Soap, Kiss, Baby, Love

──ジェイ、俺のこと産みなおして、孕んで、種付けさせて。
──ううん、俺との子どもじゃなくって、俺をもう一度この世に生み出して。

 そうタイラーが言うのを、ジェイはきょとんとした顔で聞いていた。何をまあ、この子は。「僕は男だから妊娠できない」と返すのは簡単だが、きっとそういうことじゃないのだろう。タイラーはぐずる子どものように眉を思い切り下げて、いまにも泣きそうな顔をしていた。めずらしい。ちょっと尖らせた唇から、もう一度ダメ押しの「お願い」という言葉。

「……わかった。おいで」

 しばし悩んだけれど、ジェイはタイラーの戯言に付き合うことにした。できることなら、彼の願いはなんでも叶えてあげたい。なにせ、彼は僕の子どもらしいので。それに、熱の入った「産みなおして」という台詞が胸にぐっときたのも理由になった。ジェイは、自分が重たい感情を抱きがちなので、ことさらそういう重たくて病んだ台詞によわいのだ。

 両手を広げて受け入れる体勢のジェイに、タイラーは表情をぱっと輝かせて飛びついた。どっとソファの背もたれにぶつかる背中。成人男性ふたりを受け止めてもびくともしないソファは重厚な特注品だった。この上で彼に抱かれるのだろうか、とジェイは考え、だったら何か敷かないと革がだめになってしまうかもしれない、と思った。

 けれど、タイラーは押し倒したジェイの腹に頭をぐりぐりと擦りつけるばかりで、ちっともセクシャルなムードにならない。まるでこうしていれば子宮に到達すると思っているかのようだった。「種付けとやらはしないのかい」と尋ねたら、「しない」と返事をされる。ただ甘えたかっただけらしい。彼はときどき、うんと幼い仕草でジェイに接する。男性的な魅力にあふれるタイラーには信奉者が多く、よく素手の殴り合いで交流を深めているらしいが、彼らはこんなタイラーを知らないだろう。

──僕のかわいい我が子。

 知らなくていい。これはタイラーが僕だけに見せる姿なのだ、と思うといとおしさで心臓がきゅうっと絞られるようだった。いじらしい。もっとわがままな姿を見せてほしい。どんなことでも「いいよ」と言って叶えるから。気づけば、ジェイは目に涙をたたえていた。どうして自分が泣きそうになっているのか分からなかったけれど、きっと感情があふれてあふれてしょうがなくなってしまったのだと思った。

「ジェイ」

 タイラーがジェイのまなじりに唇を寄せ、こぼれ落ちる寸前の涙を救った。しょっぱい、と笑う彼まで泣きそうな顔だった。お互い、胸いっぱいに生まれた感情をどうしていいか判断できなかった。「これってなんだと思う?」とタイラーが尋ねるのに、ジェイは「愛かな」と答えた。どんな愛かはまだ不明だったけれど、口にしてみれば確かにそれは愛だった。

「俺はさあ、ジェイとひとつになりたいわけよ。なにもセックスにかぎった話じゃなくてさ、どろどろの脂肪を煮詰めて固めて石鹸にするみたいに、混ざりあってひとつになれたらいいなあって思うわけ。だって、俺はジェイで、ジェイは俺なんだから。なあ、物は試しって言うだろ、だから、ジェイと俺の脂肪をちょっとずつ取り出して、混ぜて、石鹸にしたら、すこしはこの落ち着かない気分が落ち着くんじゃないかって思うんだ」

 きらきらと目を輝かせて言うタイラーは、まるでジェイも賛同してくれるとはなから確信しているかのように、うんうんと頷いている。もちろん、ジェイも「いい考えだ」とタイラーの髪を撫でながら頷いた。ほんとうにいい考えだと思っていた。だって、彼と僕が物質的な意味でほんとうにひとつになれるなんて、とてもロマンチックじゃないか。

 だから、ふたりは実行した。

 金を積めば多少の無理でも通せる美容クリニックで、ほんのわずかばかりしか取れなかったが脂肪を吸引し、持ち帰った。それをタイラーが煮立てて、純粋な脂だけをすくいとる。ほんのわずかな脂肪は、ほんのほんのわずかな脂になり、苛性ソーダを混ぜてできた純粋な石鹸は、手のひらに乗せるとそれだけで溶けてしまいそうなくらいちいさかった。

