めずらしく、石鹸作りをするわけでもなく、タイラーはキッチンに立っていた。朝食をとるには遅い時間だけれど、子どものおやつにはちょうどいい、午前十時すこし過ぎ。タイラーの両隣には双子のルイとフィリップがくっついて、なにやら好奇心旺盛にあれこれ聞いている。
「タイラー、これは何だ」
「グレープフルーツ。食ったことねえか」
「あります。でも、中身がピンクのやつなんてはじめて見ました」
「あんまり酸っぱくないから美味いぞ」
ナイフで切った断面が、酷く擦り剥いたときに見える肉の様子に似ていなくもないし。と、口にはしなかったものの、ピンク色の果肉は血の滲む傷口のようだと思った。そんなことは露と知らず、双子は酸っぱくないという言葉を聞いてはやく食べたくなったようだ。いそいそとガラスの器を出してきて、ルイが「フォークはいるのか?」と聞いてくる。「あー、使いたいなら出しとけ。先っぽがギザギザになってるスプーンあっただろ。そっちの方がいい」自分だったら手で食うが、お貴族様はカトラリーを使ったほうがいいだろう。なんせ、ゆで卵さえいちいちスプーンで割って食う類の人間だ。ルイが使うなら、フィリップもそれに倣う。
タイラーは、横半分に切った果物の白いわたぎりぎりにナイフを差し込み、ぐるりと一周させて果肉を皮からはがした。飾り切りなんてクソ面倒臭い処理まではしたくないが、これでもまあまあ食いやすいだろう。器にのせたグレープフルーツの姿はみずみずしく、窓から降り注ぐ午前の明るいひかりを反射してきらきらしい。それぞれの分を持って食卓へ移動する双子の髪色も、きらきらとして眩しいくらいだった。柄シャツの胸に引っ掛けていたサングラスでも掛けようかとするも、手が果汁で濡れたままだったので、まあいいか、と丸のままの果物をひとつ掴んで食卓に続いた。
ピンク色の果肉にギザギザのスプーンを突き立てる二人は、ちょっと苦戦しながらも果肉をすくい、それを口に運ぶ。「ほんとうだ。あまり酸味がなくて美味しいです」と、フィリップが口許に手を添えて言った。「でも、すこし苦いぞ。オレンジみたいにぜんぶ甘くないものなのか」とちいさく不満を漏らすのはルイだった。
「砂糖かけてやると甘いんだけどな」
「砂糖をかけたら何でも甘くなるだろう」
「まあ、たしかにそうだな。持ってきてやるよ」
かいがいしく王の世話を焼く従者のような気分で、タイラーはふたたびキッチンに向かう。べたべたの手のままシュガーポットを掴み、食卓に運んで、うやうやしくグレープフルーツの上に振りかけるおもてなしのサービス。「ボナペティ」と、気取ったフランス語の台詞付き。双子は、タイラーの棒読みの発音にふふ、と笑って「メルシー」と綺麗な発音で返した。
王は従者に礼など言わないものだが、庶民寄りのフィリップは何かしてもらったときに必ず言うので、最近はルイも口に出すようになった。フランスの王から直々に礼を受け取った人間なんてのは、そう多くないだろう。なかなかいい気分だ。
果汁でしみしみ溶けてしまう砂糖をのせたまま、二口目の果肉を口に運んだ双子は、甘い、美味しい、と楽しそうにしている。タイラーも、自分の手元に持ってきたグレープフルーツの皮をわしわしと手で剥いて、薄皮ごと口に放り込んだ。わずかな苦味が舌をピリ、と刺激する。ナリンギンという成分のせいだ。こいつは薬物の代謝に影響を与えるので、たとえば血圧をコントロールする処方薬なんかと組み合わせると効果が増強されてしまい、最悪の場合死に至る。
──面白いな。今度の騒乱プロジェクトに使えるかもしれない。
物騒なことを考えているタイラーをよそに、双子はお行儀よくカトラリーを操って間食を続けていた。唇についた果汁を舌で舐め取るタイラーと違って、ルイもフィリップもナプキンを使う。言葉に関してはだいぶ砕けてきたが、身に染みついた所作はなかなか取っ払えないらしい。それをどうこうしてやろうという気が起きないのは、二人の姿があまりにも自然だからだろうか。付け焼き刃で上流階級の所作を身につけた連中と違って、生まれたときから王たる教育を受けてきたルイはとくに、気品のある振る舞い以外を知らない節がある。
太陽神を名乗るまで神格化されたことのある彼らはいま、神の恩恵からこぼれ落ちた男と一緒に呑気にグレープフルーツなんぞ食っている。その光景が笑えてくるから、どうにもこの二人の世話を焼いてしまうのかもしれない。もしくは、たんに絆されただけか。
どちらにしろ、嬉しそうにしている二人を眺めるのは退屈しのぎにちょうどいい。だがしかし、きらきらと無邪気なひかりを放つ双子は直視するにはすこし眩しくて、タイラーはサングラスを掛けたかったが、やっぱり手が濡れているからと諦めて、もうしばらく目を細めて双子とグレープフルーツを眺めることにした。