Larks’ Tongues In Aspic - 8/8

//フラワーホールにナイフを刺して

 

 結婚は、二人にとっていい影響をもたらした。何より、オーガストが安心するようになった。愛することを恐れる彼が、トニーと自分の左手の薬指を見るたびにほっとするのだ。それは、これが夢でも幻でもなくて、ほんとうの光景なのだと安堵するような様子だった。

 任務で家を空けるとき、オーガストは必ずトニーに指輪を預けていく。「傷がついたら困るから」と言って。無事に帰ってきたときには、誓いを新たにするように、トニーに指輪をはめてもらう。そうして、オーガストがトニーの薬指にもくちづけを贈る。それが、儀式のように定着していた。

 今回の任務のときもそうだった。帰宅したオーガストは、トニーに「ただいま」と言いながら抱きつく。あたたかくて、ふわりと煙草の匂いがした。トニーは、彼の背中を抱いて迎えた。つめたい夜の気配。怪我もなく帰宅した様子に、トニーは毎回安堵のため息を漏らす。オーガストの左手を取って、ポケットから取り出した指輪をはめる。「おかえり、オーガスト」やわらかな笑みで応えると、オーガストはトニーの薬指を飾る指輪にくちづけた。いつもの儀式。だが、今夜はそれだけではすまなかった。

「トニー、いい?」

 何を、とは言わず、オーガストが尋ねるのに、トニーはすこし顔を赤らめた。初夜のような、うぶな反応。彼は、いつまで経ってもセックスの誘いに慣れない。それでも、最終的にはうなずいてくれた。左手をオーガストの手に握られたまま、素直に寝室へと連れて行かれる。ヒーターをつけておいた室内はあたたかく、すぐにコートもジャケットも脱いでしまう。

「シワになるから掛けないと」
「ええ、わかってます。でも、」

 一刻も早くあなたを味わいたい。と、オーガストはトニーのシャツを脱がしに掛かる。ボタンを一つひとつ外すのさえもどかしくて、ちぎってしまいそうだった。「冷たい」素肌に触れる彼の手が氷のようだった。さっきまで外にいたせいだ。「あたためて」とオーガストはトニーの首筋に両手をひたりと当てる。びくり、逃げ腰になるのを引き寄せて、鎖骨のくぼみにくちづけた。

 だんだんと体温が移っていくのが分かる。トニーの首筋からオーガストの両手に。体温を色で見ることが出来たなら、まるで染まっていくような光景だったろう。トニーは、愛おしいものに触れるような慎重な手つきで、オーガストの左手を取って薬指の背を食む。

「ああ、あたたまってる」

 その様子に、オーガストはカッと体温が二、三度上がったような気がした。これを無自覚でやってのけるのだから、この人はタチが悪い。「あなたが煽ったんですからね」と言って、トニーを抱き上げてベッドへ押し倒した。

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 ぷちゅり、トニーの後孔に指がもう一本挿入される。ジェルでよく解されたそこは、もうオーガストの指を三本も飲み込んでいっぱいいっぱいの様子だった。まだこれからより太いものが待っているというのに、きゅうきゅうと指を食い締めて離してくれない。広げるようにぐりぐりとなかをかき混ぜてみると、「ひゃああ、」と、面白いくらいに反応が返ってくる。

「お、がすと、遊ぶなって……!」
「ふふ、慣らしてるだけですよ、トニー」

 意地悪そうに口角を上げて、オーガストは探索をするようにトニーのなかを探った。指を曲げると、ちょうど腹側のあたりにある前立腺の膨らみに当たった。

「あああっ、そこ、」

 いいところを探り当てられ、トニーはとろりとした声で喘いだ。ブラウンの瞳が潤んで、ゆるりとぼやける。こういうとき、彼は嫌がるか、身を任せてくれるかの二種類の反応に別れるが、今夜は身を任せてくれるらしい。嫌、とは言わずに、「そこ、いい……」とちいさく呻いた。

