子犬にしてあげる vol.2

 うすうす疑ってはいたが、今日のレッスンで疑念は確信に変わった。 レオは更衣室でロッカーの扉に額をくっつけながら、長いため息を吐いた。原因は分かっている。自分で対応も出来る。今後の対策については、原因となった相手と話し合う必要があるだろう。しかし、レオの心は晴れない。何故。気をつけていたのにどうして。悶々とするレオを余所に、ばたんと音を立ててチャドが更衣室に入ってきた。愛しの恋人を見つけたチャドは、うきうきしながらレオに近寄る。ところが、いつもは涼しい顔をしている恋人が、何やらむつかしい表情をしている。

「レオ! どうしたの? 腹でも痛い?」

 途端におろおろと気遣い始めるチャドを、レオは可愛いと思った。惚れた弱みというやつだ。そう、これがいけないのだ。この可愛い男を、いつも自分は甘やかしてしまう。だが、それではいけない。何故なら、レオはこの男のせいで、とある問題を抱えてしまったからだ。チャドの顔を両手で挟んで捕まえる。普段、職場でこういうことをしないレオに驚いたチャドの目が丸くなる。やっぱり可愛い。いやいや、言う。ちゃんと言わなければ。レオはふっと短く呼吸して覚悟を決めた。

「チャド、おれはもう、お前とセックスしない」

 ここで、普通のカップルならば「すわ、別れの予感か!」と焦るところだが、チャドの頭の回転は普通の人間よりも緩やかなので、焦らなかった。代わりに笑って「えー、おれはレオとセックスしたいよ。何なら今からする?」などとのたまう。へらへらと笑う可愛い恋人の額に、レオは思わず頭突きをかました。痛い。こいつ石頭だったな。どうしていきなり頭突きをされたのか分からない(そもそも頭突きだとすら思っていない。猫がぶつかってきたとでも思っている)チャドは、目をぱちくりさせて、飼い主の命令を待つ犬みたいにレオの説明を待った。

「あのさあ、昨日お前と、思いっきりしたじゃん」
「何を?」
「セックス、ていうかあの、騎乗位」
「キジョーイ?」
「お馬さんごっこ」
「あー、した! めちゃくちゃよかった! またしよ?」
「うう、したいけどって、違くて、あのさ、うう」

 どうにも歯切れの悪いレオの言葉を待つ間に、やっとチャドの頭の回転が普通の人間に追いついた。「もうセックスしないってどういうこと?」ちょっと真顔だった。こいつ、真面目な顔したらとんでもなくいい男だな。レオの思考が現実逃避の方向に流れた瞬間、また、ばたんと音を立てて更衣室の扉が開く。昼休憩に入る従業員が何人か入ってきたので、レオはチャドの顔から手を離した。「家帰ったら話す」と言って手早く荷物をまとめ、するりとチャドの横を通り過ぎていった。

「どういうこと?」

残されたチャドは、もう一度同じ台詞を口にしたが、レオには届かなかった。ぼーっと突っ立っているチャドの横を、従業員の面々が怪訝な顔をして通り過ぎる。マネージャーに呼ばれて器具のレクチャーに行ったけれど、ランニングマシーンの速度調節を間違えて客をすっ転ばせてしまった。それにもぼーっとしていたチャドの代わりに、リンダが怪我とか保険とかの対応をしてくれた。「あんた、どうしちゃったの?」リンダに聞かれても、チャドは「分かんない」としか言えなかった。

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「どういうこと!?」

帰宅して開口一番に、チャドが叫んだ。
レオは、お湯の入ったやかんを持ったまま、きょとんとしていた。ミントティーを淹れようと思ったのだ。すっきりしない気分のときはハーブティーに頼るのがいい。そんなレオの様子にじれたらしいチャドが、やかんを引ったくって両手を握ってくる。

「なんでもうセックスしないとか言ったの? おれのこと嫌いになった? 何か悪いことした? してたらごめん。おれすぐ調子乗るから、レオの嫌がること気づかないでしてたかも。ごめん。謝ってもだめ? 何でもするから許して? レオ、お願いだから……」

 まるで捨てられそうな子犬みたいに、瞳をうるうるとさせて上目遣いに懇願してくるチャド。やっぱりこいつ、可愛いなあ。と思いながら、レオはチャドの鼻の頭に軽くキスを落とした。驚いたチャドが声を上げる。

「なんで!? 別れるって話じゃなかったの?」
「馬鹿、なに早とちりしてんだよ。別れたいのか?」

 ぶんぶん頭を振って「やだ!」と叫ぶ様子がおかしくてつい、レオはふふ、と笑った。「なんで笑うの!?」という顔をしたチャドに、レオが話し始める。「別れ話じゃなくてさ、あのさ、これはホント、おれの不注意とか不摂生とか、そういうのもあるし、あの、」言い訳する言葉を探すように、ごちゃごちゃとした口調ではっきりしないレオ。しばらく「ええと」とか「ううん」とか迷っていたが、恥ずかしそうに顔を赤らめながら、ついに自分の抱えている問題を口にした。

