Larks’ Tongues In Aspic - 7/8

//プロポーズ大作戦

 

 任務の帰りに結婚式を見た。前にもこんなことがあったな、と思いながら、オーガストはブーケトスに湧く人々の波をぼんやりと車窓から見つめた。ベンジーが「あのドレスすごいな!」とはしゃいで、イーサンが「本当だ」と答える。前のときよりいくぶん騒がしい車内には、もうすっかり慣れてしまった。

──結婚。

 それは、夢のまた夢だと思っていた。けれど、いまではそれを真剣に考えたい相手がいる。トニー・メンデス。おれのいちばん大事な人。生涯に一人だけの、運命ともいえる相手だった。ふと、隣の運転席に座るイーサンを見やる。彼はこのメンバーのなかで唯一結婚歴のある男だ。

「なあ、結婚っていうのは、よかったか?」

 つい、問うてしまった。何の脈絡もない会話。はじめて自分から振った話題が、もう破綻した結婚についてというのは、あまりにもデリカシーがなかったが、ほとんど無意識に聞いていた。興味もあったし、何より、イーサン・ハントには何となく親近感のようなものがあって、彼の話を聞いてみたいという気持ちがずっとあったのだ。

「……よかったよ」

 イーサンは、最初、ちょっと驚いたように黙ったが、ぽつりと答えた。「夢みたいな毎日だった。愛する人のいる家に帰る生活なんてのは」と。愛おしげに。その顔が、かつてのしあわせを噛みしめる、みたいじゃなくて、いまもそのしあわせは続いているのだ、という顔だったので、彼がジュリアをまだ深く愛していることが伺えた。

「あれを見てトニーを連想したか?」
「ああ、そうだよ」

 ぶっきらぼうに答えると、後ろからベンジーが乗り出してきて「お前らってまだ結婚してなかったの?」なんて聞いてきた。「あんまり一緒にいるからてっきりしてるのかと思った。そういえば、指輪とかしてないよな」と言われて、はたと気づく。そうか、指輪。

「ベンジー、サンキュー」
「どういたしまして。……何が?」

 よく分かっていないベンジーをよそに、オーガストは頭のなかでトニーの指のサイズを測っていた。イーサンは気づいたみたいで、ちらりとこちらを見てはは、と笑っていた。

 資産を凍結されているので、大金を動かすには承認がいる。大金、といっても、給料三ヶ月分程度だったし、婚約指輪のことを正直に話したら、すんなりと許可は下りた。てっきり、「お前にしあわせになる権利はない」なんていう妨害を危惧していたのだが、なんのことはない。上はおれたちにそれほどの興味がないだけなのだった。悪事に使わない限り好きにしてくれ、ということなのか。こんなに甘くていいのか? とも思ったが、オーガストが自罰的になることはなかった。

 そうして、無事に婚約指輪を買い求めたオーガストは、さっそくトニーをディナーへと誘った。こじんまりとしたトラットリアの隅の席。行動に制限が課せられているせいで、あまり派手なところには行けなかったが、自宅では格好がつかないと、たまに彼と行く場所をプロポーズの場に選んだのだ。オーガストには自信があった。トニーはきっと喜んでくれる、と。

 しかし、食事の後に彼へと手向けた指輪は、受け取られることはなかった。「すまない、オーガスト。すこし、考えさせてくれ」と言って。

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「何がいけなかったんだと思う?」

 うっとおしい背後霊がごとくベンジーにつきまとうオーガストは、プロポーズの夜のことをいつまでも引きずって歩いていた。正直すぐにでも保護者(トニー)に連れて帰ってほしかったが、その夜からトニーは職場に寝泊まりしてしばらく自宅に帰ってきていないらしい。

「おれは捨てられるんだろうか……」
「何しょげてんだよ。「死が二人を分かつときが来ても、僕は君を離さない」とか何とか言われた仲だろ。自信持てよ」

 オーガストに何度もトニーのことを聞かされているうちに、恥ずかしい台詞まで諳んじることが出来るようになってしまったベンジーは考える。そうまで言ってのけた人物が、いまさらプロポーズを断るだろうか。いや、違う。

