02. たまごのサンドイッチ
木枯らしの吹く季節になった。
トニーは愛用のバーバリーのコートを着て、いつもどおり局へと出社した。秋の紅葉も過ぎ、季節は冬へと向かっている。今日は平常の偽造仕事と会議があるので、忙しい。胸の前でコートを掻き抱いて、彼は暖房のきいた局内へと急いだ。
トニーの仕事は地味だ。
人質救出の専門家とは言われているが、そんなに頻繁に出番があるわけではない。どちらかというと、技術職である偽造書類の作成が主な仕事だ。現場に出ていく職員たちの偽造パスポートを作ったり、亡命する者たちに必要な書類を作ったり、とにかく、事務的な仕事が多岐にわたる。
今日も、トニーはイタリアに出張する職員のために偽造パスポートを作成していた。スリの多い地域だ。旅行者はだいたい、そういう被害に遭うことを見越して、コピーを持ち歩く。お国柄、毎度まいどきちんと確認するようなところでもないので、気楽といえばそうだが、それでも、これを使う職員の命綱ともなる書類だ。慎重に作業を進める。
真面目で堅実な仕事は、トニーの評判を高めていた。
彼の偽造パスポートならば、安心して出張出来る。そういうことを言われると、嬉しいと同時に気が引き締まる。ぜったいに安全なものを作らなければ、という。
そういうわけで、トニーは今日も慎重に作業を進めていた。緊張感と比例して、煙草の本数は増える。いつからか、煙草はトニーの安心材料となっていた。ほんとうは健康に悪いから控えなければ、とは思っているものの、これを吸っているときはきん、と頭が冴えて来るような気がして、手放せない。かたわらに置いた灰皿には、うずたかく灰と吸い殻が積もっていった。
煙草の煙が薄れるようになった頃。
コンコン、と個室にノックの音が響いた。
「トニー、おれだよ」
ソロの声。
トニーは、もうこんな時間か、と思いながら席を立ってドアを開けた。案の定、ソロが何か荷物を持ってそこに立っていた。
「おつかれさま。どうだい、ここらへんでお昼にしないか」
時計は正午を回って十三時のすこし前にまでなっていた。ちょうどいいいタイミング。頭脳労働をしていたせいか、昼食の時間だと自覚した途端、トニーは空腹を覚えてすこし顔を赤らめた。
「そうですね、どうぞ」
ソロを迎え入れ、書類を片付けて食事をとる場所を空ける。
ところで、アメリカの昼食事情は様々だ。
弁当と称してサンドイッチなどを持ってくる者もいれば、外食派、デリですませる者など様々だ。トニーは普段、外食したり外のワゴンで適当なものを買い求める方だが、ソロが家にいるときはサンドイッチや軽くつまめるものを持たされることが多いので、弁当派になる。
今日は何も持たされなかったので、後で外へ食べに出かけようと思っていた。
そこへ、ソロがやって来た。近所の有名なデリの袋を抱えて。
「ここの惣菜を食べてみたかったんだ」
ソロが袋から出したのは、豆のサラダとサンドイッチだった。
「たまごサンドが有名な店でね、一度食べてみたいと思っていたんだ」
鮮やかな黄色のうつくしいサンドイッチは、きらきらと自らを主張していた。白いパンの間に挟まったゆでたまごはざっくりとみじん切りにされて、マヨネーズと隠し味にオリーブが入っているという。トニーは思わず、ごくりと喉を鳴らした。どうにも美味しそうだったのだ。
「さあ、召し上がれ」
そう言ったソロの言葉に導かれ、トニーはたまごのサンドイッチに手を伸ばした。つやつやと輝く黄身の覗くサンドイッチは、一口食べただけで見た目通りに美味しく、トニーの胃袋を満たした。しっとりとしたパン生地は、小麦粉とバターの香り。ざっくりと刻まれたゆでたまごと和えたマヨネーズに、オリーブが顔をのぞかせてアクセントになっている。この人は美味しいものを探し出す嗅覚にすぐれているのでは? というほど、ソロの買ってくるものにハズレはない。
「パンも美味しい。このたまごフィリング、うちでも作れそうかな」
「あなたはすぐに作りたがりますね」
「美味しいものは取り入れたいじゃないか」
なるほど。そして、そのおこぼれにあずかれる自分。
トニーは、ソロと食事を共有できる時間が好きだった。セックスをするときよりも、食事を一緒にしているときに流れる時間の方が愛おしい気がしているのだ。サンドイッチに上品にかぶりつくくちびる。豆のサラダを咀嚼する喉の動き。ともすれば、エロチックにも見えないことはない。食事の仕方とセックスが似るというのは、何処の誰が言っていたのだっけ。
ふと、ソロがトニーの顔を見てくる。突然、すい、と顎に手を添えられて、気づいたらくちびるの横にキスをされた。
「……ソロっ! 職場ですよ!」
「いや、黄身がついていたからつい、ね」
彼の顔は、にやりと悪戯が成功したときのようなわるい顔になっていた。黄身だなんて、嘘だ。トニーは顔を赤らめてソロの手を掴む。彼は降参のポーズを片手でとって言った。
「ほんとうは、物欲しそうな顔をしていたからって言ったら、怒るかい?」
物欲しそうな顔。自覚があった。ソロの食事する光景を見ながら、つい夜の情事を連想していた自分。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「大丈夫。今夜も帰るから、安心して欲情してくれたまえ」
ついでに、こんなことまで言われて。
「ソロ!」
トニーは、声を荒げてソロを追い出すのであった。
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──馬鹿みたいだ。
トニーは、今朝から何度も頭に浮かんだ言葉を反芻した。
期待してしまう自分が、馬鹿みたいだった。あの人の言葉なんて、信じてもどうせ、裏切られるだけなのに。一時の逢瀬で満足出来ていたはずなのに、足りないなんて思い始めて。
「今夜も帰ってくるんですよね……」
もう部屋から追い出してしまった人物に、ぽそり、問いかける。答えはない。それにどうしてか安心してしまった。確実な約束なんて、あの人に出来るわけがないから。けれど、洗面道具が置きっぱなしになっているバスルームを思えば、期待はしてしまう。
──期待? 何を? セックスを?
身体だけの関係でよかったはずだった。それが足りなくて、心まで欲しいなんて思い始めている。そんなの、いままで誰もなし得なかったことなのに。
「馬鹿みたいだ」
今度は口に出して言ってみた。
むなしい言葉は、ぽとり、床に落ちて消えていく。
トニーは残りのサンドイッチを食べきってしまうと、昼の逢瀬を忘れるように、局のまずいコーヒーで流し込み、また書類の偽造に取り掛かるのであった。