THE GREAT DECEIVER - 1/6

//さよならパフューム

 

「これ、君にあげるよ」

 ソロが投げてよこしたのは、まだ中身がほとんど残っていて重たい香水の瓶だった。トニーは、とっさのことに取り落としそうになりながら瓶を受け取る。

「何なんですか」

 この「何なんですか」には、「なぜ香水なんかくれるんですか」という意味と、「そもそもこれは香水なんですか」という意味が含まれる。スパイの道具が見かけどおりのものとは限らない。しかし、わずかに漏れる香りが鼻にすんと届くところ、どうやら本物の香水らしい。

「何って、余ったから使っていいよってことさ。今度潜入する場所には似合わないんだ」
「場所に合わせて香水を変えるなんて、贅沢ですね。これだってブランド物でしょう」
「はは。経費だよ、必要経費」

 ぼんやりと手の中で弄んでいた香水の瓶を、いつの間にかソロがまた手にしていた。しゅ、と一吹き頭上に中身を吹きかけられ、すこし重たげなウッドの香りが広がる。
 それを目で追っていたら、トニーは唐突に手を絡め取られて、ソロの胸に引き寄せられてしまう。

「さあ、踊って」

 くるり、夜会のダンスのように一周。香りのヴェールが舞い降りてくるのを嗅覚で感じる。
 こんなうすぼんやりとした自分には似合わない、もっと年齢と経験(それも夜のもの)を重ねた伊達男にこそ似合うような、酸いも甘いもくぐり抜けた果てのにおい。

「肌に直接かけてはいけないよ。香りがきついと女性の香水のたのしみを損ねてしまうから。ああ、でも君の場合、外にはつけていけないのかな。だったら、寝具にでも吹きかけたらいい。夢で会えるかもしれないから──」
「そういう口説き文句、おれには……」
「効果抜群だろう。ほら、」

 首筋に彼のすっと通った鼻筋が押し付けられる。思わず逃れようと胸を押してもびくともしなかった。体格や力の差がそんなにあるとも思えないのに、ソロの手からはいつも逃れられない。

「しかめっ面なんかしてもわかるよ。体温が高くなると香りがより広がるんだ。ああ、いいね。俺がつけているときよりずっとそそる……」

 動脈の近くでくすくすと面白そうに笑うソロの息がくすぐったくて、もどかしくて。

 ──こんなもの、あなたのいっときの仮の姿がまとっていたものに過ぎないのに。
 そんな、雰囲気をやぶるような反撃をしてしまいたいのに、流されてしまいたいとも思う。
 スーツの上着に忍び込む手が、ネクタイを、シャツを取り払っていくのを感じながら、トニーはソロに身を任せた。明日、またこの家を去る彼の匂いを覚えておくために。