリンを掛けてきたので燃えカスも残らないだろう。ただ、巻かれたフィルムは別だ。昔使われていたニトロセルロースのフィルムと違って、こいつは安全フィルムだから燃えにくい。目方で測っただけだが、リールの直径は約三十五センチ。十六ミリのフィルムだから、上映時間とすれば五十分弱だろう。クリフは舌打ちをした。五十分以上もリックのポルノを確認しなくちゃならない。それは、クリフがこれから味わう罰の時間でもある。苦々しく思いながら、トレーラーの明かりを消し、フィルムを映写機にセットした。
//
──リックが口づけをされている。
──リックが自慰をさせられている。
──リックが男のもので、犯されている。
クリフは思わず、嘔吐した。口に込み上げてくるものを感じてシンクに走り、胃の内容物をすべて吐き出した。腹の底が痙攣して、ぜえぜえと息が上がる。リックが、リックが、リックが……。目に焼き付いたクソったれな映像に脳内をかき回される。子どものような口調で喋る姿。乳首や性器や肛門を弄る姿。男のものに貫かれてよがる姿。快感に浸り、蕩けた表情で、恍惚としながら行為を受け入れる姿。ほとんど抵抗せず、されるがままだった。それどころか、自分から男に行為をねだりさえしていた。また吐き気が込み上げてくる。さっき、すべてぶち撒けたせいで、えずいても胃液すら出ない。息を荒げながら、顎を伝う唾液を手の甲で乱暴に拭った。
クソ、あいつら、億千万回殺しても足りねえ。クソッ、どうしておれはリックを、ああ、ファック! ファック! ファック! リックを奪われた。おれの、おれだけの、いっとう大事な存在を! あんなクソみたいな卑劣なやり方で、辱められて、穢されて、踏みにじられて……。ああ、リック! 本当に覚えていないのか。あんなことをされて。欠片も思い出せないのか。それとも、薬のせいで忘れたのか。だとしたら、フラッシュバックでも起こしたときに思い出してしまうんじゃないか。いっそ、正直に話すか。いや、自分の身に起こったことを知ったら、あいつはどうなる──。
リック・ダルトンはタフな男だ。強く靭やかで、困難に耐えうる力もある。まさに、ジェイク・ケイヒルのような男のなかの男。そして、繊細な感受性と豊かな情緒も持ち合わせていた。それが、彼の演技を素晴らしいものにしている。だが反面、それは彼の精神を苛む原因でもあった。ストレスで増える酒量、自分を追い詰める傾向、ともすれば自傷に走りかねないほど苛烈な自虐に陥る性格。これらを鑑みれば、リックの身に起こったことを正直に話すことは憚られる。クリフは唸った。
トレーラーの壁に映るリックは、ひたすらクリフの名前を呼んでいた。「くりふ、きもちい」「くりふ、もっと」「くりふ、くりふ、くりふ」自分を犯す男のことをクリフだと思い込んでいるらしかった。吐き気とは別のものが、腹の奥から込み上がる。見下ろすと、ジーンズの中身は勃起していた。カッとなって、シンクからナイフを拾うと、すかさず自らの股間に突き立てようとした。こんな反応をする下半身なんか、切り落としてしまいたかった。「くりふ!」またリックの声。まるで行為を止めるかのようなタイミング。クリフはナイフを取り落とすと、ポケットを探って煙草を取り出した。震える手で火を点け、たっぷりと煙を吸い込む。その顔は血の気が引いて、真っ青だった。
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足に纏わりついてくるブランディをなだめながら、ドラム缶のなかにフィルムを放り込む。適当な紙くずと燃焼剤を掛けて、あの家を焼いたようにフィルムも焼いた。これで、このクソみたいなポルノの内容を知る者は自分だけとなった。それが、いいことなのか悪いことなのか、判断することは出来なかった。
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//Side R.
