真夜中のアイスクリーム

「さむい」

真冬の真夜中だっていうのにアイスクリームなんて頼むからだろ。とタイラーは思ったけれど、口にはしなかった。アイスのご相伴にあずかれなくなるからだ。ライトグリーンの薄っぺらい病院着の上に羽織らせたフェイクファーのコートは、本物の毛皮に比べればたしかに寒いだろう。いつかクマでも狩ってそいつを毛皮にしたら、ジェイに着せてやりたい。ウサギだとかテンだとかのリアルファーが似合いそうな面をしているが、彼に似合うのはもっと大きくて強い動物だと、タイラーは考えている。

深夜のデイリークイーンは全然人なんかいなくて、つまり店員も表にはいなくて。マシンの隣でスマホをずっといじくってる制服の女店員と、カウンターでいつまでもブリザードのカップをかき混ぜている眠たげな若い男と、タイラーとジェイの四人だけしかいなかった。フランチャイズの店舗は営業時間が深夜二十四時までになっていたが、こんな時間までアイスパーラーに用のある人間なんているか? いや、おれたちがいるか。とくだらない自問自答をする。

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タイラー・ダーデンは、相棒の裏切り(というか自立というか)によって一度死んだ。
しかし、実体のない人間が死んでも死体にはならず、どうしてか生きた質量を持ってしまった。目が覚めたのはジェイの入院している病院のトイレで、最後に相棒と対峙したときの服装のまま(でも、短髪にしていた頃の肉体で)、何故か便器に頭をぶつけて死んだみたいな間抜けな格好をしていた。誰もいなくてよかった。頭に穴が空いてないことと、相棒以外の人間にも自分が見えることを確認したタイラーは、とりあえず、ジェイのいる病室に向かった。彼は、ひと月以上通っても意識を取り戻さなかったというのに、タイラーが扉から中を覗くと起き上がってぼんやりと外を眺めていた。

──こういのって、おれが起こして目を覚ますとかじゃないのかよ。
ちょっとロマンを期待していたタイラーは拍子抜けしたけれど、ジェイが目を覚ましたなら話は早い。逃避行だ! と、まだ何も把握していなさそうなぼやっとした彼の手を引っ掴んで、ふたり病室を抜け出した。裸足のジェイに傷がつかないよう横抱きにして、病院の駐車場へ向かう。派手な赤いスポーツカーが目にとまった。オープンのまま、エンジンが掛かっている。どうやら持ち主は深夜だからって油断してちょいと離れているようだ。ということは、どうぞ拝借してくださいということだな。勝手に納得して、ためらいもせず、ジェイを助手席におろして運転席に座る。後ろから何か叫ぶ声が聞こえた気がするが、アクセルをベタ踏みしたらすごい排気音がして聞こえなくなった。

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「ねえ、残り食べていいよ」
ジェイが差し出すアイスクリームは、デイリークイーン名物の二段に絞り出した丸っこいフォルムのソフトクリーム。の、上半分を舐めてすこしでろっと溶けはじめた代物だった。あんたが「ねえタイラー、アイスクリームが食べたい」なんて言うからわざわざ来たっていうのに。半分しか食わねえのかよ。と思ったが、口にはしない。実のところ、これを期待していたからだ。
「なんか、アイス半分こってバカップルぽくていいな」
「? 馬鹿にしてるのかい」
「違う違う、嬉しいってこと」

──我ながら浮かれてるな。
──だって、ジェイが生きてるんだぜ!
──そうだ、銃弾に倒れたこの人を見送ってからずっと、百年近く夢見てきた光景だ。

めちゃくちゃな話だと思うだろうが、タイラー・ダーデンはジェイ・ギャツビーの子どもだった。間違いない。なんたって、ファイトクラブ原作小説の後書きで著者がそう言っている。いや、言ってはいないか。とにかく、本来この世に存在するはずのないふたりが、なんの因果か存在してしまった。あの、オンボロ屋敷のキッチンにジェイが倒れていたときから、すべてが変わってしまった。タイラーは物語から退場し、(そりゃ、続編のコミックに登場はするだろうけど)人々の記憶の中でしか生きられないはずだった。それなのに、もう百年近く本の中でしか存在しないはずだったジェイが現れたのだから。まあ、帳尻を合わせるためにおれが実体を持ってもなんの不思議もない。ということにしよう。