「こ、骨盤が開いちゃったから、その、しばらくセックスしない」

 今度はチャドがきょとんとする番だった。「こつばん? こつばんってこの、大腿骨と脊椎の間にある骨盤のこと?」思わず、腰のあたりでわさわさと手を動かしてジェスチャーする。いちおうスポーツインストラクターをしているだけあって、人体のことには詳しいらしい。レオもヨガのインストラクターなので、そのあたりはよく知っている。そう、問題は骨盤にあった。

「前々からちょっと違和感あったんだけど、今日のレッスンでさ、骨盤矯正ヨガってのやってて、歪みチェックしたらもう、酷くて。プロにあるまじき歪み具合。いや、矯正するポーズとかストレッチとかはあるけど、これ生活習慣が原因だから、見直さないと結局また歪むわけ。で、何が原因かっていうと、いちばんはお前とのセックスかなって……」

 思い返せば、二人はとんでもなく無茶な頻度と体位で励んできたものだった。帰宅してシャワーを浴びるついでにセックス。食後の軽い運動にセックス。就寝前にまったりとくつろぎながらセックス。チャドがレオの部屋に越してきてからこっち、毎日のようにしている。そもそも「四十八手を攻略しよう」なんて思いついて、たっぷりと一日掛けて様々な体位を試すようなカップルだ。二人とも「何処まで出来るか」と肉体の限界に挑戦するタイプなので、割れ鍋に綴じ蓋、いくらでも致してしまった。

 レオの身体が柔らかいのをいいことに、普通の成人男性とでは不可能な体位でセックスしたこともある。昨日の晩だって、騎乗位をした。それも普通の騎乗位じゃなくて、しゃがんで大きく股を開きつま先立ちになる、いわゆるエロ蹲踞と呼ばれるものに近い格好でした。ほとんど水平に開いた股を、見せつけるようにしてチャドの腹に跨る。チャドの勃起したものに、ぬるぬると会陰を押し付けて「お前は動いたらだめ♡」なんて言って、ぬっこぬっこと上下運動を……。

「ウワッ、あれが決定的だったんだ~~クソッ! 男なのに骨盤開くとかどんだけだよ! ていうかお前、最後おれの言うこと無視してガッツリ腰突き上げやがって! あれで開いた! お前のせい! もう無茶なセックスはなし!」

思い出したら急に腹が立ったようだ。頭を掻きむしる勢いで髪を混ぜっ返すレオ。見た目のために脇をワックス脱毛するほど高いプロ意識が、今度は恋人とのセックス禁止に向かったらしい。

 チャドは気が抜けていた。「なんだ、別れ話じゃなかったんだ」と安心していた。
てっきり、おれが馬鹿だから、うんざりして捨てられるのかと思った。だって、前に付き合ったことのある女の人は、みんな「チャド、あなたが悪いわけじゃないけど、わたしたちって会話とか趣味とか、ちょっと合わないのよ」とか言ってさよならしていった。本当は、彼女たちが何を言いたかったのか分かっている。「馬鹿と付き合うのは疲れる」のだ。チャドは、自分がなんとなく周りの人間よりも頭の回転が鈍いのを知っていた。ただ別に、それを恥じたり治したりする必要を感じなかった。冗談交じりに「顔と身体しか取り柄がない」と言われても、二つも取り柄があるなんてラッキーだ! と思っていた。でも、もしも、レオに同じことを言われたら……。考えただけで目の前が真っ暗になる。恥ずかしくて悲しくて、もっと何か、勉強とか訓練とかしておけばよかった、と後悔するだろう。

「ただの骨盤かあ~~よかったあ~~」

 チャドはふにゃりと表情を崩して、レオに抱きついた。「なに喜んでんだよ! おれにとっては一大事なの!」と喚くのにも構わず、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。レオがさっさと事情を話さなかったせいでチャドを不安にさせたのだが、そんなことは頭になかった。それよりも、この腕の中におさまる恋人との愛情を確かめたかった。

「ごめん、レオ。おれ、セックスしないって約束出来ない」
「はあ? あっお前、なに勃たせてんだ馬鹿ッ!」

 レオの身体を担いで寝室へ直行する。
 背中を叩かれても髪を引っ掴まれても、チャドは止まらなかった。はやくはやく。気が急いていた。いますぐレオとしたい! という気持ちでいっぱいだった。それに対して、レオはしぶとく戦った。寝室の扉を蹴っ飛ばして開けたときも、「下ろせ!」と叫んで抵抗した。けれど、チャドは言うことを聞かず、一回転するようにしてレオをベッドに放り投げてしまった。ぼふっとマットレスに沈む。叱りつけようとして起こした身体は、やすやすと抑え込まれてしまった。チャドの顔は、悪いことを考えているときの子どもみたいに嬉しそうだった。嫌な予感がして、レオはシーツをぎゅっと握りしめた。

