僕の水素ちゃん

── Hydrogenny.
──水素ちゃん。

 なんて頭の悪いとろけた呼び方だろう。思いついたときは、シュガーハニークッキーとかマシュマロホイップベーグルとかよりずっと、ダニーの大切さと愛おしさを表せる最高の単語だと自信が持てたのに。口に出してみたら、ぽかんとした顔のダニーが「あんた、何言ってるんだ?」と言わんばかりに不審な目をしている。あ、でも。もしかして、小声だったから聞こえてなかっただけかも。

「水素ちゃ……」
「ッだァ聞こえてる! 何だよそれ!」
 耳を掻きむしるジェスチャーで応えるダニーは、訳が分からないなりに僕の言い分を聞いてくれるらしく、じっとこちらを見て次の句を待っていた。僕は、理路整然と恋人同士における愛称の命名について説明したのだけれど、彼は上手く飲み込めないようだった。

「恋人を甘いお菓子の名前で呼ぶ習慣があるだろう? あれと同じで、僕も君を何か特別な愛称で呼んでみたかったのだけれど、小麦粉や砂糖で構成された炭水化物に例えるのはどうもしっくりこなくて、それで、恒星の輝きに欠かせない元素だったら素晴らしいだろうと思って。ねえ、水素が星の光を吸収して作り出す光景は、とても壮大で綺麗なんだ」

 どうかな、と反応を伺うまでもなく、ダニーは耳まで顔を赤くして「そんな大層なモンに例えてんじゃねえよ……」と照れ隠しの台詞を絞り出した。それがかわいくて、考えたての愛称を馬鹿みたいに何度も耳元で囁く。

──水素ちゃん。
──周期表のいちばんめ。
──水にも血肉にもなる、この宇宙におけるエネルギーの源。

 僕なりに特別感を伝えられて嬉しかったので、浮かれていたんだと思う。ダニーはこのとき「周期表って何だよ」とか「意味はよく分かんねえけど、すっげえ甘ったるい声で言われると恥ずかしい」とか思っていたらしい。それでも、遮ることなく僕の言葉を受け入れてくれた彼が愛おしい。一通り睦言のような台詞を並べたあとのダニーは、腕のなかでぐずぐずに溶けてしまっていた。

「ふたりっきりのときだけにしろよ。それで呼ぶの」
 すこし熱を帯びたブルー・マーブルの瞳が、キッと僕を睨みつけて言う。僕はそれに、「分かった。僕の水素ちゃん」と言って応えた。