Don’t Wanna Be Alone.

「ジョー、僕と結婚してよ」

 そこまで買い物に行こう、くらいの軽い調子で言われたジョーは、きょとんと目をまるくして、目の前に座るフランクをまじまじと見てしまった。彼の様子はいつもと変わらない。映画で得た知識によると、結婚とは人間同士が将来を誓い合う、とても重大な決断のいる行為のはず。結婚の申し込みなんかはもう、映画のなかだとロマンチックな雰囲気と、真剣な眼差しで指輪を贈る光景でお馴染みだ。プロポーズというらしい。けれど、フランクの表情はロマンチックでも真剣でもなさそうだ。現に、さっきの言葉なんか何でもなかったような顔で、朝食のパンケーキをもくもくと口に運んでいる。もしかしたら、映画の表現は誇張されているのかもしれない。興味深かったので、ジョーはフランクのプロポーズを受け取った。

「いいよ。結婚しようか」
「ん、よかった。じゃあこれ、指輪」

 仕事用の鞄から取り出したのは、水色のちいさな箱。
 興味津々にフランクの手を覗くと、彼は箱を開けて指輪を取り出し「はい」と、ジョーの手のひらに乗せた。シンプルなプラチナのそれを、しげしげと眺める。「こういうときは、相手の手を取って指に嵌めて渡すものじゃないのか?」「よく知ってるね。それもそうか……ジョー、左手出して」言われたとおり、素直に手を差し出すと、フランクはジョーの左手薬指に指輪を嵌めた。

「今日の僕は、ブラック姓を名乗るから」
「今日だけ? 結婚とは死ぬまで共にあれと誓うものだと思っていた」

 左手に収まった指輪は、すこしサイズが大きいような気がして嵌め心地が悪い。フランクの方は、さっさと自ら指輪を嵌めてしまった。ロマンがない。ジョーは、人間の情熱というものを知りたかったので、何とも肩透かしな気分だった。

「あ、言い忘れてた。これ、ほんとの結婚じゃないから。偽造結婚て言うのかな。ちょっと仕事でパートナーが必要になったから、ジョーと結婚しちゃえばちょうどいいと思って。今日は君にも仕事を手伝ってもらうから、よろしく」

 指輪はFBIの押収品から借りたものらしい。だから、いまいちサイズが合わないのか。フランクの話では、いま追っている詐欺師を逮捕するために、美術品のオークション会場に潜入しなくてはならないらしい。しかし、同伴者が必須だとか。「何故」と聞いても、やっと手に入れた紹介状に記載された事項だから、従わないと怪しまれてしまうと答えられた。

「同伴者と言うことは、恋人でもいいのでは」
「僕と君じゃ、兄弟に間違われそうだから。指輪の方がひと目で分かって確実だろ」

 まだ、いまいち納得がいかないジョーだったが、これも人間の行動を観察するのに有益だと思い、最終的には承諾した。「偽装結婚。ほんとうの結婚じゃない……。ところで、この場合だと君は妻?」「妻は女性のことだよ。僕らは同性婚だから、伴侶とかって呼べばいいんじゃないかな。別に名前で呼んでもいいし、ダーリンとかでもいいし」フランクは食べ終わった皿を持ってキッチンに向かっていた。ということは、もう出勤の時間だ。いつもなら、留守番をしながら本やテレビを楽しむのだが、今日は一緒に出掛けることになったので、ジョーも皿を片付けた。

「そのスタイルだと、ちょっとラフ過ぎるなあ。ドレスアップ用のスーツとかない?」

 ざっくりした白いセーターと黒いスキニージーンズ姿のジョーを上から下から眺めて、フランクはクロゼットのなかにある衣服を思い浮かべる。確か、はじめて会ったときに着ていた高級なスーツが取ってあるはず。あれならちょうどいい。ジョーを寝室に放り込んで、お互い着替えてネクタイを結ぶと、二人は連れ立って家を出た。