 ぷちゅ、くちゅ、と水音を立てながら、トニーの反応がいいところを重点的に刺激する。身を捩って震える身体を押さえつけ、快感を逃してしまわないように閉じ込める。とうとう、トニーが射精をせずにぶるりと下腹を痙攣させていったときには、彼の表情はとろとろに蕩けきっていた。

 この顔が好きだ。オーガストは、トニーの後孔から指を抜き、放心して生理的な涙を流す目元にくちづける。揺らぐ瞳のなかに、自分と同じブルーの色がほんのり隠れているのが見えた。これを確認するたび、彼が自分に染まっているようでぞくぞくとする。自分の瞳にも、彼のブラウンがほんのり隠れているので、お互い、相手に染まっているのだ。オーガストは運命を信じなかったが、こればかりは神の采配に唸った。

「いれてもいい?」

 彼は、けっこう強引に事に及ぶ方だが、いつもこの挿入のときだけは、トニーの許可を求めた。よく躾けられた犬のように、じっと見上げてくる瞳。ゆらゆらと欲望の炎がゆらめいているのに、いまにも噛みついてきそうなのに、許しを得るまではけっして最後の砦を破ったりなどしない。嫌われたくない子どものように。

 トニーは母性がくすぐられてしまい、ちょっと脚を持ち上げて、「いいよ、好きにしてくれ」と囁いた。オーガストはうなずいて、ゆっくりとペニスを挿入した。

「くうッ」

 鼻から抜けるような嬌声。ちゅ、くちゅ、としずかな水音が室内に響く。ゆるやかな、愛撫のような律動だった。いったばかりで、何処を刺激されてもひどく気持ちよかった。ずるずるとゆっくり引き抜かれ、ぐうっとゆっくりまた挿入される。こんなに穏やかな律動で、オーガストは気持ちいいのだろうか、とトニーが見上げると、彼は目を細めて情動を噛み締めていた。

「オーガスト、我慢しなくても、」
「いいえ、いいえ違うんです。今夜はあなたを大事にしたくて……」

 いつも、獣のようなセックスばかりしていた。噛みついたり、がっついて、激しく律動したり。それでもトニーは許してくれたが、自分はもっと穏やかに彼を愛したいはずだった。身体ばかりが先走って、彼を傷つけるような愛し方ばかりしてきたと、オーガストは思っていた。

 彼はトニーの胸、ちょうど心臓のあるあたりにくちづけた。そのまま、左の胸の頂きにかぶりつき、ぬるぬると舌で愛撫する。彼の好きな場所のひとつ。右は指で捏ね回し、ぴんと立った乳首を軽く弾く。トニーが感じ入った声で鳴くのを聞きながら、より気持ちよくなれるよう、下半身の律動と合わせて愛撫を続けた。

「あ、いい、おーがすと、そこ」

 とろけた舌っ足らずの声に導かれて、さらに挿入を深める。きゅん、きゅん、と食いついてくる肉壁の奥まですすむと、とつり、壁のようなものに突き当たる。S状結腸の入り口。ここまで奥に挿入するのは、はじめてだったが、入ってみたいと好奇心がうずいた。ぐっぐっと恥骨が擦れ合うほど強く腰を進める。と、ぐぷりと音を立てて先端が奥のすぼまりにはまった。

「はああッ」

 トニーの口から熱い吐息が漏れる。彼は口に手の甲を当てて、本来入るべきでないところにまで入り込まれた快感に耐えていた。そのままぐりぐりと腰を回すようにしてそこを刺激する。肉壁が絡みつき、後孔がペニスをきゅううと食い締めてくる。そのとき、はじめてトニーが抵抗らしきものを見せたので、オーガストは動きを止めた。なのに、「ああ、あ、だめ、なにかくる、」と言って、トニーはびくん、と身体をのたうつ。内部の蠕動が止まらない。トニーのなかは、オーガストのものをしゃぶるようにきゅうきゅうと締めつけた。びくん、びくん、と下腹部の痙攣がひどくなるのが、目で見て分かるようだ。あまりの快感に、オーガストは意識を持っていかれないようにするのが精一杯だった。

