HARDER BETTER FASTER STRONGER - 3/4

03.

 

 「泊まっていかないのかい」というソロの言葉にぎょっとしてしまった。

 あんなに牽制し合って、しかも、今夜はトニーと久しぶりの逢瀬のはずだ。自分だって子どもじゃないから分かっている。二人は寝る(もちろんセックスの意味で)だろうし、俺は帰ったら酒でも飲んでそれを知らなかったフリでもしようと思っていた。なのに、ソロはまるで当然のように宿泊を勧めてくるのだから、何を考えているのか分からない。トニーを見ると、「泊まっていかないのか?」と小首をかしげている。かわいい。トニーがかわいいので、オーガストはソロを無視して泊まることに決めた。

 しかし、気まずい。

 シャワーを借りてから思ったが、トニーは今夜の寝床をどうするつもりなのだろうか。彼の寝室にあるベッドでは、せいぜい二人寝るのがやっとだ。そうなるとあとの一人はソファに寝ることになる。その人選はどうする? 家主のトニーにまかせる? それは、まるで自分たちの関係を決定づけるものみたいで恐ろしかった。

 ところが、トニーは三人でベッドに寝るといって聞かない。ソロが「ウォーカーくんと二人で寝なさい」といっても、「せっかくソロが帰ってきたのに」といって離さない。今思えば、トニーは酔っていたのだろう。どうしても駄々をこねてしまう彼はめずらしくて、こんなに我儘をいうひとだったのか、という新鮮な驚きがあった。

「ひとりにしたくないんです」

 ぽつり、トニーがこぼす。オーガストも、ソロも、ひとりにしたくないんです。僕は欲深いんです、と。それでソロとオーガストはぴたりと抵抗をやめた。諦めて、狭いベッドで三人並んで眠ることにした。トニーを真ん中にして、ひっつくようにしてベッドの端に寝転がる。どうしても体格のいい男三人では、肩がはみ出してしまうが、トニーが眠るまでの辛抱だ。

 オーガストは、トニーが眠ったら帰ろうかと思っていた。別に気を使ってのことじゃない。ただ、今夜はソロが必要なんだろうと思っただけのことだ。二人の関係を認めたわけではないが、オーガストにはトニーの喜びが分かってしまう。ソロの帰還を知らされて「よかった」とこぼした彼の、ほんとうにほっとした様子から、ソロへの愛情の深さを知ってしまった。そうしたら、もう、自分には太刀打ちできない領域があることを確信してしまったのだ。

──俺は、あなたのいちばんにはなれない。

 ソロはソロで、「トニーは君と一緒になった方がいいのかもしれない」なんて馬鹿なことをいっていたが、間違いだ。いや、俺の存在が間違いなのかもしれない。どうしてトニーは俺を受け入れてくれた? いっときの代わりに? 遊びで? 俺が彼に似ているから? 怖くて聞けなかった数々の疑念が浮かんでは胸に溜まっていく。

「ねむれないのか」

 自分は眠たげにしながらトニーがオーガストの額を撫でる。彼の癖だ。ふわふわの前髪をかき上げるのがお気に入りで、よく額を触られる。トニーは何が面白いのか、ふふ、と機嫌よさそうに微笑いながらいった。「オーガスト、ぼくもあいしてる」と。

 それが以前の告白の返事だということに気づいたら、もうだめだった。目の奥が熱くなって、トニーをぎゅうぎゅうと抱きしめていた。

「酷いひと、俺がいちばんじゃないくせに」
「どうして? あいにじゅんばんなんかない」
「ソロを思い続けることはやめないんでしょう」
「うん」
「やっぱりあなたは酷いひとだ」
「うん、ごめんね。よくばりで、ごめんね」

 わやわやの口調のまま、トニーはオーガストの胸に顔を擦りつけて謝る。でも、それは許してもらえると分かっているときの謝り方だった。オーガストはもちろん、許した。このひとは愛の懐が深すぎる。それを埋めるには、一人では足りないのだ。きっと。