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 潜入先のオークション会場には、あらかじめ待機していたリムジンで向かった。もちろん、捜査官の手配したものだ。本来は知能犯専門チームの仕事なのだが、上流階級の集まる場に溶け込める捜査官が不足しているので、身分詐称に長けたフランクが協力することになったのだ。正装したジョーと一緒に車に乗り込むと、待っていたカールに「すごいな。豪華なカップルだ」と褒められた。今回、カールは補助役なので、会場に着いたら別の車で待機してもらうことになる。

「いいか、僕に話を合わせて。君は微笑んでシャンパン持ってるだけでいいから」
「楽しそうだね。ケータリングにピーナツ・バターはある?」
「あっても食べないで。怪しまれるから。これは仕事なの」

 了解、と頷いたジョーは、次の瞬間にはスッと表情を変えて、会場の雰囲気に合わせた上流階級の男性らしく振る舞い始めた。たぶん、前にメディア会社の社長宅で世話になったときに作法を身に着けたのだろう。レクチャーしなくても、自然にフランクの手を取って伴侶のようにリードし、場に溶け込んでいた。オークションの行われる部屋に入ったときには「どうぞ、ダーリン」などと囁いて、うやうやしく椅子の背に手を添える真似までして。フランクはすこし胸がときめく心地を味わったが、軽く頭を振って流した。これは仕事、集中しないと。

 二人に課せられた任務は、とある美術品を落札すること。
 詐欺師は、特定の美術品を競り落とした人間に近づいて「あなたの趣味に合う品物がある」と言って取引を持ち掛ける。後日、鑑定書付きの品物を受け取ってその場で支払いをするも、別の鑑定に出してみると「よく出来た贋作」だと判明する。慌てて相手に連絡を取っても繋がらない。口座もフェイク。そういう手口で、これまで何件も詐欺を行っている。

 ジョーとフランクは、ターゲットになりそうな美術品を競り落とし、わざとカモになる。審美眼の鈍い金持ちのコレクターを装って取引の話に乗り、指定された日時と場所で、詐欺師本人から品物を受け取り入金したら、すぐに捜査官が駆けつける。その場で鑑定を行い、贋作だと判明すれば現行犯逮捕に踏み切れるというわけだ。

 オークションの半ばで、目的の美術品が出品される。
 とある画家のスケッチを集めたものだ。いままでの傾向から、詐欺師の趣味に合う美術品だと分かっているので、オーナーには話を通してある。釣り上がる値段に怯むことなく、フランクはどんどん合図を送って入札していった。隣に座ったジョーは、興味津々でその様子を見守る。無事に落札したので、二人は揃って部屋を出た。専用の部屋へ移動し、フェイクの引き渡しと入金をすませると、人のまばらな待合室で詐欺師に声を掛けられるのを待った。

「すごい取引でしたね」

 来た、奴だ。
 詐欺師は壮年の男で、上手く場の雰囲気に溶け込んでいた。こうして控えめで柔らかな物腰を装って、さっきの取引について感想を述べ、警戒心を解かせるというわけだ。しばらく談笑したところで「実は」と例の取引を持ち掛けられた。フランクは、ジョーに判断を仰ぐふりで「どうしようか」と尋ねる。「いいと思う。ちょうど寝室に飾る絵が欲しかったんだ。お願いしようか、ダーリン」などと話を合わせてもらい、交渉は無事に成立した。あとは、指定された場所で品物を受け取り、入金するだけだ。しかし、男は「そばのホテルに品物があるから」と言って、すぐに取引をしたがった。

──どうしよう、カールたちに知らせないと。

 フランクはとっさの判断で「ちょっと席を外します」と断り、ジョーと男を残してその場を離れた。レストルームで外に連絡しようと思ったのだ。ところが、個室に入ろうとした途端、身体を突き飛ばされて鍵を掛けられる。「あんた、捜査官だろう」どうしてか、正体を見破られていたらしい。男はフランクの手にあるスマホを奪って便器に落とすと、ねっとりした目つきで「何、逃げる手段はあるんだがね、その前に楽しませてもらおうと思って」と囁くと、明らかに欲を孕んだ手つきで触れてきた。

──クソッ、こいつ分かってて!