「トニー、ちから、ゆるめ、」
「むり、何、おかしい……ああああッ!」

 どくり。トニーが射精した。とろりとした、勢いのないものだった。その影響で、内部がより締まり、オーガストも持っていかれるようにして奥にびゅくり、と射精した。

 

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──むかし、結婚式を見たんだ。

 オーガストは、うつむきながら、トニーの胸に頭を乗せて、とつとつと語りだした。

「暗殺の帰り道だった。車の中から、教会を出る新郎新婦が見えて、ちょうどブーケトスの前だったんだろうな。しあわせそうな連中がわらわら出てきて。そこで、新婦がブーケ・ブートニアなんかやって見せてさ。あの、フラワーホールに花束から抜いた花を挿すやつ。ああ、きれいな光景ってやつだなあと思ったよ。おれなんか、そのちょっと前に男を殺してさ、毒薬の入った注射器を刺して。……おれが同じ場所に立っても、胸にナイフを刺して、心臓を一突きするような場面しか思い浮かばないなって思ってた」

 ピロートークにはすこし物騒な話だった。彼が過去の任務について話すのはめずらしい。いつもは隠したがるのに、今夜に限って、このタイミングで話すのは、何か感じることがあったらしい。

「あなたにプロポーズを返されて、嬉しかった。真剣に考えてくれたのが、嬉しかった。おれみたいな男でも、人に愛されることが出来るんだって、嬉しかった」

 泣きそうな声だった。トニーはオーガストの頭をぎゅっと抱きしめた。いつもはきちんとセットされている髪が乱れて、くしゃっと本来の癖毛があちこちにはねていた。それをやさしく指で梳きながら、トニーはじっと話を聞いていた。

 オーガストの抱えるものは暗い。ともすれば、トニーでも飲み込まれてしまいそうなほど、深く暗い闇がそこに横たわっていた。それを、オーガストは死の川と呼んでいた。

「おれのつくってきた死体の山が、死の川となってあなたとおれとを隔てていたんだ。黒くて底が見えない川。おれはあなたに会いたくて、渡りたいのに、死体に足を取られて進めない。ときどき、死者の手に引きずり込まれて、川の底に沈んでく夢を見る。おれのやってきたことを思えば、当然の結末だ。そのままおれも死者になるはずだった」

 でも、とオーガストはトニーの顔を見上げる。

「トニー、あなたが引き上げてくれた。暗くて深い川を物ともせずに、あなたはおれを迎えに来てくれた。まだ夢は見るけれど、あなたが手を伸ばしてくれるから、もう怖くないんだ」

 潤んだ瞳から、ひとしずくの涙が頬を伝っていた。トニーは、それを人差し指の背ですくい取り、オーガストの額にくちづけて言った。「大丈夫」だと。いつもの穏やかな声で。いつもの、オーガストがいちばん安心するやさしい笑顔で。

「君は、しあわせになっていいんだ。罪は罪だけれど、もう必要以上に苦しむことはないんだ。僕が半分背負うから。いつか、君がまた道を間違いそうになったら、フラワーホールにナイフを刺してでも、君を止めるよ。だって、僕たち、二人でひとつなんだから」

 頼もしい人。オーガストはまたひとしずく涙をこぼして、トニーの胸に頭を擦りつけた。子どもが母親にまとわりつくような格好だった。ずいぶんと大きな子ども。彼は、甘えたい盛りの子がたまらずするように、トニーの胸に頭をぐりぐりとぶつけてきて、涙混じりにえへへと笑った。

「敵わないなあ……」
「何せ救出のプロだからね、なんて」
「いや、本当に、敵わないよ、あなたには」

 くしゃくしゃになった前髪から覗く瞳は生き生きとしている。もう闇はすっかり晴れたのだろうか。いや、彼の心の奥底に、いつまでも巣食って離れないだろう。それが罪であり、罰だった。贖罪の日々は続く。

 けれど、もう大丈夫。「病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで、いや、分かつときが来ても、この手を離さない」と誓ったのだから。