「ようこそ、俺たちの世界へ」

 ソロが薄く目を伸ばして微笑っている。甘美な悪事を働く共犯者の顔をして。もしかしたら、とんでもないひとに惚れてしまったのかもしれない。けれど、腕のなかで眠りに落ちそうになっているトニーは、無垢な顔でこちらを見ている。それを見たら、何だっていいと思えた。このひとを腕に抱けるのならば。この愛を、諦めずにいられるのならば。

 トニーが寝静まってから、オーガストはそっとベッドを降りた。ソロはまだトニーの隣に肘をついて寝そべっており、ときおり愛おしげな眼差しで彼を眺めていた。美しい光景だ。一見、完璧で隙のない関係に見える。けれど、ソロはトニーのもとに留まれないし、トニーはソロを引き止めない。なんておかしな二人だろう。互いに必要とし合っているくせに、どちらもその手を取れないでいるのだ。だったら、とオーガストは思う。だったら、俺がトニーの手を取りたい。もう片方の空いている手は、いつ現れるともわからない男のためにあるとしても。

「君が帰ると、トニーが悲しむよ」

 ジャケットを着込んでいたら、後ろから声を掛けられた。ボリュームを絞った声はやさしく、眠たげでもあった。

「これ以上、トニーとあんたの逢瀬を邪魔したくないんで」

 嘘だ。これ以上、二人の完璧な姿を見ていられなかった。

「へえ、気が利くんだなあ。でも分かってないよ。トニーはそんなこと望んでない。明日の朝、三人で朝食をとれると思ってる」

 それとも、俺たちがお似合いすぎて尻尾を巻いて逃げるのかい? なんてことも言われたが、言い返せなかった。まさにその通りだったからだ。

「俺はね、君に嫉妬もしないし、むしろ抱かれておいでと助言したくらいなんだ。どうしてだと思う?」
「さあ。余裕があるんだな」
「いやいや、そうじゃなくて。何だろうな。この子を託せる相手がやっと見つかった、という嬉しさみたいなものがあるんだ。君に対しては」

 は? と思って振り向くと、ソロは目を閉じてトニーの額に口づけていた。それが宗教画みたいで、静謐で、オーガストは何も言えなかった。

「俺はきっとトニーの知らないところで死ぬだろうという予感があるんだ。そうしたら、彼のことだ。胸を潰すほど悲しむだろう。けれどね、君がいてくれたら、すこしは救いになるんじゃないかと安心したんだ」
「勝手だな。ひとを緩衝材扱いか」
「うーん、そうなってしまうなあ。でも、そんじょそこらの男には任せられないからね。何といっても、俺のいっとう大事なひとだから」

 オーガストも現場の人間なので分かるが、いつか愛おしいひとを置いて行くことになるかもしれない、という不安は彼にもひたりとついて回った。オーガストは何を犠牲にしてでも生きて帰るという気でいたが、ソロは違うのだろう。きっと世界とトニーを天秤に掛けたら世界を取る側の人間なのだ。

「まあ、完全に手放す気はないんだけどね」
「そこは牽制するんだな」
「まあね」と微笑う男は、眠る気なのかトニーの肩口に額を擦りつけるようにして丸まった。

 オーガストは、着込んだジャケットをまた脱いで、狭いベッドに戻った。隙間を空けないように、トニーの体にぴったりとくっついていると、彼の体温を感じて心地がいい。それでも、狭いものは狭い。朝までこの体勢を保てる自信がなかった。起きたら床かもしれないが、それもまあ、いいだろうと思えた。「次までにベッドを大きくするようトニーにいってくれ」とソロにいって、オーガストは目を閉じた。

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「だから、どうしてこうもまともに割れないんだお前は」
「割ってる。ちゃんとボウルに入ってるだろう」
「殻まみれなんだよ、まったくもう……」

 ソロとキッチンに立ってみたのは、たんに同じ時間に起きてしまって暇だったからだ。手伝おうとして卵を割ってみたが、どうしても力加減が上手くいかなくてぐしゃぐしゃになってしまう。それでもどうせ混ぜるのだからいいだろうと思ったのだが、違うらしい。細かな殻をボウルから取り除くソロを尻目に、オーガストは持っていた卵の殻をダストボックスに捨てて手を洗った。