タイラーだって、この事態に多少混乱はしていたけれど、腕に感じるジェイの重みだとか、オープンカーの助手席でなびくジェイの髪だとか、さむいと言いつつアイスを舐めるジェイのちいさな舌だとかを見ていたら、どうでもよくなったのだ。それよりも、この甘ったるい上に甘ったるいキャラメルがけのソフトクリームをどう食べきるか、と考えていた。  ふと、目線を感じてそちらに目を向けると、頬杖をついたジェイがこちらをじっと見つめている。「どした?」と尋ねると、「君と僕はどういう関係なんだろうか」と返される。とうとう聞かれるときがきた。ここまで、ジェイの様子がぼんやりしているのをいいことに説明抜きでいたが、やっぱり気になるのだろう。タイラーは残りわずかなアイスをコーンごとばりばり食べきってから、それが時間稼ぎにもならなかったことに気づいて黙り込んでしまった。

──どう説明したもんか。
腕を組んで唸るも、いい案が思いつかない。普段なら適当なことを言ってごまかしてしまえばいいと思うのに、ジェイに嘘は吐きたくなかった。あんたは小説の登場人物で、おれも小説の登場人物で、ふたりは物語の構造上では同じ「理想の男性」として描かれているという共通項があって……と、こんな説明では病院送りである。
「もしかして、君は僕の愛する人?」
「はあ!?」
思わずデカい声が出てしまい、店内に間抜けなこだまが響き渡る。スマホをいじっていた店員が一瞬だけ顔を上げて、またタップ作業に戻った。
なんでそんな飛躍した答えにたどり着いたんだ。とタイラーは焦るが、振り返れば思わせぶりな行動やら発言やらをしていたのは自分であったことに気がつく。違う、おれはあんたの最愛の子どもでありたかっただけで、恋人になんて──という気持ちを言語化する前に、ジェイが続ける。「ずっと長い間、愛する人を待ち続けていたような気がして、つい」と。それで、うなじに怒りが立ち上った。

──デイジー! あの女!
──まだジェイを離さないでいやがる。

けれど、思えば彼の記憶は「デイジーからの電話を待っている」ところで途切れているようなものだった。しかも、待ちわびた連絡がやっときたと思った瞬間に、彼は銃弾に倒れたのだ。実際には、その電話はニックのものだったし、デイジーは夫と逃げてあんたの葬式にも来なかった、とは口にできなかった。ジェイがとても悲しむだろうから。
だから、だ。
だから、タイラーは身を乗り出してジェイにキスをした。
子どもが大人を励ますときのような、唇にかすめるだけの、つたなくて、幼いキス。がたんっ、とタイラーの座っていた椅子が後ろに倒れ、店員と男が振り返って見てきても気にならなかった。零れ落ちそうなほど目をまんまるにして驚くジェイが面白くて、思い出したようにぱしぱしと睫毛を瞬かせるまで、じっくりとその顔を堪能した。彼はきょとんとした表情から一転、花がほころぶように微笑んで、「やっぱり」と嬉しそうにこぼした。

「口、キャラメルついてる」
ジェイのまるっこい人差し指で、口端についたキャラメルを拭われる。そのまま指先をぱく、と食べてしまうのを見て、親が幼い子どもの食べ残しを片付けるときみたいな光景が浮かび、タイラーはなんだか泣きたくなった。それが、嬉しいのか、悲しいのか、判断はつきかねた。
さっきまで静かだった店内を、店員がてきぱきと片付けていく。時計は二十三時半をすこし過ぎていた。永遠にここに居られたらいいのに。ジェイの食べかけのアイスをもっと味わって食べればよかった。最後の晩餐に何を食べたいかと聞かれたら、おれはきっと「デイリークイーンのキャラメルソフト」と答えるだろう。

「あのー、もう閉店なんですけど」
客の追い出しに入った店員に声を掛けられるまで、タイラーは痛いカップルみたいにジェイにべったりくっついて暖をとっていた。眠たげにしていた男は店員の恋人らしく、私服に着替えた女の後ろで帰路につくのを待っている。わりいな、とまたジェイを横抱きにして、ふたりも帰路につくことにした。といっても、帰る場所なんてどこにもないか。

タイラーは、胸板にぴっとりくっついてくるジェイのつむじを嗅いでみた。なんとなく、まだあのジジくさい香水が残っていたら、と思ったのだ。でも、もう香りなんか残っていなくて、ヤワな花みたいな匂いがして。「ああ、ジェイの匂いだ」と感じたら、もうどこへでも行けるような気がしてきたのだった。

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続編:ファストフードで朝食を