「まるで石鹸の赤ちゃんみたい」
「でも俺とジェイの赤ん坊じゃないぜ」
「わかってる。これは君、そして僕だろう」

 正解、と言ってにんまりと笑うタイラー。

 ただの白っぽくて匂いもしない石鹸に、彼はジェイの愛用する香水と自分の血を混ぜた。血は一滴かそこらだったから色は変わらなかったけれど、香りはジェイの体臭に近いものになった。香水だけだったらこうはならなかっただろう。「本人の一部が入ってるもんな」とタイラーは言うが、ジェイは「でも、君の一部も入ってるからかな。君の匂いもする」と返した。

「なあ、俺ってどんなにおいすんの」
「血と汗と、まだ新しい革の手触りみたいな匂い。喧嘩の帰りはとくに」
「ふーん」
「香水つけたらいいのに。似合いそうなのがあるよ」
「やだよ、どっかのモデルが持ってるイメージがぷんぷんしてくせー」

 そういえば、タイラーは消費社会に正面から逆らおうと躍起になっているのだった。それなら、君だけのための香水を作ったらつけてくれるかな。それとも、そんなことをしたらタイラー・ダーデンのイメージを消費するだけだって怒るかな。

 ふんふんと石鹸を練っている彼を見つめながら、ジェイはキッチンをただようわずかなふたり分の匂いにしあわせを感じていた。交わる脂、交わる匂い、交わる時間。濃厚なセックスでもこうはいかないというような一体感。いまうっかりタイラーの肌に触ったら、溶けたろうそく同士のようにくっついてしまいそうだと思った。

 それで、つい、好奇心に駆られたのだ。

 ジェイは鍋をかき混ぜているタイラーの横顔にキスをした。くっついてしまうのがこわくて、わずかに唇の皮が触れるだけの浅いキス。そのおかげか、ジェイとタイラーはくっつきはしなかった。いま何が起こったのか分からなかった、といった顔でこちらを向くタイラー。「なにしたの」「キス」短い会話のやりとりに、彼は怒ったのかもしれない、と思った。

 けれど、タイラーは怒ってなんかいなかった。唇の触れた頬を撫で、ジェイを見つめ、ほんのりと耳まで赤くして「いいもんだな」と言った。かわいかった。だから、もう一度。次はその赤くなった耳に両手をまあるく添えて、溶けてもいい、と思いながら唇同士をくっつけた。ふに、とあんがい柔らかな感触に、ぽっと灯るような熱さがあって、それなのに溶けたりなんかしなくて。

 ちゅ、とちいさな音をさせて離れた唇同士は、まだ足りないと感じていたけれど、鍋を焦がしたくなかったタイラーはジェイの腕を掴んで中断させた。「すぐ型に流し込むから、待ってて」とジェイの下唇を親指でなぞる彼は、こういう行為に慣れている男だと思わせる。でも、嫉妬なんかちっとも感じなかった。タイラーの目がこんなに柔らかく甘くとろとろに煮詰めたジャムのようになるのは、この世にたったひとり、自分を相手にしたときだけだとジェイは知っていたから。

 フッ素加工製のちいさなカヌレ型に流し込まれる石鹸は、ふたりの象徴だった。溶けて混じり合ってひとつになった、いい匂いのするあたたかなかたまり。使わなければずっとそのままふたりはひとつになっていられるだろう。でも、石鹸は使うもの。濡らしてこすって、溶けて消えて、それでも、確かに存在した事実は変わらない。

 そんなふうに、僕たちも確かにひとつになりたい、とジェイは思った。

 タイラーが「産みなおして」とぐずった気持ちがようやく分かった。いま、どうしても彼を孕みたかった。十月十日を僕の子宮の中で過ごすタイラーに、毎日話しかけて誕生を待ち望みたかった。ぽつり、「君のことを産みたい」とこぼしたら、タイラーはジェイを抱きしめて「うん」と言った。その瞬間、彼は消えた。石鹸とほのかな体温を残して。いや、違う、宿ったのだ。

 ジェイは、あたたかく息づく腹部をそっとおさえて「タイラー、そこにいるの」と聞いた。すると、「いるよ、ジェイ」と答えが返ってきたので、嬉しくなってじわじわと泣いてしまった。「馬鹿、泣くなよ。いまは涙を拭ってやれないんだから」と続ける彼はいつもの調子で、だから、いつもとなにも変わらないような気がしてしまう。

 そうして、残されたカヌレ型を見たジェイが「この石鹸、産湯に使おうね」と言うと、タイラーは「いい考えだ」と腹の中でにんまり笑った。