「もしかしてさ、トニーは自分がしあわせになることに抵抗があるんじゃないか」

 だって、そうだ。自分が死んだせいで、オーガストはタガが外れてジョン・ラークとして犯罪に走った(そんな、非行に走った、みたいなノリではないとんでもないことをやらかして来たのだが)。その責任は、オーガスト自身にあるものだが、たぶん、トニーは自分にも責任があると感じていて、それで、プロポーズの返事をためらったのかもしれない。

「すごーく真面目だもんな、トニー」
「そんな、じゃあどうしようもない……」

 またもやうっとおしい背後霊と化したオーガストにうんざりしつつ、ベンジーはため息を吐く。願わくば、トニーの返事が色よいものでありますように、と。

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「プロポーズの返事、ためらっているんだって?」

 IMFの本部で書類仕事をしていたトニーは、急に話しかけられて驚いた。後ろにいたのはイーサン・ハントだった。不可能と思われるミッションをこなしてきた伝説的な人物。同じ部署に所属してから、きちんと話すのはこれがはじめてだった。

「皆さん、知ってるんですね」
「彼が酷く落ち込んでいるから」

 イーサンはトニーにコーヒーを差し入れて、隣に座った。こうして見ると、ミッション中は年上には思えないくらい若々しく見えていた彼が、年相応の落ち着いた人物に見えてくるから不思議だ。イーサンは、自分のコーヒーを一口飲んでから話し始めた。

「僕がジュリアとの結婚を決める前は、はたして自分にしあわせになる権利があるのかどうか、迷ったものだよ。何せ、悪党とはいえ、人を散々殺めてきた手だ。彼女をしあわせに出来るかどうかも分からなかった」

 見抜かれている、とトニーは思った。自分もそうだ。はたして、自分にはしあわせになる権利があるのか。許されないのではないか。大切な人の手を離してしまったせいで、大勢の生命が失われた。その代償を支払う義務があるのではないか、と。

「でもね、だめなんだ」

 イーサンは言う。

「彼女への思いの前では、そんな言い訳は役に立たなかった。やっぱり、どうしても彼女と一緒になりたかった。僕が臆病なだけだったんだ。本当に愛しているのなら、すべてを覚悟して愛さないと、だめなんだって思ったよ」

 トニーは、はっとして顔を上げた。

「まあ、僕と君とでは立場も何もかも違うから、アドバイスになるか分からないけれど」
「いいえ。とても参考になりました」

 コーヒー、ごちそうさまです。と、トニーは言って席を立った。彼に会わなくてはならないと、無意識に足を早めていた。

 オーガストは、ちょうど帰宅するところだった。今日も家主のいない家に戻るのかと思うと憂鬱だったが、いつトニーが帰ってきてくれるか分からない。いまの自分たちには時間が必要なのだと思っていた。しかし、駐車場で呼び止められる。トニーだ。彼は、走ってきたかのように息を切らせて、オーガストにこう言った。

「オーガスト、結婚しよう」

 それは、はっきりとしたプロポーズの言葉だった。

「僕たちにしあわせになる権利があるとか、ないとか、代償とか、そういうこともたくさん考えた。けれど、どうしても僕は君を愛してる。真面目で、傷つきやすくて、可愛い後輩の君も、ジョン・ラークの君も含めて、すべてをまるごと受け入れる覚悟が出来たんだ。いつか、いつかしっぺ返しが来るかもしれない。それでもいい。僕はもう、君の手を離さないから。地獄に行くときもぜったいに一緒だ」

 ちゃりん、と金属音が響く。オーガストが車の鍵を取り落とした音だった。彼は、涙目になりながらトニーの瞳を見た。トニーも涙を目に浮かべていた。二人は誰もいない駐車場の隅で、しずかに抱き合った。オーガストの返事は、もちろん、「イエス」だった。

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 翌日、オーガストとトニーは揃いの指輪をつけて出勤した。それは、周りからしたらほんのささやかな変化かもしれなかったが、二人にとってはとても大事で愛おしい変化だった。