//真夜中の大泥棒
──それが彼の立てる音だと、どうして気づいたのだろう。
深夜二時過ぎにもかかわらず、その小さな物音で、眠っていたはずのトニーは目覚めた。
スーツのままの格好で、うつ伏せにベッドに横たわっていた自分に苦笑する。また、帰宅してすぐに寝入ってしまったのだ。
トニーはゆっくりと起き上がって、玄関からカチャカチャと物音がするのを聞いていた。鍵をこじ開けるときの道具を使う音だ。ささやかな金属音。深く眠っていたら気づかなかっただろう。
ふつう、そんな物音がしたら泥棒を疑う(いや、この場合泥棒で合っているのだが)。それなのに、危害を加えられる心配のない相手だと、どうしてわかったのだろう。
──CIA職員として危機感が足りないな。
心のなかでひとりごちる。泥棒、強盗、暗殺、もしくはその他の危機的状況ならば、仕事で磨かれた感覚がぴんと鋭く反応する。
事務職がメインとはいえ、トニーも訓練を受けた職員のひとりだ。しかし、今夜は危険を察知するセンサーはオフになってしまった。
何かを寝かしつけるようにやさしく響く音。まるで壊れ物を扱うように探る手管を想像する。彼は、けして乱暴に、やたらめったらには道具を使わない。
──これは、合図だ。
入ってもいいかい? と伺う合図。
トニーの機嫌を伺うように、ゆっくりと探られる鍵穴を思うと、なぜか身体の中心が熱を持って期待をうながす。
──ベッドでの手管と一緒だ。
扉の向こうの彼。
ナポレオン・ソロの訪問は、いつも唐突で、静かで、夜の帳をそっと開けてやってくるようだった。
「なんだ、起きていたのかい」
ことさら物音を立てないよう開かれた扉。
立て付けの悪さのせいですこし軋んだ音がしたが、黒猫のようにひっそりと忍び込んできたソロは、ベッドから起き上がったままぼうっとしているトニーを見て呆れた様子だった。
「起きていたなら開けてくれればいいのに。銃でも構えて待っていたらどうしようかと思ったよ」
「そんなことしません。それに、あなたの鍵穴をこじ開ける音を聞いていたかったので……」
ほんとうは、鍵穴と同じように自分の体をこじ開けられるところを想像していた。とは言えなかった。
いくらなんでもあからさま過ぎる願望だ。
けれど、それはどうやら顔に出てしまっていたらしい。
ソロが嬉しそうにベッドに膝を乗り上げ、トニーのおとがいを両手でくっと持ち上げた。
「物欲しそうな顔をして……。君のそういう、俺に隠し事をできないところが可愛らしくもあり、心配でもあるよ。誰にも見せたくなくなる」
いまなら誰も見ていませんよ、と思ったが、トニーは黙ってされるがままになった。こめかみをさする指が気持ちよかった。
ソロの青い瞳が、暗闇できらきらと宇宙のようにきらめく。自分と同じように、彼もまた欲しいものを目の前にして、我慢がきかなくなってしまったのだろう。
目を閉じて、顔の造形をまさぐる彼の指を感じる。
こめかみ、まぶた、鼻筋を通って、唇の端から両手の親指が侵入してくる。そのまま、歯列を開いて、舌、下顎、上顎と探られる。
あふれる唾液で滑る指で上顎をなぞられると、トニーは頭蓋の内側から快感にふるえた。口内でも敏感なところを、ぞろぞろと両手指で交互になぞられる。
──前戯の前戯、のような行為なのに。
体は次の予感、次の予感と勝手に想像してたかまってしまう。
熱が溜まって仕方がない下半身にはいっさい触れられないというのに、ずっとゆるゆると気持ちのいい状態が続いて欲しいような。けれど、開放をもとめて、もっと強い刺激が欲しいような。
「このまま、君の口の中の気持ちいところを、ずっ……と愛撫していたら、どうなるだろうね」
耳元でねっとりとささやかれる低音。ずっと、のところをことさらいやらしく強調されて、トニーの下腹部から背筋にかけてぞくっと何かが這い上がってきた。
──壊されてしまいそうだ。
やさしくこじ開けてなんかくれない。かといって、乱暴に傷つけてもくれない。
鍵穴の奥にある錠を引っ掛けるような手つきで愛撫は止まない。
喉奥まで突き破られそうだと思ったら、途端に歯列の裏まで引っ込める。行ったり来たり。指を別のものに見立ててしまって、舌が自然と彼の肌に吸いつく。
だいぶ長い間、愛撫は続いた。こんなふうに、快感のもとを見破られてしまっては、もうこの手から離れられなかった。
最後にひと撫で、ぐりっと強く上顎の中心をこすられながら。
「トニー」
名前を呼ばれて、トニーは強く閉じた瞼の内側で白目を向きながら、ひくり、とゆるやかにいった。
──こじ開けられてしまった。
まさに、トニーの体は開ききっていた。そう感じたときには、眼球が瞼の裏でぴくぴくと動き、脳が快感を反芻していた。
下着の中で精液が垂れているのがわかる。性器を触れられずにいくのははじめてだった。
──なんて、ゆるやかで深い快楽なのだろう。
ソロの手が髪をかき分けながら、よくできましたというように頭を撫でる。そんなささいな行為にすら快感を覚えてしまって、しばらく言葉も話せず、彼のされるがままにしてしまう。
額に、鼻筋に、唇に軽く口づけを落とされた。
ソロの触れたところから何かが体中に広がるような錯覚。あたたかくて、気持ちのいいもの。
ようやく落ち着いた快感の波から引き上げ、トニーはソロの胸ぐらを乱暴に掴んで唇に噛みつく。
「どうやら、君の欲望をこじ開けてしまったようだね」
愉しそうにくつくつと笑うソロは、とても悪そうな顔をしていた。
彼の手がスーツを脱がしていく。トニーの唾液がたっぷりとついた両手の親指も、するするとシャツの隙間から忍び込んでくる。
冷えた感触にぞくぞくとして、トニーもソロの服を脱がしていった。
「ちゃんとおさめてくれるんでしょう。元・大泥棒さん」
「もちろん」
めずらしく茶化した口調に、ソロが大げさに驚いたジェスチャーをしてから応える。その目には、金塊の詰まった金庫でも目の前にしたような、無邪気で罪深い男の火が灯っていた。
ナポレオン・ソロという、トニー・メンデスを開く唯一の鍵は、まだ扉をほんの開いただけ──夜の帳はまだまだ長い。