 助けを呼ぼうとした声は、無理やり口付けられることで封じられてしまった。間の悪いことに、レストルームには男とフランクしか居ない。唇をこじ開けて侵入してくる舌に吐き気がして何とか抵抗しようとするも、男二人で収まる個室は狭く、相手の方が力も強いので押さえ込まれてしまう。男の手がシャツのなかに滑り込んだ。気持ち悪さに鳥肌が立つ。けれど、ここで男を引き止めれば、会場から出てこないフランクたちを怪しんで連絡が入るかもしれない。電話が通じないと分かれば、何かあったと察して駆けつけてくれるはずだ。それまでの我慢、とフランクが身体の力を抜いたとき──。

「面白そうなことをしているね」

 いつの間にか開いていた扉の向こうに、ジョーが笑顔で立っていた。
 鍵が掛かっていたはずなのに、何の音もしなかった。突然現れた第三者に慌てた男が、フランクを人質にしようと動いた瞬間。「ぐッ」とくぐもった声を上げて、男は胸を押さえながら崩れ落ちてしまった。はっとしたフランクがジョーを見ると、その目は笑っていなかった。背筋がぞっとする。死神の目。足元の男が苦しそうに呻くのを、彼は路傍の石より関心のない眼差しで眺めている。「やめろ!」思わず引きつった声で叫び、ジョーの胸ぐらを掴んだ。

「何、冗談だよ。まだそのときじゃない」

 ぱっと表情を和らげて、ジョーはフランクと目を合わせた。きらきらとした瞳。よかった、いつもの彼だ。急に苦痛から開放された男は、何が起こったのか理解出来ない様子で怯えている。フランクはすぐ、ジョーのスマホでカールに連絡を入れた。男は捜査官に連れて行かれ、付近のホテルで待機していた仲間と贋作、それに詐欺の証拠まで押さえられたので、無事逮捕された。何があったのかと心配するカールに「大丈夫、ちょっとトラブっただけ。それより解決してよかった」と応え、フランクはジョーを連れて帰路についた。

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 帰宅したフランクは、自分のテリトリーに着いた安心感のせいか、ぶわっと感情を溢れさせた。キッチンに走り、水道水で何度も口をゆすぐ。まだ気持ち悪い感覚が残っていた。ふと、背後からそっと腕が回される。出掛けるときに「これも嗜みだから」と言って振り掛けた香水の匂いが、二人の間でほんのりと香った。

「君を損なわれるかと思った」

 ぽつりと耳元で呟かれた声は、すこし怒っているように聞こえて。
 濡れた手のまま、フランクはジョーの腕をぎゅうと掴んだ。「損なわれたら、僕のこと嫌いになる?」本番は未遂に終わったとはいえ、無理やり口付けられたのは事実だ。ジョーは、何故かフランクのことを「綺麗だから」と気に入ってそばに居てくれるが、あんな場面を見たからには、幻滅して出て行ってしまうかもしれない。誰かに置いていかれるのはもう嫌だった。高級なスーツの袖が濡れてシワになっても、フランクはジョーの腕を掴んだまま離せなかった。

 かすかに震える指を、すこし冷たい手で握り込まれる。ジョーの体温。人間より低めの、生けるものとは異なるぬくもり。「嫌いになんてならない。君のたましいは、いつだって美しい」甘く囁く声が近づいたかと思うと、はむ、と耳を食まれた。フランクの肩が驚きに揺れる。「キスしてもいい?」と許可を求めるジョーに、フランクは「そういうの、いちいち聞くなよ」と頬を赤らめながら応えた。

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 ジョーに手を引かれて、寝室に移動する。
 もっと、なだれ込むように連れて行かれると思っていたのに、彼はとても冷静にフランクを扱った。ベッドのふちに腰掛けさせられ、スーツを脱がされる。何処で覚えたのか、するすると慣れた手つきで暴かれながら口付けてくる。ついばむようなそれに、くすぐったさを感じて笑ってしまった。「やっぱり、その顔がいちばん好きだ」青い瞳に覗き込まれ、真摯な口調で言われる。いつも、直球過ぎる睦言に戸惑ってしまう。「僕も、ジョーの真面目な顔は好き」照れ隠しの言葉を返すと、彼は「当然だろう」と応えた。

