//Part. three
「ウォーカーだ。よろしく」
ドイツ、ラムシュタイン空港ではじめて顔を合わせたIMFのイーサン・ハントは、思っていたよりも優男の雰囲気だった。彼をジョン・ラークに仕立て上げようと思っていたオーガストは、すこしばかりイメージと違う、と思ったが、いまさら計画を変更する訳にはいかない。もう替え玉も用意したし、証拠となるものも仕込んである。このまま計画を実行するだけだ。
オーガストは、ハントに親近感を持っていたはずだった。体制に利用され、疲弊した男。そのはずが、彼はまったく闇を感じさせないので、自分とは違うなと思い直した。まるで、まだ守りたいものがあって、信じる心を捨てていないような。それもそうか。彼にはジュリアがいる。元妻で、いまでも愛情を注ぐ女が。だからハントはまだ光を追いかけているのだ。
──おれにはもういない。
トニーのことを思った。彼がいたら、自分もハントのようにわずかな光を追い続けていただろうか。わからない。もうとっくに闇の世界に身を半分置いてきたオーガストには、問うても答えは出せなかった。ジョン・ラークとして、いくつものテロを指示してきた。裏の顔を持ち、犯罪の世界に身を落とし、何百人単位で人を殺めてきた自分を、もうトニーは許してくれないだろうとも思った。それでも、自分にはやらなければならないことがある。体制を壊し、この世界を平和に導くという使命がある。やっとチャンスが巡ってきた。シンジケートの残党であるアポストルを利用し、収監中のソロモン・レーンともコンタクトを取れた。これで、ミッションにかこつけてプルトニウムとレーンを回収し、計画を実行出来れば、理想の世界が訪れる。オーガストは、ただ、それだけを信じていた。
「集中しろ、ウォーカー」
「わかってる」
午前〇時まであと一時間。民間機を装ったCIAの専用機は、フランス、パリの上空にいた。目的地であるグラン・パレまでもうじきだった。ハントに声を掛けられるまで無意識に自分の世界に入り込んでいたオーガストは、我に返って気を引き締めた。もういない人物に気を取られている場合じゃあない。そう思って、すこし胸が痛んだ。
──感傷か?
地上から約一万メートルの高高度を飛ぶ飛行機のなかだ。酸素が足りないのかもしれない。胸の痛みをごまかすように、雷を避けようとするハントを挑発してヘイロージャンプに挑んだとき、オーガストは一瞬、自分はこのまま死んでもいいと思った。そう、雷に打たれるならば打たれればいい。ジョン・ラークとして書いた声明文も、プルトニウムを使った計画のことも、全部ぜんぶなかったことになってしまえばいいと。そうすれば、トニー、あなたのところに行ける。あなたに会える。何もかも投げ出して、ばらばらになって、そうして、もう一度あなたの笑顔にくちづけたい。
と、心が弱気になった瞬間、ものすごい衝撃に身を打たれた。雷鳴、ショック、意識の喪失。オーガストは、気を失ったまま高高度のなか落下し続けた。目の前が真っ暗になる寸前、死んだかもしれない、と思ったが、意識を取り戻したときにはパラシュートが開いて、目的地の上空にいた。どうやら、ハントに助けられたらしい。雷に打たれたにしては、何の怪我もなく屋上に降り立つことも出来た。ほんのすこし、運命、という言葉が頭をよぎったが、切り捨てた。雷が何かの啓示だとでも? まさか。
──おれの使命を忘れるところだった。
弱気になっている場合じゃあない。感傷は捨てろ。パラシュートを回収しながら、オーガストは瞬時に心を持ち直した。ここから先は一瞬も気を抜けないゲームだ。そうして、何事もなかったかのように、彼はグラン・パレへと向かった。
ジョン・ラークの替え玉とトイレで戦闘になった際、オーガストはわざとパソコンを壊した。ここでマスクを作れなくしておけば、ハントは自分の顔で「ジョン・ラーク」を名乗るだろうと思ってのことだ。案の定、彼は生身でラークを名乗るといい、ホワイト・ウィドウとの取引へと向かった。イルサの登場は想定外だったが、計画に支障はない。表向きのミッション通り、取引で必要なものを回収出来ればいい。
ホワイト・ウィドウの邸宅で、取引の条件を聞いたハントは内心で顔をしかめていたことだろう。護送車を強襲し、警察連中を皆殺しにしてソロモン・レーンを回収するなど、彼の嫌う「善良な人間の命を奪う」仕事だ。しかし、護送中のソロモン・レーンを奪取するには、この方法しかない。ハントは表向き、ラークとして残忍なところを見せようと余裕の表情を見せていたが、裏では何とか事態を回避する方法を必死で探るだろう。そこが、おれとの違いだな、とオーガストは思った。オーガストはもう、「善良な人間」など区別していなかった。単なる数字として人を数えていた。ソロモン・レーンも数のうちだ。ただ、必要だから回収するだけ。
