WHAT MAKE A GOOD MEN? - 6/11

//Bite Me! 

 

「あなたに噛み跡を残すことを許してほしい」

 と、オーガストがいった。
 深夜十二時のベッドの中だった。
 普段だったら、噛み跡だろうがキスマークだろうが何だろうが、遠慮なく残していくというのに、今夜に限って、彼は紳士的に許可をもとめてきた。

「だめだといったら?」
「それは、困るな……あなたに乱暴したいわけじゃないんだ」

 暗に、許可しなかったら無理やりにでも実行すると脅されているのではないかと思ったが、最終的に、トニーは噛むのを許した。すると、オーガストは、ほっとしたような顔で素肌のトニーに覆いかぶさると、その子どものように安堵した様子からは想像できないほど力強く噛んできた。
 鎖骨、乳房、肩、腕。
 上半身だけでもいくつも跡をつけてまわる。とくに二の腕の内側が気に入ったようで、肉食動物が獲物を咀嚼するかのように、何度もなんどもやわらかく、つよく、と噛んで、むちむちとした感触をたのしんでいた。

「食べられたらいいのに。きっと美味しい」
「君には食人の趣味でもあったのか?」
「ない。でもいうだろう? 食べたいほど愛おしいとか」
「たしかに」

 こういう会話からして、前戯だとか後戯の延長なのだろう。まだ情事にはいたっていないから、前戯だろうか。
 オーガストは、二の腕を噛んでいた口をおもむろに離す。唾液がつうっと糸をひいて、ベッドボードの明かりできらきらと光っていた。
 そのまま上半身をずりずり下げて、今度は下腹部にうつるようだ。トニーのうすい腹筋を舌でなぞり、筋肉の流れに沿って愛撫をする。くすぐったいのを堪えていると、じわじわ快感になってくるのを、もう何度も体験してきた。
 あたたかい舌が、内臓まで愛撫しようと強く皮膚を押してくる。クッと息を詰めると、固くなった腹筋がよけいに愛撫の軌道を感じてしまった。また、噛み付く。今度は横腹を遠慮なく。

「気持ちいい?」
「痛い」
「そう、それは悪い」

 ちっとも悪びれずに答える声はよこしまな笑いを含んでいる。悪戯をする子どもの無邪気さでもって、彼はトニーの太腿を片方だけ掴んで持ち上げた。
 冷えた空気がすうっと入り込んできて、ふるりと震える。
 オーガストは、ひとつ、内腿にくちづけた。そうして、愛おしげに、慎重に、力強く噛んだ。皮膚に食い込む歯。
 本人の整った容姿に見合う、整った歯並びが、そこかしこに歯型を残していく。途中で舌を出して、噛んだ跡をなぞるように舐めるものだから、トニーの素肌には唾液の跡もてらてらと残った。

「ああ、トニー、素敵だ」

 仄暗い明かりに照らされたトニーの身体は、噛み跡でいっぱいになっていた。ぞっとするほど数が多い。それは、所有欲の現れのようだった。

──この肉体は、俺のもの。

 そう主張しないといけないほどの何かが、オーガストの心を占めてしまったのだろうか。彼は、嬉しそうに噛み跡を指でなぞって微笑った。無垢な微笑みだった。
 トニーは背筋がそうっと冷えるのを感じた。
 自分の身体を見渡してみると、気味の悪いほど歯型がぞろぞろと這っている。すこし赤くなった跡もあれば、血の滲む跡もあった。
 こんなに噛まれたのに、痛いと思ったのに、許してしまった。許さざるを得なかった。トニーは、オーガストの願い事によわいところがあった。
 彼の望むことは、なるべく叶えてやりたい。
 それは、年下で甘やかしたくなるからなどという感情を超えていた。愛情といえば、深い愛情なのかもしれない。自分は口に出して伝えることが苦手だから、こうして行為を許すことで愛を示す方法しかわからなかった。

