//Take Back The Fear
オーガストが普段の調子で、「今日、同僚が死んだ」というと、トニーは吸っていた煙草をもう一息吸い込んでから、ゆっくりと息を吐き出し、「残念だ」といった。
トニーの表情には悲痛がにじみ出ていた。二人の間にうすい煙がただよう。オーガストにとって、こんなのは日常茶飯事だといわんばかりのつもりで、何も考えずに喋ってしまったので、正直この沈黙は耐えがたかった。
「よくある話じゃないですか。この世界では。そんなに悲しい顔をさせるつもりはなかったのに」
「それが僕の知らない誰かだとしても、人の死は悲しいよ。いつだって」
──そうなのだろうか。
オーガストにはわからなかった。麻痺しているのだろうな、と思った。人の死に触れすぎて、感触がずっと肌に残っているようだったから。
任務で殺した相手と、任務で命を落とした職員の価値を天秤にかけたら、後者の方がすこしは重いであろうという認識くらいしかなかった。そうでなければ、自分たちのやっていることに意味を見いだせなくなりそうだった。
人はいつか死ぬ。それがいつかは選べないと思っている人間は多いが、実はそうではない。死ぬときは選べるのだ。オーガストにとって、命を奪うことは仕事であったので、死に神のように死の選択を迫る場面を思い出していた。
死んだ同僚は、どうやって死んだのだろうか。任務の最中に命を落としたとしか聞いていない。それも、公表されたものではなかった。同じ任務について生きて帰った者が、ぽつりと漏らすように話していたのを小耳に挟んだだけだ。彼の死は、誰にも知らされないそうだ。存在もなかったことにされる。家族もいないそうだし、きっと生きて帰ってきたとしても、誰もその生還によろこぶことはなかっただろう。それだけがむなしいことのように思う。
「俺たちは何なんだろうな」
テロリストよりすこしばかり重たい命。誰も知らない存在。国家の陰で、人知れず国に尽くし果てても、葬式は出してもらえない。
トニーが吸いさしを灰皿に押しつけて、オーガストをじっと見つめている。目の前の男のいわんとすることをけっして聞き逃さないようにしているみたいだった。
「使い捨ての命って感じだ。俺が死んだら、あなたは悲しむ?」
トニーは悲痛な面持ちになった。泣き出す一歩手前のような表情だ。オーガストを見つめていた目をゆっくりと閉じて、開いて。鳶色の瞳をこぼれ落としそうに潤ませて、「もちろん」といった。
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ベッドにまるくなってシーツに包まるトニーは、眠れない夜のように、目をしっかりと開けて、自分に抱きつくオーガストを観察していた。
彼は傷ついた子どものように背筋を丸めて、額をトニーの胸にぴったりと押しつけていた。ときどき、まばたきするときのまつげが素肌に当たって、静かな呼吸とぶつかってくすぐったかった。
「今夜は酷くしてもいいですか」
オーガストがぶっきらぼうな敬語で尋ねる。放り投げて、戻ってこなくてもいいというような言い方。酷くしても、というわりに、彼の声は覇気がなくてあたたかかった。
「いいよ。気の済むようにすればいい」
きっと彼なりの心の弔いが必要なのだと、トニーは思った。
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オーガストがトニーの肌に噛みつく。加減を知らない子どものように、血がにじむほど噛んでくる。
はじめは肩。つぎに二の腕。そこからは、痛みと、納得して許しているはずなのに這い上がってくるおそれのせいで、どこを噛まれているのわからなかった。
鎖骨を噛まれたのに気づいたのは、挿入されたときだった。慣らすのもそこそこに押し込まれた性器は、まだ乾いていて激痛をともなった。オーガストも痛いだろうに、彼はかまわず腰をすすめてくる。
突然ぬるりと滑りがよくなったので、出血したのがわかった。きっと明日は悲惨な思いをするだろう。
それでも「やめろ」とはいえなかった。機械的に、強制されてしているかのように摩擦を続ける姿。鈍痛と血のにおいでまったく萎えていたが、トニーはオーガストを受け入れ続けた。彼が泣いているような気がしていた(が、涙は見えなかった)。
射精をしても、彼はゆるゆると腰を動かしていた。乳房を舐められ、軽く乳首をかじられる。びくりと反応するトニーの身体を、オーガストは上から押さえ込んで抱きしめた。
まるで、「逃げないで」と追いすがるかのようだった。そんなに必死にならなくても、トニーは逃げようと思わなかった。オーガストの表情はこわばって、肌を這う手はちいさく震えることがあった。
彼は何かをおそれている。死を恐れるには、彼はそれに触れすぎていたし、誰かの喪失を恐れるほど、他人に興味を持つような性格ではなかったはずだ。たとえトニーを失っても、彼は残りの日常を送っていけるはずだと思っていた。
──しかし、それは間違いだったかもしれない。
トニーは、オーガストを観察しながら思う。
乳飲み子が母の乳を探るように、オーガストはトニーの乳首をあまく噛み続けていた。何も出ないというのに、かぷりかぷりとかぶりつく姿は、端から見ると滑稽な様子だったと思う。けれど、可愛らしいなと感じてしまった。
凶暴に肌にかじりついていたと思えば、急に甘えてくる。そのアンバランスさが危うくて、彼の心の内で起こっているであろうなにがしかの葛藤を、やさしくつつんでやりたくなる。
「あなたを失ったら、俺はどうなってしまうだろう」
恐れていた質問だ。答えの出ない問い。トニーはオーガストの髪を撫でながら、「さあ、ただ、人はいつか死ぬよ」とだけ答えた。
「わかってる。でも、どうなるかわからなくて、それが今は怖い」
こんなに弱気なオーガストは、はじめて見た。
同僚の死に心を乱されたのではなかった。まだ起こっていないことに恐れを抱いてふるえている子どものようだった。自分が彼をこんなふうにさせているらしいことに、罪悪感めいた感情が湧いてくる。
「いつもの強気な後輩はどこへ行ったんだ?」
「……たまには甘えたくなるときがあったっていいじゃないですか」
「弱い俺は嫌いですか」と聞かれて、「まさか、可愛げがあってすきだよ」と返しながらつむじにくちづけを落とす。
身体を動かすと痛みが舞い戻ってきたが、これは彼が見せまいとしている心の痛みなのかもしれないと思って、じんわりと受け入れた。
──怖いのは、自分も一緒だ。
オーガストを現場に送り出すたび、無事で帰宅することを願わずにはいられない。そんな気持ちを、彼にはこぼしたことがなかった。けれど、無防備におそれをあらわにする姿を見ていたら、すこし、自分も晒したくなった。
「僕も怖いよ。君が帰ってこなかったらと思うと。でもね、信じているから、君のこと」
オーガストは顔を上げて、すこしびっくりしたような顔をしていた。そうして、にやりといつもの強気な後輩らしい表情を浮かべて「愛されてるって感じがするな」と生意気にいってのけた。
物騒な愛の告白。たとえ、どちらが先に行こうが、地獄で待っているよ、とはいわなかったけれど。