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「あッ、んッんん、も、やだあ……!」

 レオが喚いてチャドの腕を掴もうとする。
 それを軽くいなし、チャドは行為を続けた。
 骨盤が開いてしまったのなら、閉じるためのストレッチをしよう。と、チャドは言った。下を脱がせたレオを仰向けに寝かせて、揃えた膝を立てて腰を浮かせ、かかとをお尻に近づける。「このときはー、ケツの穴をこう、キュッと締めんの」レオの小ぶりなお尻に片手を添えて、下からぽんと軽く叩く。「ひゃん!」可愛らしい声が上がった。この程度のストレッチ、普段のレオだったら息をするように軽くこなせる。けれど、いまレオのお尻の穴にはチャドの指が二本も入っていた。ちゅこッちゅこッと抜き差しを繰り返し、ときおり前立腺を撫でるように押し上げる。腰を落とすと前立腺に強く圧が掛かってしまうので、なんとか姿勢を保とうとするが、上手くいかない。「だめだめ、そんなに腰上げたら首痛くするよ」と言って、チャドにお腹を押される。それがまた圧になって、下腹部に快感が広がる。

 こんなエロいストレッチなんて効果ない! と叫びたかった。レオの横で指導をするチャドは、本職なだけあって動きの指示は的確だし、どうすればどこに負荷が掛かるのかちゃんと把握している。だが、これはストレッチ指導なんかじゃない。その証拠に、チャドはわざと性感帯を刺激してくる。何も身に着けていない腰を天井に突き上げるような格好にされたレオは、羞恥心に顔を赤らめていた。間抜けな格好で恥ずかしい。そのうえ、前立腺を刺激され続けたせいでレオのものは勃起していた。「しっかり締めて、はい、深呼吸~~」などとのたまうチャドをぶん殴りたかった。息なんて整うはずがない。快感と羞恥に喘ぎっぱなしだ。

「レオ、ちゃんと骨盤締めて」
「んッばかあ! こんなんで締まるかッ、あ、ああ!」

 指がもう一本増えた。浅いところで直腸の壁を擦っている。「ふ、うッ」その快感に耐えるようレオが息を詰めると、チャドが片手で額を撫ぜて「レオがんばって、深呼吸するだけだよ」と促してきた。呼吸、深呼吸、クソ、やってやる。もはや何と戦っているのか分からなかったが、レオは息を大きく吐いた。続いて、鼻からゆっくりと吸う。いったん息を留める。口から細く長く吐く。無意識に腹式呼吸をしていた。朦朧としながら繰り返す呼吸に集中していると、下腹部からじわじわと快感が広がってくる。深呼吸、じわじわ、深呼吸、またじわじわ。もう、快感のために呼吸を続けていた。あ、あ、来る。と思った瞬間、それはぶわっとレオの身体を包み込んだ。

「はあ、あ、ああッ……!」

 ガクガクと腰が痙攣して、お尻の穴がきゅううと締まる。チャドは締めつけられた指をなおもゆっくりと動かした。指の腹で前立腺をぐっと押し込む。レオが悲鳴を上げた。気持ちいいときの鳴き声だ。しばらく身体中をこわばらせながら絶頂していたレオは、ひときわ大きく痙攣した後、空気がしぼんでいくみたいに力を抜いて、へなへなと腰を落とした。「うう~~」と唸っている。チャドはやっと指を抜いて、ローションとレオの体液でねとねとする指の股を眺めている。

「見て見て、ちょーエロい」
「はあ、はあ、あ、もーお前、ホントばか、」

 レオが力なくチャドの腕を叩いてきた。ぽかぽかという擬音が飛びそうな叩き方だった。可愛いなあ、おれの恋人って。そう思いながら、チャドは移動してレオの脚の間に収まった。「ね、レオ、これでもセックスしないって言う?」小首を傾げて、悪戯っぽく笑うチャド。クソ、可愛い。何でこいつ、こんな可愛い顔して、クソ。胸の内で散々、ののしりだかのろけだか分からないことを思いながら、レオは負けを認めた。

「分かった、する。おれだってプロだ。ちゃんとリカバリー出来る」

 よっしゃーと喜ぶチャドを見て、何でおれはこいつとのセックスをやめられると思ったんだ? と、過去の自分の神経を疑った。まあ、骨盤の歪みなんてセックス以外にも原因はあるし、毎日ヨガやれば整うし、こいつの悲しい顔見たくないし、などと言い訳しながら、レオはようやく覚悟を決めた。

「どうせやるなら骨盤こじ開けるつもりでやれ。チンコ搾り取ってやる」

 覚悟というより、開き直りであった。 それでも、一度心を決めてしまえばレオは強い。チャドはそんなレオの性格をよく知っているので、遠慮せずに飛びかかった。するならするで、おれとレオにしか出来ない、とびきり無茶なセックスをしよう。と思いながら。