「はは、楽しそうだな」

 そこへ、トニーの嬉しそうな声が掛かる。オーガストがすぐさま振り向いて「おはようございます」と挨拶をすると、トニーは「おはよう」とやわらかく返す。朝日の差し込むキッチンは、彼の髪をきらきらと眩しく見せて神々しい。

「すぐに出来るから、身支度をしておいで」
「ええ」

 と思っていたら、目の前で口づけ。ソロがトニーを抱き寄せて、あんまりにも自然にするものだから、オーガストは普通に見入ってしまった。それから、我に返って「ずるい!」と喚いた。ソロがくっくと笑いを堪えながらトニーを離した。

「ずるい! はいいな。ほら、坊やがキスを所望だ」

 坊やではないと言い返す手間も惜しんで、オーガストは腕にトニーを確保した。自分のものを取り返すみたいに。そうして、ソロよりも濃厚な口づけを交わした。朝にするには多分に刺激的なやつ。「見せつけてくれるねえ」というソロは、苦笑してはいるが、何だか愉しんでいるみたいだった。それが気に食わない。

「ほら、早く二人とも身支度をすませておいで」

 キッチンを追い出され、バスルームに閉じこもった二人は、熱を持て余してしまっていた。そうなれば、冷ます方法はひとつだった。オーガストがバスルームの鍵を掛け、トニーは手早く服を脱ぐ。「十分だけ」「五分ですまします」とだけ言葉を交わし、潤滑剤のチューブを乱暴にひねる。もう勃ち上がっているトニーのものには触れず、すぐに後ろをほぐして、自分のものを扱き上げる。ゴムがすぐに見つからなくて無駄にした一分の時間すら惜しい気持ちで、オーガストはトニーに挿入した。

「ああッ」

 嬌声がタイルの壁に反響して大きく聞こえる。きっとソロにも聞こえているだろう。それなのに、トニーはことさら大声で喘いだ。奔放な淫乱のように。「聞かれてると思うと興奮する?」と聞いたら、「ん、見せつけてる」と返ってきて小気味がよかった。かぶりつくように口づけを落とし、バスルームの壁際に追い込んだ彼の太腿を持ち上げる。ぐっと腰を打ちつけると、さらに挿入が深くなってよく締まる。五分、といったが、あと何十分、何時間でも堪能したい。けれど、オーガストの頭の端で冷静な自分がカウントをする。あと五〇秒。律動を細かく激しくする。もしかすると痛いかもしれない、と思って、ジェルまみれの手でトニーの性器を一緒に扱く。

「お、がすと、あ、あ、いい……!」

 びちゃりと手のなかに精液を吐き出され、後ろがきゅうと締まる。それを合図に、オーガストも吐精した。

「九分。結構早いんだな」

 呼吸を整えるのに手間取って、急いで身支度をすませて出てみれば、ソロが完璧な朝食を用意して待っていた。何もかもお見通し、という顔で。気まずさはなかった。秘密を共有する仲間同士のような顔で目を合わせ、「あなたと違って若いので」とだけ返した。ソロは一瞬きょとんとした顔を見せてから破顔した。「そうか、はは、若さは俺にないな、確かに」といって。そして、すこし遅れて食卓についたトニーに「今朝はまた一段と美人になったね」という。

 さっきまであんなに大胆だったトニーは、ソロと顔を合わせた途端にさっと顔を赤らめて、「あなたはまたそういうことを……」などとちいさな声で抗議している。おかしな光景だ。ふわふわとして、現実味のない夢のような光景。けれど、オーガストは自分がこのなかに溶け込んでいくだろう予感めいたものを感じていた。

 昨夜のソロの台詞がよぎる。「君がいてくれたら、すこしは救いになるんじゃないかと安心したんだ」という、この男にしてはめずらしい弱気のようなものを知ってしまっては、もう嫉妬などで目をくらませている場合じゃなかった。トニーを守る。絶対にしあわせにする。それを強く自覚した。たとえ心に他の男が居ようと関係ない。彼が俺を受け入れてくれたのなら、それに応えよう。

 オーガストはテーブルの上でトニーの片手を握ってみせた。愛の証みたいに。それを見てソロは満足そうに目を細めた。