「この器は、かなり造形がいいらしいから」

 そういうことじゃないんだけどな、と思いながら、ちょっと人間の感覚とずれたジョーも愛おしい、とフランクは感じた。造形がいいと言う身体を抱き寄せて唇を舐め、続きをねだる。こういうときだけ察しのいい彼は、フランクを押し倒して、すぐ行為に入った。

 丁寧で教科書通りのような愛撫、反応を探る手つき。わざとではないと分かっていても、経験がすくないせいか、人間の扱いに慣れないせいか、ジョーはフランクを焦らしに焦らした。身体の奥でさざめく欲求が、ぱちんと弾けてしまいそうだった。はやくはやくと急かしてしまう自分が、淫乱になったようで気恥ずかしい。潤滑剤でとろりと解けたなかに、ジョーのものがゆっくりと挿入されて律動が始まる。やっと訪れた満足感と安心感に、つい涙がにじんだ。「何故、どうして泣くの」ジョーが動きを止めてフランクに尋ねる。

「ばっか、やめんな。気持ちいいから泣いてるの。はやく動いて、イかせてよ」 「なるほど。君は、気持ちいいと泣くんだね」

 いちいち恥ずかしいことを言わされて、ほんとうはこいつ、わざとやってるんじゃないかと疑いたくなった。けれど、その考えは動きを再開されたら引っ込んでしまう。情熱を知りたいと言うわりに、ジョーの行為は穏やかで、すこし低めの体温が、火照った肌に心地いい。ゆるゆると揺さぶられていると、快感が煮詰められていくようで、下腹の奥がじゅんと濡れるような感覚に陥る。首筋を、胸を、拙く舐められただけで、悦びに嬌声を上げてしまう。こんなに感じる身体にされてしまったら、ジョーが居なくなったとき、寂しさで死んでしまいそうだと思った。でも、そのときはきっと、彼が迎えに来てくれる。甘やかな思いつきに、ぞくりと背が震えた。

「そんなこと考えないで」

 何もかも見通す眼差しで見つめられ、前髪を梳かれる。
 その指先にも感じてしまい、フランクは「ああ」とちいさく喘いだ。

「君のこと、まだ手放したくない。僕がもういいと思うまで、ずっと一緒だよ」

 まあ、そんなことを思うのは、君の寿命よりずっとずっと先になるけれど。綻んだ表情は優しげなのに、言うことは傲慢で物騒で。思わず声を立てて笑ってしまう。「情熱を知りたいんでしょ」と聞いたら「うん」と、幼い子どものように素直に頷くジョー。その頬を撫でて「だったら、僕が一生ついてて、教えてあげる」と囁くと、彼は嬉しそうに目を細めた。続く律動は、さっきよりも強く激しく、自分の体温が移ったジョーの肌も熱くて。緩やかなエクスタシーに包まれ、フランクは「くう」と息を詰めた。

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 行為が終わった後の雰囲気にまだ慣れない二人は、どうにも無言で互いを見つめることしか出来ない。ときおり、髪を撫でたり肩を触ったりしながら、シャワーを浴びに行くタイミングを計る。ふと、隣に寝そべっているジョーが、フランクの手を取って指輪を外した。すこしサイズがきつかったせいで、ほんのりと赤い跡が付いている。

「今度は、君にぴったりのやつがいいね」
「うーん、押収品だから選べないよ」
「違う、僕が買う。明日にでも店に行こう」

 突然の言葉に、フランクはきょとんと目を瞬かせた。
 そんな調子のいいこと言って、お前、金とか持ってないじゃん。
 そう言い返したかったのに、ジョーの柔らかな唇が指輪の跡に触れた途端、フランクの胸はとくんと高鳴って、口が勝手に「うん」と応えていた。