約束した通り、クリフは朝の七時にダルトン邸を訪れた。早朝でもやっているスーパーで、オレンジといくつかの果物、ガス入りのミネラルウォーター、それから、簡単なものを作れそうな食材を買ってきてくれた。合鍵で入ろうとしたところで、リックが内側から鍵を開け迎え入れると「起こしちまって悪いな」と決まり悪そうに眉を下げた。「いいんだ。どうせ、寝過ぎて眠れなかったし」と応えると、複雑そうな顔をされた。昨日から、クリフの様子が変だ。けれど、聞く勇気はなかった。またあの、死にたがる目をさせるのは嫌だった。
病院に行くにはまだ早い時間なので、二人してキッチンに並んで朝食の用意をすることにした。クリフがオレンジを切る後ろで、リックがミキサーに適当な果物を入れてスムージーを作ろうとスイッチを入れた瞬間、それは来た。ミキサーの蓋を押さえていた手から伝わる振動を感じた途端、下腹の奥で甘い痺れが走る。派手な音を立ててリックは崩れ落ちた。足に力が入らない。知らない感覚に支配されて、身体の痙攣が止まらない。いや、知っている。これは──。
「リック!」
クリフの焦る声。ナイフを投げ出して、リックの身体を支える。その腕が触れる感触で、また下腹の奥が甘く痺れ、ふるりと身体が震えて何かが弾けた。あ、思い出した。これ、昨日、男に。「次はメスイキ覚えような」と言う台詞が蘇る。ブライアン、確かあいつ、ブライアンって言ってた。あいつの手がおれの身体を這って、何処もかしこも触られて、気持ちよくて、男のものを──気づいたら涙が止まらなかった。自分が何をされたのか思い出してしまったリックは、青ざめてガタガタと震えている。
クリフもそれに気づいた。フラッシュバックと快感の余韻でパニックに陥っているリックが自分を傷つける前に、急いで寝室に運ぶ。ミネラルウォーターを飲ませながら「大丈夫だ、リック、もう大丈夫なんだ」と声を掛け続けるが、何が大丈夫なのか、クリフにも分からなかった。頬に伝う涙を拭いながら、自分も泣いていた。「すまない、リック、おれが悪いんだ、守れなかった、すまない、頼むからこっち向いてくれ、リック」焦点の合わない瞳がゆらゆらと揺れている。「冷蔵庫、」とちいさな呟き。
「おれ、あの家の冷蔵庫に寄り掛かって泣いてた。クリフたすけてって。でも、お前はいないし、自分でなんとかしなきゃって思ってたら、ジェイクが助けてくれたんだ。銃を寄越されて、おれはジェイクになって、あいつらみんな撃った。もしかして、こ、殺しちまったのか。おれ、おれ……」
「いいや、やってない。あんたはやってない。だけど、あいつらは死んだ。当然の報いだ。リック、もう大丈夫、あんたはもう、安心していいんだ」
クリフの腕に抱かれ、慰められる。髪を梳く指が優しくて、その声が柔らかくて、リックはまた涙を溢した。「おれ、お前だと思ってた。お前とならいいと思って、あ、あんなこと、だって、おれ、お前のこと、」「Shh, 言わなくていい。分かってる。あんたのせいじゃない。あいつらのせいだ。薬のせい。何も言わなくていい。分かってる……」声を遮るように、クリフがリックの頭を強く抱きしめる。その先の言葉を聞く資格は、自分にない。そう思っていたのに。
「すきだ」
ぽろりと口から零すように、リックが言葉を発した。二人の身体の間に熱い吐息が落ちる。そうしたら、もうだめだった。張り裂けそうな胸の痛みに押され、クリフは奥歯を噛み締めて呻いた。「何言ってるか分かってんのか、あんた、レイプされて訳分かんなくなって、そう思い込んでるだけなんだ、ほんとうの気持ちじゃない」わざと強い口調で咎めるクリフを見上げて、リックは叫んだ。「わ、分かってるって言った! お前、さっき分かってるって、そう言っただろ!? おれの気持ちが分かったんじゃないのか? おれはお前のこと、クリフのこと……だから、いいって思って、」さっきまで泣いていたとは思えないほど鋭い眼差しがクリフを射抜く。リックは言葉尻を濁しながら、クリフの胸に顔を押しつけた。
「なあ、ほんとうの気持ちって、おれの言葉信じられねえのかよ」
「いや、あんたの言葉を疑ったことなんかない。だが、いまは、」
「うるせえ! だったら信じろよ! おれがお前のこと好きだって言ったら、それはほんとうに好きだってことなんだよ! 黙って受け取れよ!」
まるで感情の押し売りだ。喚きまくる台詞とは裏腹に、リックはまたぼろぼろと涙を零していた。シャツの胸があたたかな水で濡れるのを感じ、クリフは天を仰いで目を閉じ、顔を片手で覆った。長く深い溜息を吐く。腕のなかのリックがびくりと緊張した。拒絶されるのを恐れる子どものような怯え方。目を開け、覚悟を決める。リックの顔に両手を添え、しっかりと目線を合わせる。
「そんな啖呵切られちゃ、惚れ直しちまうな」