 もし、オーガストが「トニーを食べたい」といったら、それも許してしまうだろうか。拷問を職務とする彼ならば、なるべく痛くない方法で解体してくれるかもしれない。
 意識を保ったまま、オーガストの食事する様子を眺める。彼は、とろけるような顔で自分を食べてくれるだろう。美味しそうに。
 ひどくおぞましい妄想だった。しかし、甘美でもあった。

「何、痛いのが好きなんですか?」

 すこし小馬鹿にしたような敬語に、我に返る。
 気づくと、トニーは勃起していた。

「ねえ、何を想像していた? 俺に噛まれてそんなによかった?」

 妄想の余韻を愉しむ間もなく、質問攻めにされて微笑ってしまった。「君に食べられるところを考えていたら感じてしまった」なんていったら、この後輩のことだ。調子に乗っていきおいで抱き潰してくるだろう。
 けれど、トニーはもうすこし穏やかな時間を過ごしたかった。答える代わりに、股の間でぎらぎらと欲望を堪えきれずにいる男にくちづけをもとめた。
 オーガストが応えて顔を近づけてくる。
 その唇を無視して、トニーは彼の首筋に頬を擦り寄せた。

「僕も、噛んでいいか?」

 わざと吐息をあてるように喋る。
 オーガストの心臓が跳ねるのを感じた。

「もちろん!」

 彼はことさら嬉しそうに答えた。願望をあらわにするトニーがめずらしかったのもあるが、何より、自分とおなじ所有欲を示してくれるのが嬉しかった。
 自らよろこんで首を差し出した。
 まるで、吸血鬼と血の契りを交わす光景みたいだ、と思った。

 トニーは、オーガストと違って、遠慮がちに一度そこを噛んだ。まったく、子猫のじゃれつきのような、弱々しい噛み跡が残った。
 もっと深く噛んでほしくて、オーガストはトニーの耳元へ囁く。「これじゃあ、全然あなたのものになれない」と。
 耳をくすぐる低い声が、鼓膜の奥、脳髄にまで届いてしびれるようだった。トニーは、操られるように、もう一度、噛み跡を重ねた。「もっと、もっと」とオーガストが囁く。
 最初は遠慮がちだったものが、深くふかく、つよくなる。
 くるくるとした黒髪を掴んで、唇をふるわせて噛みしめる。無意識のうちに、唾液があふれて逞しい首筋を伝っていた。
 ぶつり、皮膚のやぶれる感触。

 はっとしたように、トニーが唇を離した。
 目の前の首筋には、深い噛み跡と、血が滲んでいた。オーガストは、また嬉しそうに口の端を上げていた。

「痛いだろうに……」
「まだまだ、これは前戯ですよ」

 その言葉通り、情事はまだはじまったばかりだった。
 彼が、いきり勃ったペニスをトニーの下腹部に擦り付けてくる。あつくて、かたくて、先走りが噛み跡にしみる。
 堪えきれない熱を受け入れると、オーガストはゆっくりと大きく腰をゆすってトニーをよろこばせた。痛みはとうに快楽に塗りつぶされていた──。

//

「もうひとつだけ、噛み跡を残してもいいですか」

 と、オーガストがいった。
 時計はもう二時をまわっていた。二時間ちかくも、噛んだり、噛まれたりしていたくせに、彼はまた紳士的に尋ねてきた。
 二人とも、全身に噛み跡が残っていた。首筋から胸板、臍の周り、横腹。腕やら脚やら、服で隠せそうなところにはとくに。ぞろぞろと、他人が見たらぎょっとするようなほどたくさん。しばらく着替えは誰にも見せられない。

──いまさら、どこに跡を残すというのだろう。

 トニーはまた、噛むのを許した。
 オーガストが、「ありがとう」といってトニーの手を取る。
 左手、薬指。飲み込むほど深く口の中に入れたと思ったら。がぶり。ぐるりと指の周りに残された噛み跡に、微笑ってしまった。最後に噛むにはとっておきの場所だった。
 わかりやすくて、子どもじみた独占欲のあらわれ。
 トニーも、オーガストの左手を取って、がぶりと薬指に噛み付いた。
 明日は二人して、ここに絆創膏でも貼って行こうと考えながら。