──あなたに怒られてしまいますね。
トニーはいつだって人を人として数えていた。ああ、まただ。どう心を引き締めていても、ふとした瞬間にトニーのことが浮かんでしまう。あなたはおれを止めたいのか? どうして? あなたを奪った体制を壊すための計画なんだ。どうか、邪魔をしないでくれ。オーガストはその夜、一睡もできずに、翌朝、レーン奪取の現場へと向かった。
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「おれは彼女の守護天使だ」
追いすがるハントを、オーガストはそう言ってしずかに脅した。ジュリア・ミード。彼女はハントにとって大切な人物だ。
──おれにとってのトニーと同じように。
その彼女の生命をこんなふうに握られて、お前はどう思う。おれはずっとこうだった。目に見えないものにトニーの生命を握られていたようなものだった。それは政府か、国か、体制か。彼の生命は無残にも切り捨てられた。けれど、彼女はまだ笑って、お前の守る偽りの平和を信じている。だが、それも、もうすぐ終わる。
レーンのマスクを被ったベンジーに気づかず、オーガストはおのれの正体も計画も喋ってしまっていた。感情的になったことで、判断を誤ったのだ。しまった、と思ったときにはもう遅い。待ち構えていたIMFの面々に、計画の変更を余儀なくされた。しかし、目的は果たした。レーンとプルトニウムは回収した。オーガストは、自分を睨みつけるハントの目をじっと見つめながらヘリで飛び立った。
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その日、カシミールは決戦の地となった。
世界を壊そうとするオーガストと、その世界を守ろうとするハントの二人。ヘリコプター・チェイスの果てにヌブラ渓谷の狭間へ落ちた二人は、肉弾戦に持ち込んで最後の一騎打ちとなった。オーガストは、熱いガソリンを右顔面に浴びて視界がよくなかったが、それでもこの起爆装置だけはぜったいに渡すものかと奮闘した。これが最後の希望、あるいは絶望となって、世界を変える糧になるのだ。トニー、あなたを殺した世界を、政府を、国を、体制を。ぜんぶを壊して更地にするためのスイッチ。あと何分、何秒でいい。これさえ死守すれば、いずれ世界に平和が訪れるのだ──。
しかし、オーガストは負けた。
イーサン・ハントという男の執念深さを甘く見ていたわけではなかったが、彼は最後の最後、ほんとうにあと何秒というところまで諦めなかった。崖から落ちた二人は、ヘリコプターの貨物用ワイヤーに掴まり、なんとか持ちこたえていた。が、ハントの攻める一手により、オーガストは渓谷の底へと突き落とされたのだった。ワイヤーの先に繋がるフックがオーガストの頭に突き刺さる。下では先に墜落したヘリコプターが爆発し、ものすごい轟音と熱風を撒き散らしていた。
──地獄があるならこの先だな。
オーガストは、薄れゆく意識のなかで、走馬灯のようにトニーの顔を思い出していた。はじめて出会ったときの、にやりと笑ってこっちを見る顔。キスをしたときの、とろりと夢見るような顔。机に向かってパスポートの偽造に励む、すこし険しい顔。任務で怪我をして帰ってきたときに、真っ青になって心配してくれた顔。全部ぜんぶ、いまなら思い出せる。なぜ、いままでぼんやりとしていたのだろう。最期の、あの救出へ向かう日の顔も思い出せた。苦笑して、「大丈夫だ」と言って出掛けていったあなた。
ほんとうは、いつかあなたを失う日が来ると分かっていたのに。その日のことを無意識に避けていたのは、あなたを失ったら、おれは壊れてしまうから。ジョン・ラークという人物を作り上げて、テロを企て、体制をひっくり返そうとしたのは、ぜんぶあなたのためなんかじゃあない。自分のためだ。壊れた自分を正当化するための悪あがき。けれど、あがけばあがくほど、おれは闇に足を取られて動けなくなっていった。何故なら、あなたがいないなら、もうどうやったっておれは元通りになんかならないから。
トニー、会いたい。おれは結局、何も証明できなかった。あなたの愛した世界を守り続けることが出来なかった。きっと、おれとあなたじゃあ逝く先が違うだろうな。けれど、会いたい。どうか、最期の一瞬でいい。トニー、会いたい。トニー……。