Eat me, Drink me. - 5/5

05. たまにはジャンクフード

 

 知らない男に抱かれているみたいだった。
 無精髭の生えた、よれよれでぼろぼろのソロが帰ってきたのは、ついさっきだ。渡した合鍵でするりといつものように入り込んできた男は、しかし、いつもとまったく違った様子で性急にトニーを求めてきた。まるで何日も断食していて、やっと食事にありついたかのような、がっついたセックス。ソロにしてはめずらしい。けれど、トニーは受け入れた。久方ぶりの逢瀬なのはお互い様だ。トニーもソロを求めていた。

「あ、ああ」

 短く喘ぐのに合わせて、向かい合ったソロがトニーのなかを行ったり来たりする。ぬぐぬぐと内壁を擦り上げられるのに、どうしてもまだ慣れないトニーは、親指の背を噛んで違和感に耐えた。それに気づいたソロが、トニーにくちづける。息を奪うような、深いふかいくちづけ。唾液がつうっと口の端を伝い落ちる。途端に下腹部に広がる快感。息を詰めて感じるなんて、危ない兆候だ。けれど、互いの息を飲み込むようなくちづけをやめられなかった。

「だめ、いく、ああっ」

 射精をともなわないオーガズムに達したトニーは、ぶるりと身体を震わせてソロにぎゅうとしがみついた。遅れて、ソロもなかで達する。ゴムを付けるのも忘れていたせいで、直接、精液のあつさを感じてしまった。でも、足りない。

「ソロ、そろ、もっと」

 何度も名前を呼ぶ。ここにいるのは確かにソロなのに、いつもより多少乱暴な手つきだとか、見慣れない無精髭だとか、乱れて顔の半分を覆う髪だとか。すこしずつ知らない彼を感じて、まるで別の男に抱かれているみたいだった。それが、ちょっとどきっとしてしまう。トニーはソロ以外の男に抱かれたいと思ったことはなかったけれど、普段と違う彼を味わっているような気がして、いつもより乱されていた。

「もっと呼んで、トニー」
「ソロ、そろ、れお……」
「そう、おれだよ」

 それを敏感に感じ取っていたのだろうか。ソロはトニーに名前を呼ばせたがった。情事の最中でしか呼ばない愛称を聞いて、ほっとしたように眉を下げたのが分かった。「そう、おれ、ソロだよ、トニー、間違えるな、トニー」半分冗談のつもりで、けれども半分は本気で嫉妬するように腕のなかの愛しい人の名を呼ぶ声。トニーは溺れた人間が助けを求めるときのような必死さでソロの名を呼び続け、またゆるゆるとオーガズムに達した。

//

「何があったんです」
「いやあ、聞かないでくれ。酷い任務先だったってだけだよ」

 よほど相性の悪い仕事だったのだろう。帰ってきたばかりのソロは、スーツはジャケットを脱いで、ワイシャツはしわくちゃのままスラックスから出しっぱなしにして寝室に入ってきたのだから。そのずたぼろ加減に母性のようなものがうずいてしまい、トニーはいきなり抱かれるのを許した。けれど、今度はこっちがずたぼろだ。無理な姿勢を取らされて腰は痛いし、喘ぎっぱなしで名前を呼び続けたせいで喉もカラカラしている。

「何か作ろうか、と言いたいけれど、今日は無理」

 無理だから、ピザでも取ろうかと言うソロ。めずらしく正直に弱音を吐く彼に、ほんとうに酷い仕事だったのだろうな、とまた胸がきゅうと痛むような感覚。彼は自分の仕事を詳しくは教えてくれないが、世界各地を巡るスパイ活動というのは、けっこう心身ともにきついと思うのだ。

 そんな胸中をよそに、ソロはさっそく枕元の電話を取っている。「何が食べたい?」などど言いながら。一人でいるときに時々頼むピザ・チェーン店の広告が手元にあったので、トニーはそれを渡しながら「マルゲリータ」と答えた。ソロが電話を掛ける。マルゲリータ、十四インチのサイズのやつ、それから、ポテト。それと、なにか頼む? え、アップルパイ? いいよ、アップルパイ二つ。

 配達を待つ間に、一緒にシャワーを浴びた。ほんとうは交互に浴びたかったのだが、ソロが離してくれなかった。狭いバスルームで互いの髪を洗い合い、まるでティーンネイジャーの戯れるのみたいにシャワーの湯を掛け合った。鋭い犬歯を見せて笑うソロは、もうすっかり普段の彼のようだった。

「髭をそってくれるかい?」

 と言われて、トニーは頷いた。いつものソロを早く取り戻したかった。

 たっぷりと取ったシェービングクリームを、ソロの顔下半分に乗せる。電動のシェーバーではなく、おろしたてのカミソリで慎重に髭を剃っていく。ソロはいつもカミソリを使うから、トニーもいつの間にか新品の替え刃を用意するようになっていた。

 じょり、と大胆に唇の上の髭を剃り落とす。続いて頬から顎にかけて。喉の近くを通るときはことさら丁寧に。この肌に傷をつけたらいけない、と。普段は自分の手入れなんかしないくせに、トニーの手つきはとても丁寧でうつくしかった。偽造技術に通じるものがあるのだろうか。きれいに剃った跡の泡をシャワーで流せば、そこには見慣れたナポレオン・ソロがいた。

