WHAT MAKE A GOOD MEN? - 8/11

//修羅になれなかった男

 

 眠っているあなたの頬にキスを落とした。もう二度と会えないかもしれないという弱さの表れだった。名残惜しく、我ながら女々しい感情に流されそうになってしまう。このまま、二人だけで世界の果てまで逃亡できたなら。胸が締め付けられるような気持ちに支配されかかる。しかし、自分の書いた声明文を思い出して踏みとどまった。「苦しみのあとに平和がやってくる」のだし、「苦しみなくして平和などない」のだ。俺は俺の正義のために戦わなくてはならない。弱い感情は捨てた。心はとうに置いてきた。はずだった。彼、トニーさえいなければ──。

 午前三時の寝室。夜の帳は暗く、あなたの顔がよく見えない。明かりはつけないまま、身支度をすませた格好で、もう三十分ちかくトニーの傍らでぼうっとしていた。キスなんかしなければよかった。まだ夢のなかにいるであろう彼の頭に、銃を象った手をそっと突きつけた。あなたさえいなければ、俺はもうとっくに迷いを捨てて行動に出ていたのだろうか。いや、あなたがいたから、正気を保って俺自身の正義を貫こうと決心したのだ。

 使い捨ての命、国家への忠誠、社会の歯車。敵も味方も死体の山を築き上げて、やっと維持しているのがこの歪んだ世界ならば、いっそ一度壊してしまえ。更地にしてしまえば、すべていちからやり直せるのだ。そんな理想郷。俺は終末妄想に取り憑かれた信者ではないが、その考えはひとつの天啓のように脳梁へとひかりを導いた。そう、すべて壊してしまえば。そうして俺はジョン・ラークを作り上げた。

 しかし、目の前の彼はそれを許さないだろう。彼はまだ国家を信じ、国を愛し、そして何よりこの偽りの平和を守ろうと必死に働いている。もうそんなことをしなくてもよいのだと、彼の手を引きずって止めたかった。が、逆に俺の手を引かれて「オーガスト、もう一度信じてみよう」などといわれたら決心が揺らぎそうだと思った。トニー・メンデス。俺を正気の縁に立たせてくれたひと。俺のすべて。俺の世界。

 懐に携帯した銃を抜く。グロッグ17。マニュアルセイフティのない、スライドを引いてトリガーに指を掛ければ弾の出るシンプルな銃。これで何人もの頭を撃ち抜いてきた。いまさら、ひとり増えたところで何の問題があるのだろう。トニー、あなたは俺の正義の邪魔になる。せめて、眠りのなかで死んでくれと俺は祈って、ほんものの銃口を彼の頭に突きつけた。さあ、スライドを引け、トリガーに指を掛けろ。だが、五分以上経っても俺の手は動かなかった。

──撃つな、ということか。
 まだ弱い部分の俺が残っていたのだろうか。それとも、愛しい人を手に掛けるほど狂っちゃいないという証明なのだろうか。どのみち、撃てなかった。トニー、どうか許してくれ。あなたに銃口を突きつけた俺を。これからあなたを置いてゆく俺を。世界を壊しにゆく俺を。

 出発の時間は迫っていた。彼を起こして出掛ける勇気はなかった。キスなんかしなければよかった。と、再び思う。しかし、これが最後の夜ならばと思うと堪えられなかった。いや、最後の夜になどするものか。俺はきっと、計画を上手くやってのける。そうして、更地になった世界から、あなたを迎えに舞い降りるのだ。

だからトニー、どうか。それまでどうか、ここで俺を待っていてくれ。