あの、慈しむような眼差しだった。「この目に映るもの、これだけが、大事で愛おしくてしょうがない」という眼差し。クリフの頬に残る涙の跡がきらめく。それにそうっと触れて、リックはクリフの唇に口づけた。ほんのちょっとくっつけただけの、すぐに離れてしまう唇。けれど、それで充分だった。二人とも、胸に湧き上がる気持ちを感じていた。そうして、その気持ちに逆らわなかった。
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クリフの熱い舌が、リックの肌を這っている。犬が身体を綺麗にしようと舐めるように、長い舌でもって隙間なく撫でていく。名前も忘れたあの男の痕跡を消すように、上書きするように、自分の熱を覚えさせるように。唇、胸、腹、性器、その奥まで。クリフはリックの身体の何処もかしこも愛撫して、とろとろに甘やかした。リックを甘やかすのは得意だった。九年も隣にいたのに、まだ触れ合ったことのない場所があるなんて、不思議な感じだった。二人は、互いの境目を忘れて溶け合った。
「あ、クリフ、」
「何だ、ここは嫌だったか」
「ちがう、あの、さ、気持ちいい。おれ、う、嬉しいんだ」
お前とこうなれて、ほんとうに嬉しい。そう、泣きそうな顔を蕩けさせて話す様子が愛おしくて、クリフはリックの左手を取った。薬指のあたりに口づけて「おれもだよ、リック。おれも嬉しい」と笑った。こころがじんわりと熱くなる。
「あんたが好きだよ。もうずっと、出会ったときから。いまは、愛してる。リック、あんたのこと、ほんとうに愛してるんだ」
それこそ、何もかも捧げたって足りないくらい。
どうしてもっと早く言わなかったんだろうと、二人とも考えていた。雇用する側とされる側、俳優とスタントダブル、兄弟以上妻未満の親友。いくつもある肩書は、どれも自分たちにとってとても大切なものだった。離れがたくて、居心地のいい関係。もっと先があるなんて、想像するだけで充分だったのに。言葉にしてしまえば、簡単だった。けれど、言葉にしてしまうのが、こわかった。それで、誰かに先を盗られたんじゃ、あんまりにも酷い有様だったが、もし、あんな目に遭わなかったら、ずっと言わずじまいでいたんじゃないかと思うと、もうどうでもよかった。
「はやく来いよ」
リックの挑発に抗う理由もなく、クリフは解けたなかに自分のものを挿入した。熱くて柔らかくて、それでいて、もう離さないと言うように締めつけてくる。ぐる、と喉の奥で唸り声がこもった。ゆっくりと奥へと進み、いたわるように、慈しむように繋がる。リックがクリフの背中に手を這わすと、火傷で引き攣れた皮膚がざらざらと指に引っ掛かった。その感触を楽しむように肌を撫でる。「あんまり煽らないでくれよ」いつものへらりとした余裕は何処へやら、クリフは眉を寄せて困ったような表情でリックの首筋に鼻を埋める。「あんたの匂い、すごくそそるんだ」耳の後ろまで嗅ぐように辿られて、リックはくすぐったさに喉を鳴らした。
「最初の男にはなれなかったけど、おれを最後の男にしてくれよ」
耳元で甘く低い声が囁く。「もちろん、決まってるだろ。お前もぜったい、ほかに目をくれるな。おれから離れようとしたら、火炎放射器で灰にしてやる」冗談めいた口調で応える台詞は物騒なものなのに、クリフのこころは喜びで満たされていた。思わず、首筋にかぶりつく。「あッ」と上がった声が艶めいて聞こえるのは、気のせいじゃないはずだ。なかが締まって、クリフの動きを誘う。ゆるく律動する動きから、だんだんと激しく荒々しい動きになってしまうのを、リックはぜんぶ受け止めた。隔てるもののない摩擦に、二人とも何処までも高まっていきそうだった──。
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「もう一度言ってくれよ」
「もう言わねえよ。恥ずかしい」
カーテンを開けっ放しにした窓の向こうには、もう夕方が訪れていた。時が経つのも忘れて繋がりあっていた。喉が渇いてミネラルウォーターを取りに行こうとしたクリフについて行って、キッチンで一度。オレンジをかじりながら唇を果汁で濡らし、もう一度。寝室に戻ってから、じゃれ合うようにシーツを翻して、また一度。何度も口づけ、愛撫し、抱き合った。互いに、もう二度と離れたくなかった。出せるものがなくなっても、ずっと肌をくっつけて、髪を梳きながら見つめ合った。言葉なんかいらない。青い瞳を覗き込むだけで、言いたいことが分かった。それでも、聞けるものならもう一度聞きたい。
「なあ、おれは言ったぜ。愛してるって。あんたの口からもう一度聞きたい。今度は喘ぎ声なんかに乗せないで」
ねだるように目を細めて、クリフがリックの下唇を親指でなぞる。
しばらくシーツに顔を埋めて唸っていたが、粘り強く頼むと、リックはとうとう観念してクリフの耳に唇を寄せ、その言葉を囁いた。あたたかい吐息が首筋に掛かり、クリフが身を震わせる。「おれもだよ」と応える声が二人の間を繋いだので、クリフとリックはもう一度口づけを交わした。窓から差し込む太陽が最後の筋を伸ばして、祝福するように、二人を光のベールで包んだ。