 つるりと顎をなぞって、トニーは自分の仕事の出来栄えをよしとした。ついでにソロの唇の上あたりを狙って、わざとずらしたようにくちづける。滑らかな肌の感触。ソロはトニーの好きにさせた。それをいいことに、彼はもっともっととくちづける。唇の横、頬、顎から首にかけてのなだらかなカーブへと。くつくつとソロが笑うのを喉の動きで悟る。「何が面白いんですか」と尋ねると、「めずらしく甘えただなと思って」などと返ってきた。

 と、そこへ玄関のチャイムが鳴る。ピザが届いたのだった。

 トニーは、ばっと身体を離して、急いでタオルを取る。見られているわけでもないのに、他人の気配を感じて途端に恥ずかしくなってしまった。慌てるトニーとは正反対に、ソロは落ち着いた様子でバスローブを羽織ると、ろくに身体も拭かないまま、財布だけ持って玄関に出てしまう。その大胆さといったら。トニーは逆に関心してしまった。

 代金とチップを支払ったソロの手には、十四インチのマルゲリータに、ポテト、それとアップルパイ。お待ちかねの品々。熱々の状態で届いたそれを、冷めないうちにいただこうと、ソロがトニーを呼ぶ。トニーは適当にスラックスとシャツを身に着けて、髪を拭きながらダイニングへとやってきた。

「こんなときにはビールが飲みたい」と言うソロにしたがい、トニーは冷蔵庫から瓶を取り出す。あなたが無事に帰ってきたことに、と乾杯をして、さっそく食事を摂ることにした。

 チェーン店のものとはいえ、出来たてのピザはとても美味しかった。力強い味のトマトソースと、とろりとした熱々のモッツァレラチーズが絡む。オリーブオイルとバジルの香りがふわりと食欲をそそって、次の一口、次の一口と手が止まらない。シンプルなマルゲリータにしてよかった。

 ソロが普段作るものよりずっと濃いめでジャンキーな味のするピザ。湯気ですこしふにゃけたポテト。トニーにはお馴染みの味だが、ソロにはどうだろう。と思ってみると、以外にも彼はビールを片手に美味しそうにぱくついていた。普段の上品な食べ方よりかワイルドに。ポテトを咀嚼しながらビールで流し込む姿、伸びたチーズを絡め取る唇、指についたソースを舐め取る舌。見知らぬ彼の様子に、トニーはまたすこしどきっとしてしまう。

「何、見惚れていたのかい?」

 食べる手が止まっているのを見られていた。「そんなことありませんよ、あなたの意外な一面を見たから、めずらしいと思って」とごまかしたが、犬歯を剥き出しにしてピザを頬張るあなたを見て胸が高まったなどとは言えない。きっとソロのこんな一面は、彼の仲間なら知っているのだろう。けれど、トニーは初めて見た。

「こういうの、楽でいいな、また頼もうか」
「いいえ、たまにがいいんです。こういうのは」

 ソロの言葉にそう答えたのは、何だったのだろう。ちいさなやきもちのようでもあり、知らない男にときめいてしまうのがすこしこわくもあり。

「それより、明日はあなたの作った料理が食べたい」

 きっと、あなたの皿が恋しいのだ。僕だけに注がれた愛情というものを食べるうちに、ずいぶんと欲張りになってしまったらしい。と、トニーは思った。舌に馴染んだ味は、あなたが不在の間に食べたどんなものとも違う。あなたの作ったものたちだ。あなたの料理が恋しい。あなたが恋しい、と。胃袋を掴まれるとはこういうことかもしれない。

「はは、ずいぶんと素直になったじゃないか」
「……? 何を」
「そんな顔をして「あなたの作った料理が食べたい」だなんて、最高の誘い文句だよ」

 いったいどんな顔をしていたというのか。内心を覗かれていたような気がして、トニーはさっと頬を赤くした。ソロから見れば、トニーの顔には「恋しかった」と書かれており、素直過ぎる表情に、にやけてしまいそうだった。

「明日の朝食は任せてくれ。そうだ、またあのパンケーキでも焼こうか」
「あ、ああ、オーストリアで仕入れたレシピの? あれは美味しかったから、いいですね」

 いつかの朝食で食べた、ウィーン風パンケーキ。あのとき感じていた物足りなさは、もう満たされている。きっと最高の朝食になるだろう。

「さて、それまではこれで我慢してくれ」

 ソロが席を立って、冷凍庫から何か取り出してきた。買い置きのバニラアイスだった。彼はレストランの給仕がサーブするかのようなうやうやしい手つきで、紙の箱に入ったアップルパイへとアイスを乗せる。

「今夜は特別。贅沢なデザートと行こうじゃないか」

 スプーンに残ったアイスを差し出される。まったく、この人にかかるとジャンクフードも特別な一品に早変わりだ。トニーは差し出されたアイスにぱくりと食いついた。ついで、ソロのくちづけが下りてくる。バニラ味のキス。一人で食べたどんなアイスよりも濃厚で、とろけて、甘かった。